港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.126 母の希いと息子の覚悟

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「死んだら何を書いてもいいわ」
母・萩原葉子との百八十六日
萩原朔美

 

本を整理していたら、この背表紙が目に飛び込んできました。


積読になっていた本です。
とても、とても、気になって、お正月早々 読みました。

詩人 萩原朔太郎の長女である葉子と暮らした日々を
一人息子の萩原朔美が綴った随筆です。

 

 

 

母である前に作家として生き、

還暦を過ぎて、ダンスを始め、62歳にして
ダンススタジオ付きの家を建てたエネルギッシュな葉子さんに
すっかり魅せられてしまいました。

 

 

作家という職業につく方々は、所謂、「普通」の人生を送れないようです。
普通の感覚でないから小説を書くことができるのでしょうか、
葉子さんも過酷な少女時代を送りました。

 

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萩原朔太郎

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上田稲子 

 

萩原朔太郎の妻、上田稲子、 葉子さんのお母様ですが、
この女性がまた個性的。
呑んだくれて深夜に帰宅する詩人朔太郎との生活は
ほとんど破綻していたのか、
当時、流行し始めたダンスに熱中し、二人の娘を家に残し、
毎日のようにダンスホールに出かけて行き、
仲良しの宇野千代さんの影響を受けて
流行の先端の断髪して、夫と娘を捨て、家を出て行きました。

前橋にある朔太郎の実家は 名家で
厳格な医者の家でしたから、そんな不埒な嫁が産んだ
孫娘など居候以下と扱われ、冷たい環境の中、
葉子さんと妹の明子さんは不遇な幼少時代を過ごしました。

葉子さんは後年、自分を捨てた母親を探し出し、
一緒に住みました。

 

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奔放な作家の娘たちは、 なぜか離婚率が高いようです。
葉子さんは朔美さんを連れて離婚し、
その上、中学生の一人息子の朔美さんを母親の稲子さん、妹の明子さんに預け、
自分は一人暮らしをして分筆業をしたツワモノです。

母親を圧倒的な存在として捉える息子たちは
おそらく、みんなマザコンで、
年をとって 力が落ちてきた母親に怒りを覚えて、
些細なことで強い口調になってしまうらしいということを
読み進むうちに知りました。

 

 

「後悔」という章にはこういう文章がありました。
……病院のことや食事のこと、彼女の知り合いのこと、
日常の所作、なんでもかんでも怒るきっかけがあった。
どうしてそんなにイライラして母親を叱るのか。
自分に母親を怒る資格があるのか。
何という息子なんだ。
何度も何度も反省し、もっと優しく接しようと思った。
それでもまた、大声を出してしまう。
母親は私の連れ合いに、「なぜ、朔ちゃんはあんなに怒るのかしらね」
と嘆いていたらしい。

ある時急にその原因がわかった。
私の母親に対する甘えなのである。
自分の母親はこうあってほしい。
怒りはそういう思い込みから出発しているのだ。
こんな弱い、動けない親を私は認めない。
そのことが怒っている原因なのである。
わかってしまうと、なんだかガッカリした。
急に怒る自分が子供に見えてきた。
自分はまだ甘えたい子供のままだったのだ。
なんということだろうか。
一体いつになったら、大人になれるのだろうか……

 

 

 

朔美さんはこの時すでに60歳を超えていて、立派な紳士として
社会でも活躍されていました。
それでも母親には甘えていたのです。

私自身は母親を思春期に亡くし、
母の死後、すぐに再婚した父を疎み、
躁鬱病の弟の面倒をみなければいけなかったので、
「甘える」ということを知らずに生きてしまいました。

家族の温かさを望んだ結婚でしたが、
嫁ぎ先では商家の嫁として、家業と子育てに孤軍奮闘してきました。
息子たちはとにかく自立、自律してほしいと
心して育ててきました。

 

60歳を超えた今、新しい事業を始めようと決心したとき、
私は今後20年の自分の生き方を考え始めました。
そんなとき、この本に出会いました。
いつ、手に入れたのか記憶にない一冊の本。
この本が今の私に進むべき道を示してくれました。

 

今、どんなに元気でも、
ある日、ある時、
気力がなくなり、
記憶力が低下し、
筋力も落ち、

自分が年老いたと感じる日が来るでしょう。
息子に大きな声で叱られることもあるでしょう。

 

 

そんな日が来たら、
私は子どもになって、
子どもたちに甘えてみようと、
ふと、思いました。