港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.101 若草物語と超絶主義 LIttel Women & transcendentalism

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森の学校 オルコット父 エイモスが作った学校

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オルコット家、オーチャードハウス

 

 

若草物語」は私の大のお気に入りです。

お話しを書いた作家はルイザ・メイ・オルコット。

映画やアニメで人気を博した小説、みなさんよくご存知かと思います。

 

いつか「若草物語」の描かれた世界へ旅をしたいと思っていました。

その夢は2010年にかないました。

ボストンから一人で電車に乗り、

1時間半くらいかかって、コンコードへ。

2012年は私が主催者となったツアーでチャーターバスで参りました。
どちらも9月、素晴らしい思い出として残っています。

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ニューイングランド伝統料理で有名なコロニアルイン。

 

 

さて、超絶主義とは何でしょう。大辞林第3版によると
 …19世紀前半,アメリカ,ニュー-イングランド地方のユニテリアン派の中より

エマーソンを中心として始まるロマン主義運動。

有限な存在のうちに神的なものの内在を認め,神秘的汎神論に傾くが,

倫理的には理想主義,個人主義の立場にある。……

と、何やら難しい定義が書かれています。

 

エマーソンはもともとは牧師をしていましたが、教会組織と次第に距離を置いていきます。
東洋の神秘主義にも興味を示しました。
こう書いています。

……………われわれの時代は過去ばかり眺めている。われわれの時代は、先祖たちの墓をたてる。われわれの時代は、伝記と歴史と批評を書く。われわれに先立つ世代は面と向かって神と自然とを見た。われわれは彼らの目を通して見ている。われわれもまた宇宙に対して独自の関係をもつべきではないだろうか。われわれは伝えられてきたものではなく、直観による詩と哲学をもち、われわれに先立つ世代の宗教の歴史ではなく、われわれに啓示された宗教をもつべきではないだろうか。……太陽は今日も輝いている。野にはもっと多くの羊毛があり、亜麻がある。新しき土地、新しき人びと、新しき思想があるのだ。われわれ自身の仕事と法則と礼拝とを、求めようではないか。…………………………

 

エマーソンはボストンという都会から離れ、コンコードに移り住み、

同じ思想を持つ人たちと親交を持っていきます。

その仲間に「森の生活」の著者ヘンリー・D・ソロー、ルイザの父 エイモスがいました。

ソローはウオールデンポンドの畔りの粗末な小屋に住み、

晴耕雨読の生活をしました。

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ソローの小屋のレプリカ

 

 

 

ソローは2年2か月、自給自足の生活を送り、「森の生活」を書きました。
奴隷制度には反対し、人頭税の支払いを拒否して投獄されました。
彼の「市民的不服従」はマハトマ・ガンディーのインド独立運動

キング牧師の市民権運動などに思想的影響を与えたと言われています。

 

エイモスは新しい理想に燃え、ボストンに学校を作りました。
自由教育の夜明けです。

最初は斬新さがもてはやされ、多くの生徒が集まりましたが、

あまり新しくて、大方のひとは理解できず、子どもをやめさせる家庭が続出し、

学校は立ち行かなくなり、コンコードに移り住みますが、常に家計は火の車でした。
ルイザの母、メイ家は資産のある名家でしたので、

なんとか暮らしていけましたが、父親の理想主義に家族は振り回されていました。

 

お気づきでしょう。メイ家がマーチ家に。
母親思いのルイザは、母を少しでも楽にしてあげたいという一心で小説を書き始めたのです。

オルコット家をいろいろな側面で助けたのがお隣に住むエマーソンでした。
ルイザはエマーソンを慕いました。ローレンス氏のモデルがエマーソンと言われています。

 

小説ではジョーはベア先生と結婚し、伯母さんの遺産である邸宅で学校を開きます。
その様子はテレビアニメ「ナンとジョー先生」でも描かれています。

エイモスの学校がモデルです。
でも、ルイザは一度も結婚しませんでした。

コンコードからボストン、ニューヨークと引っ越していきます。

私はコンコードのオーチャードハウスとボストンとニューヨーク、
ルイザが暮らした家を訪ねました。
もちろん、コンコードにあるスリーピーホローにあるお墓参りもすませました。
ちなみにスリーピーホローにはエマーソンもソローも眠っています。

 

赤毛のアン」 の作者モンゴメリはルーシー・モード…L.M.モンゴメリ
ルイザ・メイ…L.M と同じです。ルーシーはルイザを尊敬していて、
赤毛のアン」 でアンが虚栄心から自分でムラサキに染めてしまった髪を切るとき、
親を助けるために美しい髪を切るジョーの崇高な思いと比べ、
自分はなんて情けないと言っています。

 

ニューイングランドは全米でも保守的なところです。
古き良き時代のアメリカ、今、〜いずこ…

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コンコード ノースブリッジ

ここで独立戦争の決戦が行われました。

 

もしかしたら私の思想もだんだん超絶主義に

近くなっているかもしれないとふと思いました。

 

Happiness is a perfume you cannot pour on others without getting a few drops on yourself.

 幸福は香水のごときものである。 人に振りかけると、自分にも必ずかかる。

                                             《エマーソンの名言より》