港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.31 赤毛のアンの島を訪ねて


次男が自由学園最高学部を卒業した2009年3月、私ひとりの卒業旅行を計画しました。
行き先は決まっていました。カナダ東部の島、プリンスエドワード島です。
小学4年生の時「赤毛のアン」に初めて出会ってから、
アンの魅力に惹かれ、何度も読み返しました。
村岡花子先生によってシリーズすべてが訳されるうちに、
私もアンと同じように成長していきました。

そして、いつかアンの島を訪れようと願いを持ちました。
いつものような気軽な一人旅を思い描き、飛行機のチケットやホテルを探すうち、
松本侑子先生と行くプリンスエドワード島」のケイラインさんの
ツアー広告が目に飛び込んできました。
松本侑子先生は作家であり、翻訳者でもいらっしゃいますが、
2008年NHK教育テレビで「赤毛のアン」の原書を読む講座の先生として、
女優の松坂慶子さんとお二人で出演されていました。
美しいカナダのロケもふんだんに入っていましたので、英語の勉強もさることながら、
素敵な風景が楽しみで、私も久しぶりにテキストを購読して、講座を見ていました。
その松本侑子先生とご一緒のツアー!「これは行くしかない」と即座に申し込みました。



そして、一斉に花が咲く、美しい6月のプリンスエドワード島に出かけていきました。
作家ルーシー・モード・モンゴメリは2歳で母を亡くしました。
実の父は再婚しましたので、彼女は厳格な祖父母に育てられ、苦学して教師になり、
祖父母を看取り、中年になって長老派の牧師と結婚しました。
その生涯は決して順調なものではありませんでした。
だからこそ、どんな逆境にあっても、人生を肯定して生きる姿を描けたのでしょう。
16歳で母を亡くした私は、この旅でモンゴメリをとても身近に感じました。


赤毛のアン」の原題をそのまま訳すと「グリンゲイブルズのアン」といいます。
グリンゲイブルズとは緑の切妻窓のある家の名で、
持ち主はマシューとマリラという、初老の兄妹でした。
農場を手伝ってもらうために男の子を孤児院から引き取る予定でしたが、
手違いがあり、アンが連れられてきたのです。
この間違いが、実は神さまの大きな計らいであることがだんだん明らかになってきます。
望み通りに男の子が来れば、農場での仕事は楽になったかもしれませんが、
二人はただ老いて、死に向かって淡々と進んでいったでしょう。
ところがアンが「間違って」つれて来られたことで、生活は劇的に変わってきました。
アンを愛することで、二人は真の愛―アガペに気づき、
人生の終盤でキリストによる変容が起きたのです。

小説の始まりの場面です。
起きてしまった間違いを正すために
マリラはアンを仲介者のところに連れていきます。
前日、マシューの馬車に乗って、真っ白なリンゴの花の咲く小道をやってきたアンは
グリンゲイブルズに住めるという喜びで満たされました。
それは美しい場所に建つ、きれいな家に住めるという喜びだけに終わりません。
自分を受け入れてくれる人と生きるという喜びでした。
ところが喜びは失望に変わりました。
女の子ではなく、男の子が望まれていたのです。
悲しい気持ちのアンを乗せ、マリラが手綱を取る馬車は海岸線の崖に沿う道を進んでいきます。
道すがらアンは自分の生い立ちを話し、マリラはそのストーリーを聴いているうちに
「はらわたから熱くなる」ような思いにかられます。

その思いはよきサマリア人が行き倒れた男を助けたときの思いと同じく、
「この子に何かをしてやらなければならない」という思いです。
マリラの心に愛が芽生えていきました。
海岸を走るバスの車中で、侑子先生の柔らかな声が、
アンの物語を語っていきます。
その言葉を聴いているうちに心が穏やかになり、涙がほろり出てきました。
日ごろ、感情をなるべく抑えて仕事をしていますが、
このとき私の心は純真にマリラの気持ちになっていました。
アンではなく、マリラの気持ちに・・・・。
それがとても新鮮で、うれしく感じました。


終盤の場面です。
農場にはもちろん納屋があります。
納屋へ入っていくと、中は思いのほか大きく、
年を重ねたマシューが一人で作業をするのは大変だと思いました。
やはり男の子の助けは必要だったことでしょう。
成長し、教師の資格をとって戻ったアンが納屋の中でマシューに言います。
「私が男の子だったらよかったのに。仕事を手伝ってもっとマシューを楽にしてあげることができたのに」
「いいやアンよ。1ダースの男の子より、アン、お前が大切だよ」とマシューは答えます。
納屋の中で侑子先生がその場面を語ってくださり、
私の目尻には涙がすっと流れてきます。

マシューの愛は「オンリーワンの愛」です。
この世で存続する三つのものは「信仰と愛と希望」であり、
そのもっとも大切なものは「愛」である。という聖書のみ言葉を思い出しました

厳格な長老派信者であった祖父母から厳しい宗教教育を受けたモンゴメリは教義重視の信仰をあまり好まず、
美しくのびやかな愛にあふれたイエス・キリストの教えを子どもたちにも伝えました。
ここに「赤毛のアン」の原点があるように思えます。
少女の頃、私はアンの明るさや、人生の切り開き方を学びました。
恋する気持ち、学ぶ喜びを自分のことのように感じました。
しかし、アンの年をはるかに越え、まもなくマリラの年代になってきて、
この物語に夕陽の温かさを感じました。

誰かに何をしてもらいたいという願望より、
誰かに何かをしてあげられるかもしれない希望を持っていたいです。

アンの部屋にはパフスリーブのワンピース、マリラの部屋には紫水晶のブローチもあります。

モンゴメリが働いていた郵便

松本侑子さんといくプリンス・エドワード島 ケイライントラベル