港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.11 Mary Magdalene in Ecstacy

400年の時を超え、2年前にフランスで見つかり、世界初公開「法悦のマグダラのマリア」に会ってきました。

たくさんの批評家や観賞したみなさま方が、様々な講釈、意見、感想を述べていらっしゃいますから、そのあたりはどこぞでお読みいただくとして、ただの素人の私の個人的な感想をこそっと書いておきたいと思います。f:id:tw101:20160415190936j:image

「法悦」とは「仏の教えを聞き信じることで湧いてくる喜び」という意味だそうです。
つまり、イエスの教えを聞き信じ、罪を贖われたマリアの改心を描いたということですが、私には失神しそうなくらい愛されてしまった女の表情にしか見えず、近づいて原題をみれば、"Mary Magdalene in Ecstacy"   
トラブルメーカーのカラヴァッジョが逃げる前に愛した女性の思い出を残すために描いたポートレートなのではないかと思ってみたりしました。血の気の引いたような白い唇をわずか開き、まぶたを微かに開けている表情を見つめ、カラヴァッジョは何を思っていたのでしょう。
作者の真の意図など、誰にも分かる由もありませんから、誰かの批評でなく、自分が何を感じるか、心を自由にしていたい。と思いつつ、絵をじっと見ていると左の上の方に十字架が見えてきました。
十字架によって罪は赦されるという主題は描かれているように思いました。
 
「法悦のマリア」と並び、「悔悛のマグダラのマリア」"Penitent Magdalen"が二枚展示されていました。洞窟で修行するマリアという説明があります。
自ら鞭を打ち、失神してしまったマグダラのマリア。髑髏も描かれています。
 
イエスが愛したマグダラのマリアはイエスの死後、フランス サント・ボーヌの洞窟で暮らしました。数年前に大ヒットした「ダ・ヴィンチコード」でマグダラのマリアの娘にまつわるミステリーも書かれいました。
清らかな聖母マリアの対照としてマグダラのマリアは"The Sinner" 罪深き女とされて、娼婦とまで呼ばれています。フランスで圧倒的に人気があり、ローマンカトリックが彼女を人気を落とすためにスキャンダラスに作りあげたとか、今でも通用しそうなうわさ話がいくつもあります。
 
f:id:tw101:20160415191103j:imageパリのマドレーヌ寺院 マドレーヌはマグダラのマリアの意味です。
 
f:id:tw101:20160414230858j:image マドレーヌ寺院ではショパンの葬儀も行われました。
 
 
イエスは深くマグダラのマリアを愛し、彼女もイエスに恋をしていたのでしょう。彼女の信仰のもとはイエスへの愛だったとしたら、彼女の書いた福音書は人間イエスを描いていたに違いなく、イエスを神格化し、自分たちの利益を得ようとする輩には不都合だったことでしょう。
人間の酸いも甘いも嗅ぎ分けたかカラヴァッジョだからこそ、エクスタシィの極みのマリアを描くことができたのかもしれません。
付け加えると、マリアという名前はありふれていましたから、どこのアリアかわかるように呼ばれました。
イエスが蘇らせたラザロの妹、『マルタとマリア』のマリアは、ベタニアのマリアと呼ばれていました。マグダラのマリアと混同されやすいですが、別人です。
娼婦、修行、洞窟のキーワードで渡辺純一著 「シャトウルージュ」を同時に連想した友人と私。
次はこのテーマでまとめてみたいと思います。