ヴァルブルギスの夜が明けると5月1日 メイデイです。
緑の美しい5月の始まりです。
ブログを始めて、最初の一ヶ月が過ぎました。
仕組みを理解できていませんが、ほとんど毎日、更新しているからか、
アクセスは4000を超えました。
お読みいただいたみなさま、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
さて、中世になると、英国ではこの春のお祝いの日に、
男女が近く公園で一夜を過ごし、花のついた枝とか花を集め、
日の出に『5月を招き入れる』という風習が始まり、人気が高くなっていきます。
そして村の真ん中にメーポールと呼ばれる柱を立てて、
その周りで一日中、踊ったり、歌ったりしました。
本来は豊穣、家畜や人間の多産を祈る儀式でしたが、
形だけが残り、不道徳行為が目立つようになり、
1555年にカルバン派のスコットランドがメイデイを禁止し、
1644年には聖公会の英国議会がメーポールを禁止しました。
共和制の時代は淫らな慣習は認められませんでしたが、
1660年の王政復古と共に、メーポールも蘇りました。
メーポールのお祝いは18世紀から19世紀初頭にかけて徐々に衰退しましたが、
比較的近年になって、健全なものとなって復活しました。
子どもたちが踊りながら、メーポールの周囲を回り、
リボンを編んでゆきます。
ヨーロッパから移住した人たちはメーデーの風習を新しい土地に持ち込みました。
労働者の生活改善を目指し、8時間労働制を要求しました。
その頃、労働者は16時間労働をしていました。
ほとんどの雇い主は要求を拒否したので、5月1日にストライキに突入しました。
射殺され、ヘイマーケット広場で抗議集会が開かれました。
解散を求める警官側との間に衝突が起こり、警官側、労働者側合わせて12名の死者が出ました。
メーデーは多くの国に広がり、この日は雇い主が拒否しようと、
労働者は休みを取るようになりました。
日本では1920年に上野公園で第1回が開かれ1万人の労働者が集まりましたが、
1936年二・二十六事件発生により、戒厳令が敷かれ、
その後、中止され、その事に反対する組合が全国に呼びかけ運動したが、
定着することはありませんでした。
戦後、メーデーは復活しますが、今では形骸化し、
意味もわからない行事になってしまった感があります。
私は1年間だけしか組合のある会社で働いたことがないので、
ほとんどメーデーを実感したことはありませんが、
本来の意味を考えると、きちんと労働者の権利を主張する日を
自ら放棄するように仕向けられたのかと、ふと、思ってしまいます。
それほどまでに美しい緑の季節です。