港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.136 にっぽんよ にっぽん ドドンガドン

 

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…………テレビのせいである。
と、唐突に書く。
すべてがテレビのせいでないにしても、99パーセントは、テレビのせいなのだ。
テレビが人間を“思うままにもてあそん”でいる。
そうするために、私は三十年近くテレビの仕事をした。
日本と日本人を手玉にとるために、視聴者であるあなた方をなぶりものにするために、もてあそぶために、仕事に精を出したのである。
内部告発だ。だから信用してくださっていい。…………

 

       

 

林秀彦著 「ココロをなくした日本人」
第4章 とりとめのない不安はどこからくるのか 「わかりやすさ」が「決然さ」を阻む
からの抜粋です。

断捨離で本の整理をしているので、今は本は買わないことにしました。
そこで横浜市立図書館で本を借りてきての読書三昧。
中央図書館でないので、豊富な品揃え!というわけにはいきません。
それでも、背表紙が私に読んでと声をかけてきます。
今回、私を誘ってきた魅惑の方が林秀彦さんです。
面白いので、ちょっと長くなりますが、引用を続けます。

 

 

…………「わかりやすく!」
が、いつ頃からかの至上命令、というか、絶対条件になった。
テレビドラマのシナリオを書く際のである。
「むずかしすぎる!視聴者はバカだ。もっとやさしく!」
誰がそんな命令を発しているのか、結局は藪の中のままだった。
ディレクターはプロデューサーだと言い、プロデューサーは制作部長だと言い、
制作部長は局長だと言い、局長はスポンサーだと言う。
私はその段階を実地に何度も上って行き、突きとめようとした。
「そんなこと言ってないよ。たぶん電通さんだろ」
とスポンサーの担当者は言った。
広告代理店で、その階段は行き止まりだった。

例えば主役の女優さんが泣いているシーンを書く。
「良子の頰に一筋の涙が光る」
とか、作者は“ト書き”に書く。
なぜ泣くかなどは、その役者さんが前後のストーリーの展開でわかっていればいい。

その心を表現するのが役者の腕の見せどころである。
セリフとしては、せいぜい「………」と書いておく。
考えながら見ている視聴者ならそれだけで理解し、同感、感動する。
ところがこれではバカな視聴者にはわからない、という。
もっとわかりやすく!
そこで、必要もないのに相手役の男優を登場させて、次のようなセリフをつけたす。
「どうしたんだ、泣いたりして」
「いいの、ほっといて…」
ところが、これでもわかりにくいという。そこでつけ足す。
「どうしたんだよ、言ってごらん」
「悲しいの…」
当たり前だ。悲しいから泣いているのである。
でも、これでもバカな視聴者は見過ごし、聞きすごすかもしれない。
もっとわかりやすく!
仕方がない、後はナレーションをかぶせるしかない。そこで書く。
「良子は、悲しさのあまり涙がこみ上げ、そっと頰を拭うのであった…」
見ていればちゃんとそのとおりの演技を役者がしているのだが、
バカな視聴者は見逃しているかもしれないのだ。
これでもまだわからない人がいるに違いない。
何しろ視聴者はオオバカの代表者なのである。
そこでディレクターが、作家に内緒でセリフを現場で書き足す。
「悲しいかい?」
「そう、悲しいの」
「そうだったのか、そうならそう言えばよかったんだ」
「ええ、悲しくて、悲しくて…」
これでやっと、どんなバカで、考えることを一切放棄している視聴者でも、
理解できるかもしれないと、ディレクターは胸をなでおろす。
みんなが理解するドラマでないと、視聴率が取れないのである。
理解する、と同時に、その一人一人の日本人から考える能力を殺す。
オーバーに書いていることではない。
日常茶飯にテレビ局の中で起きている事実である。
(略)
ドラマの登場人物には個人の考えなど一切なく、曖昧な人物ばかりになるというに等しい。

となれば、見ている人間も、全員曖昧になる。
自分のしっかりした意見や、決然とした考え方や、指針など持てなくなる。

決然さのあるドラマはだめ、漫然としたドラマがいい、これが絶対方針なのである。

そのころはまだ誰も、漫然さが不安の母体などと気づいていなかったのだ。
……………

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林秀彦さんは1934年生まれで、学習院高等科を出て、19歳で横浜から船に乗り、
ヨーロッパに行き、ドイツ、フランスの大学で哲学を学び、帰国後、松山善三に師事し、

脚本家として活躍されました。
「ただいま11人」「若者たち」「七人の刑事」「鳩子の海」など多数の作品があります。
お父さんの林賢一氏も文筆家で、「おはなはん」のモデル林ハナさんはお祖母様にあたり、

離婚した奥様は冨士眞奈美さんという、日本のテレビ放送の生き証人という方でしたが、

1988年、オーストラリアに移住してしまい、2010年に亡くなりました。

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この著者は2000年発行となっています。
今、林さんがバラエティー番組ばかりになったテレビを見たら、
なんとおっしゃるかしら…と思います。

林さんのお母さまは俳句を嗜む方で、
豊富な語彙を持って子育てされたのでしょう。
小さい頃から慈しみを持って接してもらえる子ども、
否定的なことばを投げつけられている子ども、
テレビに育てられている子ども、
どのように育つか推測はつきます。

言葉がない子育ては思考を育てません。
それがわかっているのに、テレビだけでなく、
ネットゲームや教育アプリで刺激を受け続ける子どもたち…

なんとかしないとと思います。

 

鳩子の海 」 の斉藤こずえちゃんの歌を思い出します。

 

♪ にっぽんよ にっぽん わしらが お国
   まだ 守れるぞ 時間は あるぞ
       ドドンガドン ♪

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1974年4月から1975年3月まで放送されたNHK連続テレビ小説鳩子の海
最高視聴率は53.3パーセントのこのドラマは、
広島原爆投下など、戦争のショックで記憶を失い、
瀬戸内の港町で育てられた少女の放浪の軌跡を描いたものでした。

私は高校を卒業するときでした。
日本を守る…そんな意識はなく、
ただ自分の将来ばかりに気を取られていた時です。

今、私は 孫たちの世代のためにも

日本を守りたいと思います。

まだ守れるぞ、時間はあるぞ!

この言葉が私を駆り立てている春の日です。

 

 

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