港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.58 明日に架ける橋 サイモン&ガーファンクル

 

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先日NO.55で一番悲しいクリスマスにスウェーデン宣教師夫妻の
温かな励ましで、悲しみの川を超えたお話しを書きました。

今日はもう一つの思い出を書きます。
眩しい日差しの降り注ぐ福島いわきキャンプ場で、
一人の男の子に出会い、一目惚れをしました。

 ギターの上手な素敵な笑顔に、初めての恋心、

 


それまで見ていた世界が突然、カラーになったような
華やいだ気持ちになった16歳の夏でした。
女性デュオ“シモンズ”の「ひと粒の涙」を歌っていた夏でした。

でも、秋の終わりに母は逝ってしまいました。
あまりに悲しみが深いと、涙さえ出ないということを知りました。
虚しい色のない世界が私を包んでいきました。
葬儀が終わり、日常が戻り、
私の心は沈んでいきました。

ある日、ポストに青い封筒を見つけました。
見慣れた字、一番待っていた、彼からの手紙でした。
急いで封を開けて、読みました。
慰めの言葉と、一遍の詩。

 

 

サイモン&ガーファンクル、「明日にかける橋」 の詩でした。

『君が疲れ果て 途方に暮れて
涙を浮かべていたら
僕がその涙を拭ってあげる

僕はいつも君のそばにいるから
辛いとき 友達も見つからないとき
苦難に満ちた行く手にかかる橋となって
僕が身を投げ出そう

僕が君の代わりになろう
暗闇の中で 苦しみに満ちているとき
苦難に満ちた行く手にかかる橋となって
僕が身を投げ出そう

銀色の少女よ
さあ、帆をあげて進むのだ
君が輝く時がきた
君の夢は目の前に広がっている

君の夢がどんなに輝かしいものか見てごらん
友達が必要なら 僕がすぐ後ろにいる
苦難に満ちた行く手にかかる橋となって
僕が身を投げ出そう』


それを読みながら、止めていた涙が流れてきました。
堰を切ったような涙、嗚咽、慟哭のあと、
ふっと光が射しました。

大丈夫、一人ぽっちではないから。

数年後に失恋しても、
この時の思いは忘れることはありませんでした。

 

今から20年以上前、毎日新聞夕刊に「歌ものがたり」という連載が始まりました。

何かにとりつかれたいうに
あの時の思い出を綴り、投稿しました。
すると、採用され、記者の磯崎由美さんの取材で、
私は自分の「ものがたり」を話し、
「ものがたり」は全国版で1週間の連載になりました。

父にとっては、心地よい内容ではなく、
私は何も話しませんでした。

 

昨年、父は亡くなりました。
遺品を整理していたら、新聞の切り抜きをみつけました。
私の「歌ものがたり」の記事です。
色の変わった切り抜き、そこには父の字で
6月13日と連載が始まった日付が書いてありました。
父は大切にとっておいてくれたのです。

 

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父は全く私に関わらないように生きていました。

でも、父はやっぱり私を大切に思っていてくれていたのでしょう。

初めて、私は父を身近に感じ、父を愛していたのだと気付きました。


今、父が守っていてくれることを毎日感じています。

 

不思議なくらい穏やかな愛を感じています。

 朝日に浮かぶベイブリッジの写真は長男が撮ったものです。

彼の夢の実現を父の残したものが手助けします。

そう、父が明日に橋を架けてくれました。

そして、次は私が橋になる時がくるでしょう。