今日、送別会をしていただきました。
1982年5月に挙式、カナダへの新婚旅行から戻り、
新居に入ったとたん
夫の両親から、
6月5日から仕事をするように言われました。
下町、浅草の卸問屋に嫁いだのは間違いだった?と
思ったけれど、あまりに無知だった私は言われるままに
家業の手伝いを始めました。
赤ちゃんが生まれるまでよ…と友達に言われ、
それもそうだと思っていたけれど、甘かったとわかったのは
1984年7月14日の出産後、
9月にお宮参りをしたとき、10月5日から仕事をすればいいよと
言われたときでした。
何度か夫に「私は就職しにきたのではない」と言っても
聞いてもらえず、そのまま仕事を続けてきました。
事務職なんて一番向かないと思っていたけれど、
40歳を過ぎて簿記を学び、簿記2級も取りました。
気がつけば子ども達は立派に大人になっていました。
34年が過ぎてゆき、来週、定年退職を迎える今日、
会社のみんなが送別会を開いてくれました。
製造業の弊社は今は中国青島工場で生産しているので、
最低人数で回しているため、家族のようです。
まだ働けるのに定年退職するのですか?と
取引先や銀行の担当者に随分いわれましたが、
「これから好きなことを始めます」と答えてきました。
隅田川を見下ろすアサヒビール本社ビルの「もちづき」で
東京スカイツリーを見ながらの会食は
思い出を語り合う楽しいひと時でした。
よく頑張ってきたと感無量。
季節のお料理はどれも美しい夏の器に
色よく盛られ、
素材を生かして美味しくいただきました。
アサヒビール本社ビルのレストランでしか飲むことのできない
特別の琥珀ビールがお料理を引き立てます。
季節の炊き込みご飯は、土鍋に鯛が丸々炊き込まれていて
風味豊かな美味しさでした。
母が亡くなった44歳という年を超えられないと、ずっと思ってきました。
その年を越したとき、ホッとしながらも
60歳になることは想定できませんでした。
記念品もいただき、感無量。
今日、空に浮かぶ白い雲を眺めていると、
浅草で過ごした17年間と墨田で働いた17年間の
大変だった場面が浮かんできました。
思い通りにいかないことばかりと思って、
唇を噛み締めたことも幾度もありました。
新聞に投稿したこと、
懸賞論文で入賞したこと、
小説を書いたこと、
夢の実現をするために、がむしゃらに頑張ってきた日々を
懐かしく思うときがきました。
そして、次のステージに上がっていきます。
私を解き放ってくれてありがとうと夫(社長)に感謝しています。
そして、これからは、嫌なことを後回しにして
好きなことだけをしていこう、と、
ふと、思いました。
夢を表す黄金のモチーフのある
ビルが取る壊されるというお知らせを見ました。
ここにも、ひとつの時代のピリオドが打たれます。
大暑の日が過ぎてゆきます。