港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.40 新東京日産の思い出

三菱自動車が日産の傘下に!というニュースを
最初は信じられませんでした。
昨日、日産自動車本社横の道を走りましたが、
マスコミの車が何台も停車してました。ー
こういう時代が来るとは思いもしませんでした。

私は車大好きな女の子でした。
男の子に車を乗せてもらうことよりも
(アッシー君という言葉はまだありませんでした)
自分で車を乗り回すことを夢見ていました。

大学で社会福祉を学んだものの、4年生大学を出た女子には
就職の道は狭く、福祉職はなお、狭き道でした。

そんなときひょんなことから
日産自動車販売会社に就職することになりました。
「あなたは日産のどの車が好きですか?」という
質問にすかさず
「KP810JFEです。」
「どこがいいですか?」
「ヒューランドタイプのギアです。」

ちなみにKP810JFE とはブルーバード810 SSS.ES の型式番号です。
これで見事合格し、日産初のショールーム付女子営業レディになりました。


その時代の花形はミス・フェアレディ。
銀座ショールームや、東京モーターショーで大活躍でした。

ミス・フェアレディとは違い、営業職としての採用でしたから
日産の歴史、車の知識や、保険の勉強も男子と一緒に学びました。

五反田TOC 近くのショールーム勤務は車好きにはたまりませんでした。
新東京日産、今はもうなくなってしまいましたが、
セドリック、フェアレディ、ブルーバード、ヴァイオレット、などの
日産主流の車を扱う会社でした。

フェアレディがモデルチェンジをして130に、
セドリックには国産初のターボが搭載され、
ブルーバードは810から910へモデルチェンジをするという
1970年代から1980年代へと変わる華やかな時代でした。

セドリックターボチャージャー車を日本橋三越の屋上に運び、
そこで新車発表イベントもしました。

ブルーバードのCMジュリー、沢田研二さんで、
等身大の看板をいただき、しばらく自室に飾っていたものです。

中でも一番興奮したには、五反田ショールームにサファリラリー
優勝したバイオレット(710)が飾れれた時です。
本当にカッコよくて、特別ステアリングを握った時はドキドキしました。



残念ながら、私たちの世代が車を乗り回す頃は
排ガス規制で一世代前の方々と比べると、
面白みが欠けてしまったと思いましたが、
それでも十分に楽しかったと思います。

それぞれのメーカーが競争して、より良い車、カッコいい車を作り、
男の子たちは車を買い、タイヤやホイールにお金をつぎ込み、
カセットテープにお気に入りの音楽を録音して、
車で聞かせることに力を入れていました。

そして、女の子たちは車で彼氏を選び、友達と話すときは、
本人の名前でなく、車の名前を使っていました。

私が欲しかった車は日産シルビアLSES
優雅なオリエンタルカットのウィンドウが大好きでした。
三菱セレステもちょっといいなあと思っていました。

日産と三菱が手を取り合って進む道、
どんな未来が開けるか、すごく楽しみです。