港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.125 2017年 希望の年に… 断捨離して始めましょう

 

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2017年は穏やかな光に包まれて始まりました。

元旦は地元の洲崎神社とヨコハマの隠れた名所、

コットンハーバーに

お散歩してきました。

 

一昨年は実父、昨年は義父と2年続いての喪中となり、
今年は、そのお知らせさえも出しそびれ、
いただいた方に寒中お見舞いを書いています。

 

 

昨年末から続いている断捨離、継続中です。
私の「持ち物」は紙類が大半を占めていることに驚かされます。

まずは絵葉書、便箋、一筆書きの類いです。
旅へ行けば当地の絵葉書、
美術展に行けば展示されている絵画の絵葉書、
お気に入りの可愛い絵葉書、
あちこちから出てくる絵葉書を集めると相当量になり、
寒中お見舞いはお気に入りの絵葉書にしたためました。
ノート、シールも…

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それにもまして、本もたくさんあります。
文庫本は極力買わないようにして、Kindleで読みますが、
それでもかなりの量になっています。
御著者のサイン入りもかなりあります。
ブックオフに持っていくものと、保存しておくものを
選別することのも一仕事です。
ほとんど、保存に分類されていきます。
中には思わず手に取り、読み始めてしまう本もあり、
今は、ダメダメと慌てて本を閉じる…の繰り返しです。

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そして多いのがこれまで関わってきた委員会の議事録です。
子どもたちの学校の父母会、教会関連、同窓会…
目を通してシュレッダーにかけての廃棄。
シュレッダーは手動と電動の2台ありますが、
どちらも家庭用の小さなもので、ひたすら断裁しました。
手が痛くなりました。

 

銀行封筒に入った新札や

商品券も発見し、

とっても嬉しくなりました。

封筒や袋のチェックは欠かせません。

 

写真や年賀状もおいそれと処分できません。
どれもに思い出があります。

断捨離のコツはどうでいいものを捨て、
空間を確保することから始め、
思い出のあるものは後回しにしていくそうです。

 

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片付けてどう収納するかではなく、断捨離は
意識を変えるということらしい…

 

 

そこで、自分の心の中の「思い」の断捨離を決行しました。
40年間 何かあるごとにふっと湧いてくる
理不尽な、悔しい、悲しい思い…
そんな、マイナーな思いを断ち切ることができました。
ずっと言えなかったこと、言わなかったことを、
素直に正直な気持ちを話す機会が奇跡的に起きたのです。


なんでこんなことに煩わされていたのかしらと思ってしまうほど
スッキリ爽やかな気持ちになり、
新しい年の幕開けを飾りました。

 

 

そして、昨日、しぇあひるずヨコハマの記事が神奈川新聞に掲載されました。

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クラウドファンディングも大詰めを迎えます。

https://faavo.jp/yokohama/project/1679

 

新しいぶどう酒は新しい皮袋に…

まずは私の意識改革が必要です。

 

そう言えば、最近は見かけなくなった凧揚げ。
私は家の屋上から凧を揚げるのが大好きでした。
野っ原で凧を揚げるのは、まず走り回ります。
屋上で止まったまま、凧をあげることはちょっと難しいです。
風をみないといけません。
吹いている風に乗ったとき、凧は泳ぐように
空に舞い上がっていきます。
こうなるとあとは糸をキュっと引いたり緩めたりするたびに
どんどん高く揚がっていきます。
凧揚げをしてみたくなりました。

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2017年 いらないものをどんどん捨てて、
希望を高く揚げる年にしたいと
真っ青な冬の空を見上げてふと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO.124 追悼 渡辺和子先生 ピーマンの喩え

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大晦日の朝、尊敬してやまないシスター渡辺の訃報を知りました。
いつか、この日が来ると思っていましたが、本当に悲しいです。
クリスマスを越して、ちょっと落ち着いたころ、
神様は和子先生のこの世の使命をよしとされ、
御許にお連れになったのだと思います。

 

自由学園最高学部 キリスト教価値観の講義を3年に渡り
聴講させていただき、
どこかで講演があれば飛んでいき、
シスターの追っかけになったこともありました。

 

「置かれた場所で咲きなさい」がベストセラーとなり、
二.二六 事件でお父様を目の前で殺されたという経験をお持ちになり、
キリストに救われ、シスターになっていった人生も
多くの方々に知られていると思います。

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ここでは、最初に私が、心を動かされたお話を書きます。
それは「ピーマンの喩え」というお話しです。
和子先生はピーマンがお嫌いだそうです。
好き嫌いが許されない修道会の中ですが、

そっとお皿の片隅にお残しになったそうです。

でも、ピーマンがこの世から消えてしまえば良いと願ってみたり、
ピーマン撲滅運動とか致しません。
ピーマンがお好きな方もいらっしゃいます。
青椒肉絲とか、ピーマンがなければできないお料理もあります。

ピーマンにはピーマンの存在価値があります。

 

 

さて、この世の中にはピーマン的人間もいるものです。
どうしても好きになれないピーマンのような人…

そんな人を好きにならなくてもいいでのです。
そっとお皿の隅に寄せるように
自分の生活の片隅に置いてしまっていいのです。

 

あの人さえいなければいいのにとか、
撲滅運動をして糾弾したりとかせずに…

 

イエス様は「あなた方は互いに愛し合いなさい」と
おっしゃいましたが、
「お互いに好きになりなさい」とはおっしゃっていません。

もし、イエス様がお互い好きになりなさいとおっしゃったなら、
私は無理です。できませんと言ったでしょう。
好き嫌いは感情です。

 

でも、愛するということは、好きになることとはちょっと違います。
愛はその人の存在を否定しないで
大切に思うこと。
そして赦すことです。

ピーマン的な人がいたら、お幸せにと言って
後ずさりして逃げてしまっていいのですよ。

 

 

このお話は私にとっては衝撃でした。
私は誰もかれも好きにならなくてはいけないと
子どものころから思い込んでいました。
好きになって受け入れることが大切と思っていました。

嫌われたくないから…

 

だから、ピーマンを飲み込まなければいけないと
結構無理をして生きてきました。
涙目になっても飲み込もうと必死でした。
でも、存在を否定しなければ、好きにならなくてもいい、

なんだか、心からホッとしました。

シスターがピーマンが本当にお嫌いだったかどうか…

でも、この喩えはわかりやすくて、私は大好きです。

 

講義が終わった時、学生たちと同じく
レポートを提出することになり、
私は自分の生い立ちと葛藤、

そして、講義を聞いての
気づきと感想を書きました。

 

すると、美しい朱色の字で
「あなたは心の柔らかい方です。
いつまでも柔軟な心を持ち続けてください。」と
書いてくださいました。

このコメントは私の宝物です。


年末の大掃除、容赦のない断捨離を敢行している最中、
昨日、キリスト教価値観にレポートを見つけて読んだばかりでした。

 

また、数年前、最後にお目にかかり、和子先生に、
先生から聞いたことを
いろんな方に伝えていいですか?と伺った時、
「まあ、嬉しいわ。どうぞ、みんなに伝えてくださいね。」とにっこり微笑んで
私の両手をとってしっかり握ってくださいました。
あの時の笑顔を忘れません。

 

2013年、アメリカ、ボストンに行った際、
私は和子先生の学ばれたボストンカレッジに行き、
キャンパスを歩きました。

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爽やかな居心地の良いキャンパスでした。

ここで教育学を学ばれ、帰国してすぐに
ノートルダム清心女子大学院長になられたのです。


丙申、激動の一年がくれていくこの日、
和子先生から教えていただいたことを心に留め、

感謝して、
きたるべき新しい年に備えてゆきたいと思います。

 

 

 

 

皆様にとって2017年が素晴らしい年になりますように。

 

 

 

NO.123 クリスマスおめでとう 星のかんむり 谷村みよ子


クリスマスおめでとうございます。
わたしの大好きな作家松谷みよ子さんの「星のかんむり」のお話を書きます。


イギリス、ロンドンに住むブラウンさんという大金持ちのおじいさんが亡くなりました。
教会や、貧しいひとたちのための施設や病院に、
いつもたくさんの献金をしていた名士のおじいさんでした。
おじいさんはひとりの天使に連れられて天国にいく途中、いろいろ考えていました。
「きっと神様から星がたくさんついた冠をもらえるに違いない。
献金もたくさんしたし、学校への寄付もしたし、教会を一度も休んだことはないし、
勉強だって仕事だってなまけたことはないのだから、一番すごい冠をもらえるだろう」
これまでやってきたことを思い起こして満足でした。
すると天国の門につきました。なんだこんなところなのか。
天国はもっとすごいところだと思ったのに、とあたりに青い星と雲しかない門を見てがっくりしました。
門の中からピカピカ光るきれいな冠をつけた天使が
ひとつだけ星のついた冠をもって出てきました。
「おお、マリアさまですな」とブラウンさんがさけぶと、
「いえ、とんでもない、私はルツですよ」と天使が言います。
「この冠をおかぶりください」
「ええ?去年の大晦日になくなったルツなのか」
びっくりするブラウンさんにルツははいと答えました。
「なんでお前の冠にはたくさん星がついているのに、
わしの冠にはひとつしかないのか」

不服そうに言うブラウンさんに最初の天使が言います。
「どうしてなのか説明しましょう」そしてルツのお話しが始まりました。
ルツは教会の入り口に捨てられていたのをブラウンさんに拾われて、
お屋敷で働いていましたが、心のやさしい娘でした。
どんなにつらいことがあっても、神様への感謝を忘れず、
いつも他の人のことを考えていまいした。
けがした子雀をいっしょうけんめい看病したり、
病気のお母さんをかかえた郵便配達の少年の妹になって励ましたり、
神経痛で困っているおばあさんの孫娘になってお世話をしたり、
娘を亡くして泣いてばかりいる絵描きさんの娘の代わりになって支えになってあげたり、
足の障害をもった女の子のお友達になったり、
仕事の合間にこっそりとよいことをしていました。
でも、いつも怒られてばかりです、どこに行っていたの!仕事をさぼっているんだね。
教会にもいかないでどこをほっつき歩いているんだと、
みんなは誰もルツのしていることを知りません。
知っているは神様だけでした。
屋根裏部屋でどれだけルツが祈っていたか、それを知っているのも神様だけでした。

天使の話を聞いて「なるほど、ルツはやさしい子だ」とブラウンさんも認めました。
「しかし、聖書の教えにしたがって、私はたくさんの献金をしてきました。
わたしのおかげでたくさんの人を幸せにしてきました。ルツの何倍もね」
とブラウンさんは言います。
「あなたはお金持ちです。そのお金の中から献金をしてこられ、
世の中の人から尊敬され、感謝され、よりお金もちになれました。
あなたはこの地上でもう十分によい行いへのご褒美をいただきましたね。
それに比べるとルツさんは少しも人からほめられようという気はなく、
ただ神様を喜ばせたいと思っていました。
人でなく、神様がルツさんのよい行いをほめてくださいました。
だから星がたくさんついています。」
「よくわかりました。わたしは正しい、立派な人間だとうぬぼれ、
神様からたくさんのご褒美をいただけるものと思っていました。
いつでも人からほめられたくて、そればかり考えていました。
いやしい私は星などいただくねうちもありません。この冠をお返しします。」
そう言って冠を返そうとすると天使はそれをとめて
「ブラウンさん、その冠はかぶっていらっしゃい。
せっかく神様があなたのためにくださったものです。」と言いました。
なぜかわからないブラウンさんに天使は
去年のクリスマスにしたことを話してくれました。
神様が喜ばれる良い行いというものは、自分は忘れているものなのです。

クリスマスの日にブラウンさんはホームレスになってしまったかつてのお友達に食べさせ、着物を与え、仕事の世話までしてあげたのでした。
愛から出た行いでした。そのことを神様は記録していました。
そして冠にひとつの星をくださいました。
「神様はまったく公平でいらっしゃる。神様のなさることにはまちがいはない」
ブラウンさんはひざまずいて
「わたしはこのひとつの星をありがたくちょうだいします」と言いました。
そのときバーンを花火のような音がしました。
「ごらんなさい。またひとつ星がうまれましたよ」天使が言いました
「地上のどこかで、誰かが隣人に愛の行いをするとき星がうまれます。
毎日星が生まれるから宇宙はこんなに美しいのです」
こうしてブラウンさんはルツさんに手をひかれて天国の門を通っていきました。




誰かがどこかで、こっそりと本当に小さな良い行いをするとき、
宇宙のどこかで星がうまれます。
褒められようとか、お返しをほしがったりする良いことを神様は喜ばないけれど、
だれも知らないでする良い行いをしたときに星が生まれるので、
あんなに、きらきらと輝くのですね。

わたしは子どもの時からずっと、このお話が大好きでした。
良いクリスマスをお過ごしください。

NO.122  クリスマスキャロル  きよしこの夜 秘話

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1818年クリスマス・イブの夜のことです。
オーストリアチロル地方オーベンドルフ村にある
聖ニコラウス教会のオルガンの音がまったく出なくなってしまいました。
オルガンの鞴がねずみにかじられてしまったのです。
困った助祭のヨゼフ・モールが歌詞を書き、
教会のオルガニストで小学校の校長をしているフランツ・グルーバーが曲をつけました。
歌は礼拝の始まる30分ほど前に出来上がり、ギター伴奏により、
3度の和声をつけて二人で二重唱し、聖歌隊がそれを繰り返しました。
これがこの曲の初演奏でした。
最初は、オルガンなしの礼拝にがっかりしていた教会に人々は、
この曲を聴き、感謝と喜びに満たされました。

当時、ナポレオン戦争により、ヨーロッパは徹底的に破壊され、
オーベルンドルフも他国の支配下にあり、厳しい時代を過ごしていました。
社会全体を取り巻くくらい空気に対して、モールとグルーバーはクリスマスキャロルによって
少しでも人々に希望を与えたいと願いました。

作詞者のヨゼフ・モールは、
その付近に駐屯していた一兵卒とお針子の間に生まれましたが、
まもなく父親は行方知れずになり、やっと名づけ親になってくれた人は死刑執行人でした。
当時としてはこれ以上ない最悪な素性で、人に言えない苦しみをなめました。
幸いなことに彼は優秀な子でしたから、やがてある人の養子となり、
そのおかげでザルツブルグの神学校で学び、聖職者の資格を得ました。

しかし、その生まれのゆえか、ついに司祭になることなく、
ザルツブルグ付近のいくつかの教会を歴任して
目立たない生涯を助祭として終わったということです。

まさか自分の歌が、のちに世界中で歌われるようになるとは、思いもしなかったことでしょう。
自分のような父なし子は、この世に生まれるべきではなかったと、
運命を嘆いていたヨゼフ・モールに聖書は語りかけます。
聖霊なる神の力にあずかるならば、どんなに罪に汚れた者でも、
どんなに忌まわしい運命や血統に泣く人でも、尊い神の子に変わります。
贖いの体験を知ったヨゼフはその思いを書きました。

「主イエスの誕生によって、救いのときがついにやってきた」ヨゼフの叫びです。
その救いは個人の救いにとどまらず、傷ついた世界や行き詰まった民族を救ってやまない、
イエス・キリストの力強い福音です。
イエス・キリストの魂を内に迎える喜びこそがクリスマスです。
自分の境遇や現在の状況が、馬小屋のように貧しく、つらくあったとしても、
心に天が拓けるならば、それが私たちのクリスマスです。」

このクリスマスキャロルは完成して間もなく、
当時の旅商人によってオーストリアの国境を越え、広く伝えられていきます。
そして旅商人はドイツの見本市で歌い、
この歌に秘められた思いは、聴くものすべての心に響き、
プロイセン国王の王宮で披露するまでになり、
1854年にはプロイセン宮廷の音楽監督が楽譜を所望し、それにより作曲者グルーバーは
その創作の歴史を執筆し、初演の模様が事細かに描写されました。

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そして世界に広められ、極東の日本では由木康先生が歌詞をつけられ、
今では誰でも知っているクリスマスキャロルになりました。



今年、この讃美歌を聴かれるとき、ヨゼフ・モールのことも思い出してください。
どんなに暗い人生でも、だからこそ、光は美しく輝くものなのでしょう。



ドイツ語でかかれたその歌詞の日本語訳です。

1 静けき夜 きよき夜
すべて眠るなか ただ聖夫婦のみ めざめおり
かわいい巻き毛の御子は 天の平安のなかに眠る

2 静けき夜 きよき夜
神の御子がほほ笑む 神の口より告げられる愛は
われらに救いのときをもたらす イエスはうまれたまえり

3 静けき夜 きよき夜
天の輝く高みより 世界への救いがもたらされた
あふれるばかりの慈しみが明らかにされた
エスは人となりたもう

4 静けき夜 きよき夜
きょう 父なる神の御愛は 力もてあらわれたまいき
エスは兄弟愛でいだきたもう
世界のひとびとを

5 静けき夜 きよき夜
いにしえより定められてあり 主が憎悪をとりさりたもうと
そは世の創めより約束されてあり
世界全体の御救いを

6 静けき夜 きよき夜
まず羊飼いらに知らされた 天使がうたうハレルヤが
あちこちにひびきわたる たからかに
救い主イエス ここにいます



お友達が作成してくださいました。
スペイン🇪🇸の聖しこの夜 お楽しみください。

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=hpylgpm5MF4

NO.121 地上最強の商人 オグ・マンディーノ

12月に入るとクリスマスイルミネーションが美しく町を飾り、
なんとなくウキウキしてくるはずなのに、先行きが不透明で、
活気イマイチの2016年。

サクラダファミリア

イギリス ホークスヘッドの地区教会のステンドグラス


でも、み子イエス・キリストの誕生は「大きな喜び」であり、
クリスマスは特別な意味を持つと確信します。
オグ・マンディーノというアメリカのベストセラー作家の作品に
「地上最強の商人」(The Greatest Salesman in the World)があります。
日本語にも翻訳され、京セラの稲盛和夫会長が世に出し、
多くのビジネスマンの必読書となっています。
いわゆるハウツー本で、人生の成功の秘訣は「日常のよき習慣」であるなどが
アラブの古い巻物を通して語られています。

あらすじは・・・・
2000年前、アラブの隊商のらくだの世話係のハフィドという少年がいました。
彼は貧しくても誠実で、明日を信じて一生懸命にらくだの世話をしていましたが、
その隊商の主人のうつくしい娘リーシャに恋をします。
らくだの世話係から這い上がりたいと願う彼に主人はチャンスを与えます。

ひとりで商売に行き、100枚の布を一枚残らず定価で売ってくるというものでした。
彼はこのチャンスにかけ、元気に出かけていきますが、
思ったように売れるものではありません。
あちこちの町や村を回り、やっとの思いで売りさばいていきました。
最後に一枚を残すのみとなったころには一年終わりかけていました。

ベツレヘムという町にやってきた彼は、宿屋にとまる部屋もなく、
仕方なく裏に回り、疲れ果て、馬小屋で休もうと入っていきました。
目が慣れると小さな光に照らされた男と、若い女が目に入ってきました。
その二人は疲れている様子ですが、その顔は不思議な喜びに満ちていました。
二人が見つめている先を見れば、
飼い葉おけの中に赤ん坊がすやすやと眠っていました。
その姿をみたとき、彼の心のそこから温かな喜びがあふれでてきて、
思わず何かをしたくなりました。
見れば赤ん坊をくるんでいるのは擦り切れた古い布一枚で、あとは飼い葉です。

彼はたった一枚残った真っ赤な衣を広げると、それで赤ん坊をそっとくるみました。
ぱっと目をさました赤ん坊は彼の目をみて、微笑みました。
ハフィドはうれしさでいっぱいになりました。
そのとき若い母親が「ありがとうございます。
あなたは今、この子に一番必要なものをくださいました」
彼はにっこり笑うと黙って馬小屋をあとにしました。
この家族をそっとしておきたかったのです。

しばらくして彼ははっとしました。
大事な商品を無償でささげてしまったのです。
全部売り切ってこなければいけなかったのに。
ご主人さまは約束を守る方ですから、きっとお許しにはならないでしょう。
せっかくのチャンスを台無しにして、彼の夢は消えたも同然です。
その失意の彼に上に、あの大きな星が照らしているのを本人は知りませんでした。
でもその光景を主人は見ていました。
彼こそアラブに伝わる秘伝の巻物の保持者で、
星に導かれて戻ってくるハフィドこそが、
巻物を渡す運命の人だとわかりました。

彼はらくだの世話をしていた少年に巻物を与え、
ハフィドは主人の娘と結婚し、巻物のおかげで大商人へと成長していくのでした。


1968年にオグ・マンディーノがこの小説を書いき、ベストセラーとなりました。
商売に成功し、お金持ちになるにはどうしたらよいかなど
ビジネスマンの必読書となりました。
そして、20年の歳月を経て、マンディーノはその続編を書きました。

今から12年ほど前、息子が自由学園最高学部のとき、
当時の学園長でいらした羽仁趬先生が
授業でこのテキストを用いて、英語を教えてくださいました。
宿題の予習をする息子と一緒に私も学ばせてもらいました。
その夏、羽仁先生は体調を崩され、秋が深まるころ天に召されました。
地上最強の商人とは誰のことか・・・
とても興味深い内容でしたが、それはさておき・・・


今、必要なものを捧げる このことを心に留めて、
希望の持てないときだからこそ GOOD NEWS を
伝えていく者でありたいと願います。

続編は次回に続きます。

NO.120 希望いっぱいの チャリティ⭐️望年会 に参加しました

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先日、横浜 中華街 大珍楼新館にて行われてチャリティ⭐️望年会に
参加しました。
FBで知り合いお友達になった水口海さんが主催されている
毎年恒例の会です。
水口さんは東日本大震災復興支援を行なっている方々に
敬意を感謝をもって、敬意を表しつつ
継続的な復興支援の啓蒙活動に取り組んでいらっしゃる素敵な方です。

 

私が2011年10月11日にFBというSNSを始めたのも、

復興支援の輪をつなげていきたいと思ったからで、
水口海さんとの出会いは大きな恵です。

大珍楼さんの美味しい 中華料理や
蔵元さんの美酒を堪能できることも魅力です。

今回はジャパン・プラットフォーム の阿久津氏がー
〜今後の災害に向けて、地域はどのように力をつけていくべきか〜
という活動報告をされましたが、大変印象に残りました。

内容は東日本大震災から5年9ヶ月・・・来るべき国内災害に向けて〜
地域はどのように力をつけていくべきか〜

1. 震災関連死などの課題にどのような予防策が必要か
2.今後、熊本において予測できる課題を東北の被災地からどう学ぶのか
3.今後起こりうる大きな国内災害に向けて
地域はどのように力をつけていくべきなのか

という講演内容でした。

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これまでの海外支援の豊富な実践からこれからどうなるか予測しての課題は説得力がありました。
東日本大震災復興支援では
初動対応として避難所で炊き出しや傾聴という支援活動をして、
特に高齢者、女性、子ども、障がいを持った方々という災害弱者への配慮をする。
この場合の担い手は個人ボランティアでした。
これからは地域経済復旧.復興支援として生業支援/ 地域ブランドの創出、
地域の文化保存、防災計画策定 、地元主導の自立的復興へがかだいで
担い手は社協・自治会、地元企業になっていきます。

東日本大震災の震災関連死は避難所から仮設へと移動後、
孤独感を感じ、福島では震災関連死が2000人と言われています。


そこで大切なのがセーフネットの構築です。
集会所、お茶飲み会、イベントなどのコミュニティ形成を支援していくことが
大切です。
熊本気質は人の世話 にならないというお国柄、
セーフネットやコミュニティ形成を支援するNPOが少なく、
地域と行政を結ぶ中間支援団体もほとんどないそうです。
熊本に限らず、地元の人材育成とNPOや 中間支援団体の組織基盤強化が
必要になってきます。
……………………………………………………………………………………………………………………

そうです。やはり、人との繋がりがとっても大事なのです。
国は悲しいかな、守ってくれません。
まずは自力で生き延びること。

そして、なんとか 知恵を合わせて、隣近所で生き延びることです。

2011年10月、私は塩釜の寒風沢島で一軒しかないよろず屋さんをしていた方と知り合い ました。
津波がくるとわかったとき、彼女はお店にあるありったけの食料を車に積み込み
島の真ん中にある高台に避難しました。
このとき、島の消防団の人たちは会合で塩釜の街にいたのですが、
どこに誰が住んでいるか、どんな状態でいるか、
みんな知っていたので、一人が一人というようにお年寄り避難されました。
島では一人も犠牲者が出ませんでした。
救助が来たのは一週間後でしたが、食料を持って逃げたので
みんな生き延びることができました。

この話を聞いたとき、コミュニティの力の強さが鍵だと思いました。
避難所もまとめる人の資質によって大きな違いがでることも聞きました。
リーダー作りは重要課題です。

もう一つ、地域ブランド創出。
この日、私が着ていった黒のワンピース。
腰の左右にリボンがついています。
ここに、宮古の裂染の赤いくるみボタンをつけてみました。
そして、ネクタイから作ったネックレスをつけました。
赤玉がクリスマスっぽいです。
これなら、金属アレルギーの私でも安心。
なんとか地味ブランドとして全国展開できないかといつも考えています。

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東日本大震災から6年を迎えていくとき、

風化していくことが一番恐ろしいです。

こういう時こそ、手を取り合って、支援を続けて行きたいと思いました。

そして、また、不思議なご縁が繋がっていきました。

ニコンサートは友人のミュージックベルでした。

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私が取り組んでいるマリゴールドの魔法、
そしてしぇあひるずヨコハマ、この二つはもしかしたら、
これからの時代をいきぬく 羅針盤のある部分を担えるかもしれないと
ふと、思いました。

 

NO.119 オスカー・ワイルドとマリア・カラスとバイアグラ博士 ペール=ラシェーズ墓地(2)

 

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「オスカーワイルドのお墓に行きたいかい?」と問われて、
私はすぐに「はい、行きたい」と答えました。
すると彼はにっこり笑って
「ぼくはここの案内人、ちょうど時間があるから案内しよう」と言いました。
私が1時間しかないことを伝えると、わかったよ。
ショートカットで案内するからついておいでと
大股で坂を登って行きました。
はい!とばかり威勢良く後に続きました。
道なき道を進みます。
誰の墓石の脇をすり抜けるように進みます。

 

お墓というには大きすぎるお墓は、かのロスチャイルド家の墓地です。

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プジョーのお墓を過ぎると、

たくさんの花束が供えられたエディット・ピアフのお墓に着きました。

たくさんのファンが訪れたに違いありません。

パリの下町で不幸な環境に育ちながらも、その後シャンソン歌手として大成功を収めたピアフ。

ボクサーの最愛の恋人を飛行機事故で失うという悲劇に見舞われながらも、

その思いを歌に込めて強く生きました。

フランスで最も敬愛される国民的歌手の一人。

『ばら色の人生』や『愛の賛歌』の歌詞の中に歌われた華やかながら、孤高に満ちた人生を

思わずにはいられませんでした。

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さて、いよいよアイルランドの作家オスカー・ワイルドのお墓です。

パリ左岸のホテル・ダルザスで貧困の中で亡くなったワイルドはこの墓地に埋葬されました。

彫刻家ジェイコブ・エプスタインが作成した翼の生えた男性の裸像の墓地は

当時問題になりましたが、今では当時の形のまま多くのワイルド愛好者を迎えています。

その像は熱狂的なファンからの無数のメッセージで埋め尽くされ、

何者かによって男根が持ち去られてしまいました。

墓石に口づける人が断たなくて透明な覆いを作るに至ったそうです。

墓碑には"He died fortified by the sacraments of the church"と書かれています。

異国の地パリで衰弱したオスカー・ワイルドは、死ぬ前にカトリックの洗礼を受けたのです。

墓碑の後には彼が獄中で書かれた詩が書かれています。

 

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この日の衝撃はこのお墓の前に立った時でした。

バイアグラを知ってるかい?ミッシェルが聞きました。

バイアグラってあのお薬?知ってるけど…

これがバイアグラ博士のお墓だよ。

え? バイアグラって人の名前なの?知らなかった…

君は結婚してるかい?重ねて尋ねてきます。

ええ…と答えると、じゃあ、ここを撫でてごらん。

ほら、こんなに光ってるでしょう。

みんな撫でていくにさ、エクスタシィを感じる御利益のためにね。

私は言われたままにそっと撫でてきました。

冷たい石の感覚が伝わりました。

フランス、面白い国だなあ…………

 

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ミッシェルは時間を見ながら私を導きます。

見せたいところがいっぱい。

君は音楽家なの? いいえ。

なら医療従事者? いいえ。

画家?   違うわ。

それなら何? 文筆家かな… そんな話をしながら行った先は半地下の墓地。

なんと、次の衝撃。

舞踏家で「裸足のイサドラ」と呼ばれたイサドラ・ダンカン そして、なんとマリナ・カラス。

この場所は一人だったら絶対に辿りつかない隠された場所です。感動しました。

マリア・カラスの「カルメン」 、何度映像で見たでしょうか。

 

 

 

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こちらは画家のモリディアーニです。

そしてブカティ。

ユダヤの星の入った墓地は、マルセル・マルソー

そして「失われた時をもとめて」マルセル・プルースト

 

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ショパンとの親交が深かった画家ドラクロア

お次は大作家バルザック

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そして、作曲家ビゼー

彼はスペインに行くことなく、パリで作曲しました。

そういえば、原作者メリメもフランス人です。

スペイン、カルメンの旅を終えて最後に来たこの墓地で

ビゼーマリア・カラスのお墓参りできなんて、思ってもみませんでした。

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ショパンの愛用したピアノを作成したプレイエルの墓地もあります。

 

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そして、私たちはショパンの墓地へと戻ってきました。

日本人 なら、ケン ササキを知ってるかい?

いいえ、知らないわ、と言う私に彼は優れたピアニストで

ペール=ラシェーズ墓地に埋葬されている数少ない日本人の一人と教えてくれました。

そうなんだあ、あとで調べてみようと、思いました。

時計を見るとちょうど約束の時間です。

どうやってお礼をしようと、聞いてみました。

すると彼は50ユーロと言いました。

まあ、妥当だなあと思い、お財布を出そうとバッグの中をゴソゴソして、

顔を上げると、誰もいません。

ミッシェル、ミッシェルと名前を呼びました。

時計を見ると、1時間戻っていました。

ミッシェルの話す英語はすごく良くわかるなあ思ったけど、

もしかして、英語でもなかったのでは?

 

肩にハラハラと落ち葉 一枚とまって、すっと落ちていきました。