昨日、快晴のもと、孫娘の七五三のお祝いをしました。
お祝い膳を囲むお店をいくつか候補としてあげ、
予約をしようとしましたが、お日柄良く、どこも満席。
どうしようと思ったときに閃いたところが
地元神奈川の田中屋さんでした。
叔母の結婚披露宴をしたときの華麗なイメージがあり、
格式ある料亭は敷居が高すぎるかと思いきや、
全く心配ありませんでした。
お出迎えもお料理も最高です。
お子様膳
田中屋さんは1953年に開業し、横浜で唯一続く老舗料亭です。
近くの本覚寺にアメリカ領事館が置かれ、
米国総領事ハリスをはじめ、多くの外国人たちが接待や迎賓館として利用しました。
坂本龍馬亡き後のお龍さんが仲居として働いていて、
彼女が英語を話せたため、大勢の外国人客を受け入れられたそうです。
お龍さんが辞めた後も外国人歓迎のもと、
料理には和洋折衷のメニューも加えたり、
料理と踊りをセットにしたコースを考案したり、
ドルの支払いを可能にしたりと明治、大正、昭和にかけて隆盛を極めました。
ところが、時代は変わって、お店を囲むように無機質なマンションが立ち並び、
五代目女将が引き継いだ頃は経営がどん底になりました。
女将になるまでは商社マンのご主人と海外生活をされていたので、
日本の文化を守る使命を感じ、
田中屋再建の新たな取り組みを始めました。
みなとみらいが横浜の顔になって久しいですが、
神奈川の繁栄を取り戻したい。と、女将と同じ思いを持ったのが
私の息子です。
50年以上前に私の祖父と母が建てたアパート2棟を改修し、
箱物としてだけでなく、地域のみなさんの居場所提供ができる複合施設を作るために
安定した外資系IT会社を退職して、四月に会社を設立しました。
そのために11月1日からクラウドファンディングを始めました。
https://faavo.jp/yokohama/project/1679
先祖から引き継いだものを大切にしたいという情熱を持った女将と私の息子。
まさに点と点が繋がったような気がしました。
娘の晴れのお祝いを田中屋さんですることになったのは
偶然ではなかったのです。
田中屋さんから徒歩6分、坂を上った高台に展開するしぇあひるずヨコハマ。
女将は嬉しそうに「よかったわ。こういう若い人がいてくれて」
と目を細めました。
女将は私より10歳ほどお姉さんで横浜雙葉のご出身だそうですが、
うちのお嫁さんが「お母さんに似ている」と言いました。
とってもパワフルです。
神奈川、この地に来て、孫娘で五代目。
次の世代にしっかりバトンを渡し、私は自分の翼で飛んでいこうとふと思いました。