「母」という小説はご主人の三浦光世さんのたっての願いで執筆された本だそうです。
共産主義者、プロレタリア文学の旗手と呼ばれる小林多喜二。
彼のことを綾子さんはほとんど知らなかったので、
最初は戸惑いますが、
多喜二の母が受洗した人と聞いて、
同じ信仰の視点を持つ人ことなら書けると思い、
取材を始めたそうです。
「蟹工船」の作者として有名な小林多喜二は
心臓麻痺で亡くなったと最初は母親に伝えられました。
ところが、その遺体には驚くべく拷問の後がありました。
首や手首にはロープで縛りつけた跡があり、
下っ端から両膝まで、墨と赤インクを混ぜて塗ったかのような色をして、
パンパンに腫れていて、
全ての指は折られていました。
大館から小樽に移住しても、貧しい家庭には変わりませんでしたが、
多喜二の家には愛が満ちていました。
明るい家庭でした。
仲の良い両親のもとで多喜二はお金はなくても、
心を満たされて育ちました。
暗い内容の小説なのに、どこか明る光が見えるのは
多喜二が愛に包まれて成長していったからだと思います。
優しい親思いの息子が、突然、殺されたら、
母親はどう考えればいいのでしょう。
寝ても起きても、息子の死を思っては、
何度、涙を流したことでしょう。
どんな慰めの言葉も届かないことでしょう。
セキさんは忍耐強い東北の女性です。
なんで…という思いをぐっとこらえて、
ひっそりと生きていきました。
あとがきで三浦綾子さんはこう書いています。
…‥…‥ 私の心をつき動かしたものは、多喜二の死の惨めさと、
キリストの死の惨めさに、共通の悲しみがあることだった。
もし多喜二の母が、十字架から取りおろされたキリストの死体を描いた
「ピエタ」を見たならば、必ずや大きな共感を抱くにちがいないということだった。
( 略)
三浦は言った。
「多喜二の母は、息子を殺されて、
白黒をつけて下さる方がいるのか、いないのか、
どんな切実にそのことを思ったのではないだろうか。
その切なる思いを何とか書いて欲しい」 三浦は真剣だった。…………………
20数年前、図書館で借りて「母」を読んだ時も涙がとまりませんでした。
6年前、塩狩峠にある三浦綾子記念館で「母」を買いました。
そして、その足で小樽に行きました。
今回、映画化されると聞き、再び、読みました。
私の二人の息子は多喜二が亡くなった年を過ぎていきます。
セキさんの思いがもっと近く感じる年になっていました。
どんなに辛く、悲しいことがあっても、
人に言えない苦しみがあっても、
皆、自分の人生を生き抜くしかないと思います。
その悲しみは誰にもわかりません。
でも、隣にいて、手を差し伸べて、
涙を流すことはできます。
セキさんは近藤牧師という愛に満ちた牧師と出会い、
イエスさまの生き様を知ることで、誰かれを責め続けることなく、
穏やかな晩年を迎えることができました。
昨日、映画のエキストラとなり、近藤牧師と数人の信者で
セキさんの家の家庭集会を持っているというシーンの撮影をしました。
念願の映画化、メガホンを握るのは女性監督最高齢 84歳 山田火砂子監督。
主演の寺島しのぶさんはその場にはいませんでしたが、
牧師役の山田馬木也さん、チマ役松本若菜さんと演技しました。
一瞬、心は昭和20年に飛んでいたかもしれません。
再び、あの暗黒時代に陥らないようにと祈りました。
アーメンと唱和したとき、不思議な思いになりました。
特高警察の卑劣さを小説に書いた多喜二は
「あいつだけは許さない」と激怒した特高警察によって殺されたのです。
裁判もなく…
こんなことは決してあってはいけないことですが、
私たちの知らないところで、
ヒタヒタと昔と同じ道を進んでいるのではないかと思います。
近年、「蟹工船」が見直され、多くの若い読者を得ました。
生涯、母親に愛された小林多喜二と、
生涯、母親に愛されたくて仕方なかった太宰治。
二人の小説家を比べてみた若き日を、ふと思い出しました。