港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.44 L'Empire Des Sens 阿部定事件 80年前の今夜半の出来事でした

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大島渚監督の「愛のコリーダ」が1976年に封切られ、
芸術かポルノかの大論争になった時、私は車に夢中で、
話題の映画を観ることも、
猥褻論争にも大して興味も持っていませんでした。
私には関係のない世界のことと思っていたのです。
 
愛のコリーダ」は実際にあった事件を元に作られました。
阿部定事件のあらましはざっとこうです。
時は1936年、昭和11年、東北地方は凶作で、娘たちは女郎に売られていき、
二・二六事件が起きた、まさにその時代。
5月16日の夕方からオルガスムの最中に腰紐を使いながら、
情夫石田吉蔵の呼吸をとめるという行為を繰り返し情交を重ねていました。
18日の夜中、
石田が睡眠中、定は首をきつく締め、石田は窒息死しました。
彼女は局部を切り取って持って、姿をくらまし、
3日後に逮捕されるまで、石田の局部を雑誌の表紙に包んで持ち歩いていました。
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(逮捕され時に泊まっていた旅館
物見遊山の人々ごった返しになったそうです。)
 
この事件はセンセーショナルを巻き起こしました。
不思議に世論は二人のことをやり玉に挙げず、
むしろ阿部定は人気者になりました。
もしかしたら、当局は二・二六事件阿部定事件
煙に巻いたのではないかと、ふと、思ってしまいます。
 
 
 
 
さて、映画の方は、当時「猥褻」部分を
カットされていて、ズタズタにされてしまいました。
ノーカット版が2000年に再封切りがあったそうですが、
もちろん、その時も 興味がありませんでした。
よく知っていたのはクインシー・ジョーンズの歌った
愛のコリーダ」だけだったのです。
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2016年 封切から40年経った今年、
たまたまhulu で「愛のコリーダ」を初めて観ました。
 
 
阿部定を演じた女優は松田瑛子さん、情愛の末、彼女の首を絞められて
殺されてしまう吉さんを演じたのは藤竜也さんでした。
二人の絡む性行為のシーンは日本で初めての「本番行為」
日本で撮影、フランスで編集され、カンヌ映画祭オープニングで上映され、
絶賛の嵐に包まれた
日本映画史上に残る名作だと言われていました。
 
そういうことは知識として調べることはできます。
マスコミの評価も知ることはできます。
 
でも私は二人の本番シーンより衝撃的なシーンに釘付けになってしまいました。
(ネタバレですみません)
情交を重ねていくうちに吉さんが「首をしめるといいらしい」と定さんに教えます。
それじゃあやってみようと二人はお互い首を絞めていくのです。
(5月16日 )吉さんは自宅から自分待つ定の家に向かいます。
その表情は覚悟した男のものです。
定さんとの愛は尋常ではなくなっていくのを吉さんもわかっていて、
もしかしたら、首を絞められて本当に死んでしまうかもしれないと
思っていたかもしれません。
会いに行かず、そのまま、家に帰る選択肢もあったはずです。
でも、吉さんは定さんの元に行きます。
 
右側には 兵隊さんたちが日章旗を振る人々に送られさっそうと行進していきます。
その左脇の壁に張り付くように、吉さんは定さんの家へ歩いていきます。
兵隊さんたち後ろ姿と吉さんの何かを決心したような固い表情。
 
権力によって、お国のために死ぬことが美徳だと信じこまされて、
戦争に駆り立てられていく若者たちと、
愛する女性を命をかけて愛しぬく男がすれ違うのです。
 
何度も見直しました。
 
狂気はどっちなのかしら…?
 
そう、どちらでもないように思いました。
 
狂っているのは、自分の利権だけを考えて、
人の命を軽んじて、お金に執着する権力たち…
 
あのキナ臭い時代とどこか共通する今の時代、
マスコミ、ジャーナリストの力が落ちてしまった気がします。
 
今、阿部定事件が起きたら、
みんなで寄ってたかって定を断罪するでしょう。
そして当局はもっと大きな犯罪を隠していくでしょう。
 
当局を暴ききれないジャーナリストを責めるのは簡単ですが、
迎合しているの私たち。
私たちが変わらなければ、
マスコミはもっと体制に逆らえなくなるでしょう。
 
愛のコリーダ」は立派な
社会派映画と私の目には写りました。
 
あなたはどう観ますか?