港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.23 八人のいとこ ルイザ・メイ・オルコット

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オルコット一家が住んでいたオーチャードハウス

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「一番勇敢な犠牲的行為の大部分は人に知られもせず、ほめられないものなんだよ。
だからといって、その行為の美しさを損ねはしないものだ。」


村岡花子先生の随筆に出てきた「八人のいとこ」は小学校のときに読み、
主人公のローズに感情転移をしたことは覚えていますが、
大人になって読み返してみたら、ずいぶん印象が違っていました。

「あら、もちろんこちらをとりますわ。
叔父様。叔母様、ほんとうにありがとうございます。でも、あたしは、こちらを取らせていただくわ。」

この言葉の響きは、村岡花子先生のなつかしい訳です。
もしかしたら、わたしの言葉は「村岡花子調」だったのでしょうか、
高校時代に男の子たちにからかわれたことを思い出します。

村岡花子先生があとがきで書いていることを紹介します。

さて、ここで「八人のいとこ」について少し私の考えを書いて置きたい。

まず第一に、私はこの物語を我が子「みどり」に読ませたかったのである。
この仕事は母から娘への贈り物である。

そして、一人の少女だけではなく、すべてのこの年頃の少女たちに私はこの書をおくりたい。

この中には不思議なほど、現在の我が国の少年少女たちの問題が含まれている。
少年期から青年期へ移っていくひとたちの心の問題がいくつとなく取り上げられ、
それに対してはっきりと著者オルコット女史の考え方があらわれている。
そして、それは、そのまま、私の心に共鳴し、共感を起こすのである。

女学生のおしゃれの問題も服装のことも(耳かざりまでここに出てくる)
そして、これらのむすめたちの生活にはいってくる、ボーイフレンドの問題も、一つ一つ処理されていく。

「八人のいとこ」は1876年の作だが、それは今年1960年のものだといっても、
誰もあやしまないであろうほどに、数十年のへだたりを越えて、現在の中に生きている。

私はこの物語を我が日本のすべての少年少女に読んでいただきたい。
同時にその親たちの手にもこれがひもとかれることを願ってやまない。   村岡花子 


「耳飾り」はなんとピアスでした。10歳の私は何もわからずに読んでいたのでしょう。

ふたたび手にとってみると、主人公のローズではなく、相次いで両親を失ったローズをどう育てるか、という叔母、叔父の気持ちになっていました。

実の親に死別し、さみしい思いをしながらも、
たくさんの愛情に囲まれて育つヒロインのお話しが大好きだったことを思い出します。
そんなお話しはたくさんありました。

お話しの中でたくましく生きるヒロインや、その周囲の人たちの愛を知ることで、
私は現実の世界で生きることができました。

良質の本は人生の荒波を進むときの羅針盤だと思います。