港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.124 追悼 渡辺和子先生 ピーマンの喩え

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大晦日の朝、尊敬してやまないシスター渡辺の訃報を知りました。
いつか、この日が来ると思っていましたが、本当に悲しいです。
クリスマスを越して、ちょっと落ち着いたころ、
神様は和子先生のこの世の使命をよしとされ、
御許にお連れになったのだと思います。

 

自由学園最高学部 キリスト教価値観の講義を3年に渡り
聴講させていただき、
どこかで講演があれば飛んでいき、
シスターの追っかけになったこともありました。

 

「置かれた場所で咲きなさい」がベストセラーとなり、
二.二六 事件でお父様を目の前で殺されたという経験をお持ちになり、
キリストに救われ、シスターになっていった人生も
多くの方々に知られていると思います。

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ここでは、最初に私が、心を動かされたお話を書きます。
それは「ピーマンの喩え」というお話しです。
和子先生はピーマンがお嫌いだそうです。
好き嫌いが許されない修道会の中ですが、

そっとお皿の片隅にお残しになったそうです。

でも、ピーマンがこの世から消えてしまえば良いと願ってみたり、
ピーマン撲滅運動とか致しません。
ピーマンがお好きな方もいらっしゃいます。
青椒肉絲とか、ピーマンがなければできないお料理もあります。

ピーマンにはピーマンの存在価値があります。

 

 

さて、この世の中にはピーマン的人間もいるものです。
どうしても好きになれないピーマンのような人…

そんな人を好きにならなくてもいいでのです。
そっとお皿の隅に寄せるように
自分の生活の片隅に置いてしまっていいのです。

 

あの人さえいなければいいのにとか、
撲滅運動をして糾弾したりとかせずに…

 

イエス様は「あなた方は互いに愛し合いなさい」と
おっしゃいましたが、
「お互いに好きになりなさい」とはおっしゃっていません。

もし、イエス様がお互い好きになりなさいとおっしゃったなら、
私は無理です。できませんと言ったでしょう。
好き嫌いは感情です。

 

でも、愛するということは、好きになることとはちょっと違います。
愛はその人の存在を否定しないで
大切に思うこと。
そして赦すことです。

ピーマン的な人がいたら、お幸せにと言って
後ずさりして逃げてしまっていいのですよ。

 

 

このお話は私にとっては衝撃でした。
私は誰もかれも好きにならなくてはいけないと
子どものころから思い込んでいました。
好きになって受け入れることが大切と思っていました。

嫌われたくないから…

 

だから、ピーマンを飲み込まなければいけないと
結構無理をして生きてきました。
涙目になっても飲み込もうと必死でした。
でも、存在を否定しなければ、好きにならなくてもいい、

なんだか、心からホッとしました。

シスターがピーマンが本当にお嫌いだったかどうか…

でも、この喩えはわかりやすくて、私は大好きです。

 

講義が終わった時、学生たちと同じく
レポートを提出することになり、
私は自分の生い立ちと葛藤、

そして、講義を聞いての
気づきと感想を書きました。

 

すると、美しい朱色の字で
「あなたは心の柔らかい方です。
いつまでも柔軟な心を持ち続けてください。」と
書いてくださいました。

このコメントは私の宝物です。


年末の大掃除、容赦のない断捨離を敢行している最中、
昨日、キリスト教価値観にレポートを見つけて読んだばかりでした。

 

また、数年前、最後にお目にかかり、和子先生に、
先生から聞いたことを
いろんな方に伝えていいですか?と伺った時、
「まあ、嬉しいわ。どうぞ、みんなに伝えてくださいね。」とにっこり微笑んで
私の両手をとってしっかり握ってくださいました。
あの時の笑顔を忘れません。

 

2013年、アメリカ、ボストンに行った際、
私は和子先生の学ばれたボストンカレッジに行き、
キャンパスを歩きました。

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爽やかな居心地の良いキャンパスでした。

ここで教育学を学ばれ、帰国してすぐに
ノートルダム清心女子大学院長になられたのです。


丙申、激動の一年がくれていくこの日、
和子先生から教えていただいたことを心に留め、

感謝して、
きたるべき新しい年に備えてゆきたいと思います。

 

 

 

 

皆様にとって2017年が素晴らしい年になりますように。