港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.132 チャリティーコンサート In 建長寺

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北鎌倉から鎌倉へ向かう道に鎌倉五山第一位臨済宗建長派大本山建長寺があります。

1253年に宋から来日していた高僧・蘭渓道隆を招いて建立した最初の禅寺です。
けんちん汁の始まりの禅寺と言ったら親しみがわくでしょうか。

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先日、建長寺本堂でチャリティーコンサートがあり、
私は初めてお寺のコンサートを経験しました。

 

コンサートが始まる前に半僧坊から展望台に登りました。
鎌倉アルプスを尾根伝いで歩いた10代の頃を思い出しました。
展望台からは富士山も見ることができました。
梅の花咲く、美しい昼下がりです。

 

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コンサートは鎌倉のお母さんたちが福島の子どもたちを
毎年、鎌倉に招待している未来・連福プロジェクトさん主催で、
シンガーソングライターの佐々木祐滋さんと
バンデューラ奏者 ナターシャ・グジーさんが出演されました。

本堂には300人ほどの聴衆で満杯でした。

 

f:id:tw101:20170213200630j:image佐々木祐滋さんの歌う「INORI」

 

f:id:tw101:20170213201933j:image休憩時間にはホーリーバジル 茶がふるまわれました。

 

 

 

 

 

《 未来のこども達を守り、育て、幸福の輪を広げよう》という主旨は

私の思いと同じです。

親子で野山を歩いたり、茶道で礼儀を学んだり、華道で心豊かさを学んだりと

体験を重視した取組をしたり、

被災地みなさんを無料で鎌倉に招くこともされている未来・連福プロジェクトを

初めて知りました。

 

また、佐々木さんとナターシャさんは、お二人でピースオンウイングという
平和交流プロジェクトを主催されています。

佐々木祐滋さんは広島平和記念公園にある原爆の子のモデルである
佐々木禎子さんの甥御さんです。
NPO法人SADAKO LEGACY 副理事長として禎子ストーリーを通じて
相手を「思いやる」ことや相手と「分かち合う」心を共有できるように
禎子さんの遺品の折鶴を世界各国に寄贈し、
歌を交えた講演活動をしています。

叔母の禎子さんは2歳の時に広島で被爆しました。
足の速い元気な少女でしたが、10年後に白血病を発病し、
病に倒れました。
亡くなるまで、折鶴を降り続けました。
小さな指で折られた鶴は、時を超えて、世界に届けられ、
ニューヨークやホノルルにも送られています。

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1986年4月26日深夜チェルノブイリ原発で爆発事故が発生しました。
最初は重大事故とは知らされておらず、
翌日は普段と変わらない生活をしていた住民たち。
子どもたちは学校に行き、外で遊んでいました。

ところがその翌日になって、
大したことではないけれど、念のため、3日間避難してください。
必要なものしか持っていかないで
3日後に戻ってきます。

そう言われて街をでたナターシャさん一家は
2度と家に戻ることはなく、
あれから30年の時が流れました。

最初は大したことはないと思います。
放射能は目に見えませんから。

ナターシャさんは民族楽器 バンデューラ弾き手になり
2000年から日本で音楽活動をはじめました。
そして、禎子さんのお兄さんから、一羽の「禎子の折鶴」が贈られました。
平和への思いと、核の悲劇を繰り返さない願いが込められた一羽の折鶴。

チェルノブイリ原発事故から30年を迎えた昨年 4月26日、
日本から平和と友好の印として、
この折鶴が、ウクライナのマリーナ・ポロシェンコ大統領夫人に手渡され、
現在は国立チェルノブイリ博物館に展示されています。

翼に平和をのせて ピースオンウィング という平和交流プロジェクトでは、

ナターシャさんは希望する学校があれば
どこへでもウクライナから届けられた折鶴を届け、
チェルノブイリ原発事故についての学びが
できるような取組をされています。

 

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佐々木さんとナターシャさんから
私は「使命」というものを感じました。
「天命」と言うべきでしょうか。
人には、その人にしかできない使命があると思います。

五十にして天命を知り、
六十にして耳順う、

孔子の言葉を思いだします。

 

二度と帰ることができない生まれ故郷を思う

ナターシャさん歌に合わせて

全員で「ふるさと」を歌いました。

心が締め付けられるような思いになりました。

忘れてはいけない悲劇。

繰り返してはいけない悲劇。

 


コンサートの前には春の日差しに溢れていたのに
コンサートが終わる頃には小雪が舞っていました。

人生、何があるかわかりませんが、
天命を知って生きて生きたいと思いました。

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