むかし、あるところに、三人の息子がおりました。
一番目の息子がおとなになった時、
父親は息子を呼んで言いました。
「さあ、お前はわしと同じように生くるが良いぞ。そしたらおまえも幸福になれよう」
息子は「お父さんはおもしろ楽しく生きてきたのだから、
私も愉快に暮らすことにしよう」と、
父親からたっぷりもらった財産で贅沢三昧に暮らしました。
ところがもらった財産はすぐになくなり、ついに息子は乞食になってしまい、
困って父親のもとに帰り、助けてくださいと頼みました。
父親はその願いを聞き入れません。
息子は必死に父親のご機嫌をとろうとしましたが、
頑として父親は息子を受け入れません。
「私を助けてもくれない無慈悲な親なら、
なぜ、先にあんなに財産をくれたのですか。
十分なものをやるなんて言っておいて、私は今、こんなに惨めです。
あなたが言ったように、私は面白おかしく愉快に暮らしたのですよ。
おとうさんは十分な財産があったからいいけど、
私には十分でなかった。それなのにあなたは私を助けてくれないのですね。
わたしはあなたを憎みます」
息子はそう言うと父の元を去って行きました。
さて、二番目の息子にも、父親は同じように財産をわけ、
同じことを言いました。
「お前もわしと同じに生くるがいいぞ。
そしたらおまえも幸福になれよう」
彼は兄のように乞食にはなりたくないと、
もらった財産を倍にするために必死に働きました。
それでもなかなかうまくはいきません。
そこで、父親がどうやってお金持ちになれたか、徹底的にしらべて、
とにかく貯金をしますが、ためてもためてもまだ足りない気がして不安になりました。
自分のお金を使うこともできずに、貧乏な暮らしをして、
どこに行っても、父親はケチで自分にはなにもくれないといいふらしました。
そして、最後には全てに絶望して死んでしまいました。
三番目の息子にも、やはり父親は同じように財産を分けて、同じことを言いました。
『お前はわしと同じに生くるが良いぞ。
そうすれば幸福になれる。』
一番上のお兄さんは「お父さんのように生きるというこちを
自分の満足のために生きることと考えて、
そのために持っていたものをそっくりなくしてしまった。
二番目のお兄さんも自分のことだけを考えて失敗した。
さて、お父さんはどう暮らしたのだろう」
彼は父の言葉の意味をよくよく考え、そうだ!と気付きました。
父親は自分を愛し、自分のことより、子どもの幸せを考えて生きてきたのです。
つまり父が「わしのように生きなさい」と言ったのは、
「あなたの隣人を愛しなさい」ということだと気づいたのです、
このことに気が付いたとき、父親が三番の息子のところに来て言いました。
「今こそ、わしらは改めていっしょに暮してゆくことができるぞ。
そして幸福になることができる。
おまえはこれから子どもたちところへ行って、
『わしのように生きる』という言葉の意味と、
わしのようを手本にしてくらしたものは本当に幸福になれるということを話しておやり」と言いました。
そこで息子はみんなに話に行きました。
本当の幸せってなんでしょうか。
『三人の〇〇』という譬え話が大好きなトルストイは
私たちに問いかけています。
難しい理論や哲学や戦略、政治で解決しようと躍起になる前に
もっと簡単に幸せになる方法があることを
そっと教えてくれています。
本当の幸せってなんでしょうね…。
さて、これから、ロンドンに行ってきます。