港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.51 手紙

5月最後の日になりました。

8月の定年退職まで3ヶ月を切りました。
少しずつ整理を始めていますが、今日は書類の整理をしました。
一番大切なもを入れている箱の中にひと束の手紙がありました。
 
2011年のクリスマス、私は大きなプレゼントをいただきました。
 
2011年3月7日、私はタイ、チェンマイに行きました。
タイ奥地、アカ族人たちのための教会を作るプロジェクトに参加するためでした。
チェンマイではタイの女の子たちが自立して生きる力をつけるための
寮や学校を訪ねました。
中国で製造しているバッグをタイで作れたらと考えていました。
 
3月11日、チェンマイから一人バスに乗り、チェンライに向かいました。
 チェンライのホテルで チェックインする時、中国にいる夫から
電話が入り、日本で大地震が起きたと聞きました。
あわてて、日本に電話をかけると、社員は泣いていました。
とにかく情報を得たい一心で、 近くのインターネットカフェにいくと、
みんな目が一斉に私を見て、「日本人?ここへ来てみなさい。」
と言いました。
 
画面には仙台空港津波が押し寄せ、何もかも飲み込んでいく映像がありました。
あまりの衝撃に言葉も出ませんでした。
翌日からは、もっと奥地に入ったので、携帯電話も繋がらず、
何の情報も得られませんでした。
私はただ、その時にできることに集中しようと思いました。
 
帰国してからも、私は東日本大震災の日に日本にいなかったことを、
どこかで負い目として感じていました。
 
だから、何かしなくては、という思いが強かったのでしょう。
すぐに必要な物資も送りました。
2011年10月11日からfacebookを始めたのも、
復興支援のお手伝いをするためでした。
塩釜に行って、寒風沢島にも渡りました。
クリスマスには弊社のバッグやポーチも送りました。
とっておきの、かわいいバッグやポーチを選びました。
 
すると、お礼状が続々と届きました。
何もかも失った時に、誰かの善意を
当たり前に感じてしまいがちだと思っていました。
 
でも、たくさんの人たちが
「ありがとうございました。嬉しかったです」という
感謝の言葉を書いていました。
読んでいて涙が溢れて、止まりませんでした。
私はそのお手紙にお返事を書きました。
 
悲劇の中に陥ったときに、他人の善意を受けて、
ありがとうと素直に感謝できることは
なんて、すごいことだと思いました。
そして、感謝をした人たちは、きっと立ち直れることができると信じました。
 
あれから、どうしているでしょうか。
手紙を読み返して、ふと、思いました。
感謝を持って生きる人は、
より多く人に与えることができる人になっているでしょう。
より多く与える人は、きっと
真の幸せを手に入れることができるでしょう。
 
私はこれから何ができるかしら、と
ふと、思って、手紙の束をそっと自宅へ持ち帰りました。
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