港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.8 アルプスの少女ハイジ 美しき魂

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ハイジの村 

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ハイジ資料館


生涯で初めて、自分で読んで感動した本は「アルプスの少女ハイジ」でした。
今は宮崎アニメの方というより、某CMで有名になっている「ハイジ」ですが、
私の記憶にある最初に読んだ本の挿絵はいわさきちひろさんが描いたものでした。
ハイジの健気さに親しみをもち、アルプスの山々の美しさを思い描き、
いつかアルプスに行きたいと幼心にも強く思いました。
そして4年前にその思いは現実になりますが、旅日記は後に回して、
まずは『ハイジ』ヨハンナ.シュピーリ作 矢川澄子訳(福音館書店)を紹介したいと思います。



ヨハンナの敬愛した文豪ゲーテの作品『美しき魂の告白』最期の一節で、
ヒロインにこう語らせています。
「わたしにはほとんど命令とか掟とかいったものを意識したことがありません。
わたしを導き、つねに正道をたどらせてくれるもの、それはひとつの衝動です。
心の欲するままに勝手にふるまいながら、それでいて何の悔いもおぼえなければ、
咎めだてされることもないのです。」

訳者の矢川澄子女史は次のように書いています。
「この『美しき魂』ということばは、道徳と自然、
理性と本能との全き融和を示すひとつの理想的境地として、
西欧では中世このかた たびたび用いられています。
心のおもむくところに従って、矩をこえぬどころか、
周囲によろこびやほほえみをもたらすことのできる、幸せなひとびと。」

善意だけで解決できたら世話はありません。
戦争も起こらないし、宗教の衰退もないでしょう。

ところがと矢川女史は続けます。

「むずかしいことはさておき、ただわたし自身のまずしい体験からいわせていただくならば、
世の中にはやっぱりそのような美しい性情の持主が、
もしくはつきあってみてそう思わざるをえないような羨むべき性分のひとびとが、
いまでも稀に存在するもののようです。
とりわけ女性の側により多くそうした典型がみとめられるように思います。」

そういえば…と美しい魂を持つ人を思い浮かべてみると、案外、身近にいらっしゃいます。
すでに神の御国に帰られた方も多くいらっしゃいます。

「じっさい、視野の広さや自覚の度合いこそちがえ、
いわゆる口腹の欲よりも他人のよろこびを見たい気持ち
(これも欲望でなくて何でしょうか)がさきにたってしまうのは、
女性としてごくあたりまえのことなのです。
ただ、一般にはこの志向のはけ口がせいぜい身内の範囲程度にとどまり、
それ以上に枠をこえてこの欲求を十分に発散し、
真情をのこりなく流露してみせられるのは、
よほど特殊な、めぐまれた場合にかぎられます。」

ハイジ、アン、ポリアンナ、ジョー、私の好きなヒロインに共通しているのは、
「美しき魂」だったと気づかされ、彼女たちの存在を教えてくれた教育を思い起こさずにはいられません。
もしかすると、私たちが受けた教育の流れの原点はこのあたりにあるのではないかと思って調べると、
スイスの偉大な教育者ペスタロッチとヨハンナが結びつきました。

1746年にチューリッヒに生まれたヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチは優秀な医者であった父を早く亡くし、
母とその父(プロテスタント牧師)に育てられました。
ヨハンナ・シュピーリは1827年チューリッヒ郊外の村で、医者の父と、牧師館の娘であった母に生まれました。
80年の開きがありますが、環境はとても似ています。
ペスタロッチはフレーベルとともに、教育の父と呼ばれています。
貧民の救済、孤児の教育、労働者の啓蒙など、
積極的な愛の実践をしていきますが、なかなか受け入れてもらえず、
ノイホーフでの最初の実験的学校は失敗していまいます。
とくに、家庭教育の大切さ、愛のある教育を説きました。
時代の先端の思想でした。

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チューリッヒにあるヨハンナのお墓

子ども時代に美しい心の持ち主に出会うことは、人生の宝物を最初に手にいれるのと同じだなあと思います。