港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO93.人生の砂時計 さらさらと

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初プロデュースコンサートが無事終わり、
ホッとして横になり、気持ちよく目覚めた12日の朝、
義父の訃報を受けました。


昭和3年生まれの義父は茨城県から東京に出てきて、
持ち前の粘り強さで二つの会社を創業し、
高度成長期に弾みをつけ、浅草に二つのビルを建て、
故郷にバッグ製造工場も作り、地元の雇用にも貢献しました。

 

私が結婚した時は、
飛ぶ鳥を落とす勢いがあり、
京橋の料亭を閉めたものの、生粋の江戸っ子の
実父とは初対面からそりが合わず、
日本酒の飲み比べして、
まるで映画のような大騒ぎになりました。

 

お前に商家の嫁が務まるわけがないという父に
真っ向から反発して、婚約…
結婚と同時に家業の会社に就職。
毎朝、NHK朝ドラ「おしん」を見て、出社。
実父には泣き言など言えるわけありません。
意地でも幸せになる!と決意して、
自分というものを捨てて、脇目もふらず嫁として生きました。


義父は圧倒的な強さで家と会社を統べました。
誰も何も言えません。

子育てにひと段落ついた時、
私はとてつもない焦燥感に襲われました。

 

 

…人生を無為に過ごしていないだろうか。
私はこれでいいのだろうか…

 こうしていても
人生の砂時計はさらさらと静かに落ちていく…

 

朝から晩まで仕事と家事とに追われ、
自分だけの時間など皆無の毎日。

 

子どもをスイミングスクールに送り
Denny'sのテーブルで原稿用紙に向かって
思いを込めて、小説を書き上げ、出版社に送りました。
最優秀作を出版してくれるという賞狙いでした。

 

そして、次に毎日新聞社に思い出を投稿し、
「うたものがたり」に採用され、取材を受け、
一週間の連載になりました。

 

取材してくれた女性新聞記者に肩を押されて、奮起し、
毎日新聞社主催懸賞論文「毎日21世紀賞 人間とまち」に
応募しました。

入賞し、100万円の賞金と富士通ワードプロを副賞にいただきました。
浅草と横浜の対比をテーマにした内容でした。
その賞金で念願の小説を企画出版しました。
私は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
窓が開き、目の前が急に明るくなりました。

 

 

そんな私を義父はどう思っていたのでしょうか。
気に入らない嫁だったかもしれません。
でも、姿が見えなければ、トシミはどこへ行ったと
朝から晩まで、名前を呼ばれていたらしいので、
もしかしたら、とっても気に入られていたのかもしれません。

 

そして私は、せっかく開けた窓を閉め、妻として、
母として、嫁として生きました。

 

 

義父にお別れの挨拶をするとき、
お父さん、ありがとうございました。
お世話になりました …と心から自然に言っていました。
あんなに怖かった義父なのに、小さくなって、細くなって、
見ていて涙が溢れました。


人生の砂時計はさらさらと音を立てて流れていきます。
毎日、同じようにさらさらと。
いつ、自分のその砂がなくなるか、誰も知りません。

 

 

コンサートが終わった安堵感から風邪をひいたのか
咳が止まらず、夜も眠れなかった私は
お通夜から帰って発熱してしまい、
告別式に参列できませんでした。

 

   お前は来なくていい。
    お前は俺の最後を見なくていい。
お義父さんがそう言っている気がしました。

私の心に残る義父は強くて、ちょっと怖い
昭和のお父さんそのものの。
いつまでも、いつまでも。

 

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人生の砂時計は、今、このときも
さらさら、さらさら、流れていきます。

今、このときを大切に生きていこう、と思います。

 

やっと、気持ちの整理がつき、
ブログを書く気持ちになれました。

今度は、開けた扉を閉めることはないでしょう。
前へ進むだけです。

 

二人で仲良くお酒の飲み比べをしてくださいね。
もうすぐ一周忌を迎える実父の遺影の前で
二人の父を思いながら、ふと、思う雨の夜です。