グラフトンのバプテスト教会
グラフトンの合同教会
今頃は私の一番苦手な時期です。夏生まれなので、夏が大好き。
夏の終わりは寂しくて、秋を簡単には受け入れられない…と思っていました。
でも、秋って味わい深いですね。色彩が一番美しくなる季節です。
日本の秋は世界一美しいと思いますが、アメリカの秋も良いものです。
捜真の母と呼ばれるクララ・カンヴァース先生。
先生の故郷、アメリカ合衆国バーモント州グラフトンを2010年と2012年の秋に訪れました。
グラフトンは小さな村ですが、全米で最も紅葉美しい名所として知られています。
クララはパプテスト派の農業経営者ニュートン・カンヴァースと
母メァリの8番目の子供として1857年に生まれました。
小学校卒業後にバーモント州師範学校に進学して1873年6月に卒業し、
16歳で小学校教師になりました。
知的好奇心にあふれた聡明な少女でした。
讃美歌 「いつくしみ 深く 友なるイエスは」 の作曲をしたCharles Converse は親戚筋と言われています。
1876年、自らの教養を高めるために
バーモント州サクストンズ・リヴァーに設立されたばかりの
バーモント・アカデミーに入学して、1879年、アカデミー卒業後に、
マサチューセッツ州ノーサンプトンのスミス・カレッジ(初代校長L・C・シーリー)に
進学しました。
スミス・カレッジ卒業後、26歳の若さでヴァーモント州の視学官に任命されます。
これはとて名誉なことでした。
1年後、母校のバーモント・アカデミーに招かれて教師になり、
ギリシア語、ドイツ語、修辞学、数学を教えました。教え子には、
のちに医学者となるフロレンス・セービンもいました。
ヴァーモントアカデミー校舎
父の遺体の傍に立ったとき、「神の道を伝えに外国に行け」という
神のささやきを感じたクララ、宣教師になることを決意し、
1889年5月バーモント・アカデミーに辞表を提出しました。
そして、アメリカ婦人バプテスト海外伝道協会に宣教師志願を出しました。
将来を嘱望され、女性としては当時の最高位に登れること保証されながら、
祖国で得られる栄誉より、遠く離れた国の子どもたちの教育を通して、
宣教していこうと決心されたのです。
見慣れたカンヴァース先生写真は晩年のものです。
来日したカンヴァース先生は小さな女学校の第二代校長に就任して、
1891年に新校舎を建設し、生徒と共に校名を「捜真女学校」と決めました。
1910年、山手の地から現在の中丸に学校を移転しました。
創立以来多くの困難と危機に見舞われましたが、カンヴァース先生の言葉は
常に生徒と教師を奮い立たせてきました。
「神を信頼すること
神の愛を知り、自分を愛するように隣人を愛し、助け合うこと
失望することがあっても絶望しないこと、常に希望をもつこと」
私の心にはいつもこの言葉が響いていました。
グラフトンの地に立ったとき、
決して美人とは言えない顔立ちながら、キラキラと瞳を輝かせ、
ほおを赤く染め林の中走り回り、
サクストンズ川ほとりで思索に耽り、
バプテスト教会への道をハツラツと歩いていくクララと会いました。
カバーブリッジ
ヴァーモント州ってどこにあるか、すぐにわかる人はすごいです。
「ヴァーモントというと『カレーでしょ』と言われます。なんでですか?」
とヴァーモント出身の友達に聞かれたことがあります。
♪りんごとはちみつ とろ〜り 溶けてる 〇〇〇バーモントカレー♪
確かにヴァーモントはりんごと メープルシロップで有名なところで、
最高に美味しいチーズファクトリーもあります。
カレーとは全く縁はありませんが。
手広くやっていたカンヴァース農場も今は名残のレンガがあるだけで、
他は跡形もありません。
ここから、馬車に揺られて、ボストンに行き、
そこから遠く日本に宣教師としていらしたクララ・カンヴァース先生。
子ども時からカンヴァース先生のお話を聞いて育ちましたが、
どういうお気持ちだったかを考えたこともありませんでした。
しかし、ふるさとの地に立ったとき、込み上げる思いになりました。
自分の損得でなく、神さまが示された道を歩もうと決心された
クララの思いが伝わってきました。
自然は美しいところですが、同時に過酷な冬になれば、
雪深きヴァーモント州。
ソープストーンという特別な石を産出し、
一時はたいそう賑わいましたが、今は人口は激減し、
お年寄りばかりが暮らす静かな村になっています。
由緒あるホテルが一軒あるのみで、二泊しないと泊まれません。
2010年、下見で行ったときはそのホテルに泊まりましたが、
2012年にはハートフォードに移動して、
エイボンオールドファームスという素敵なホテルに泊まりました。
憧れの天蓋付きベッド
アメリカ北東部の9月はもう秋…カンヴァース農場の落ち葉を一枚
小さな石を一つ、持ち帰りました。
ふるさとに帰ることもなく横浜三ツ沢墓地に眠る
カンヴァース先生のお墓にそっと置きに行きました。
「先生のふるさとに行ってきましたよ。
でも、きっと、先生はここにはいらっしゃらないですね。
風になってグラフトンにも行ってらっしゃいますね。」と話しかけました。
すっと風が頬をなでていきました。
「神を信頼しなさい。最善の自己に忠実でありなさい」
私はいつも思い出すのです。「私は最善を尽くしているかしら」と。
この秋、私は今までしたことのない取組をしています。
カンヴァース先生が、「ほら、あなたの番よ。やってみなさいな」といって
肩をたたいてくださっているように、ふと、思いました。