ベトナムから帰って一週間が経ち、日常生活に戻っていたところに、
カトリーヌ・ドヌーブ主演1992年公開の映画です。
全編ベトナムでにロケをした大作。
49歳のカトリーヌ・ドヌーブ、美しいです。
ネタバレを含むあらすじは…
時は、1930年代。舞台はフランスの支配下にあったインドシナ半島東部。
人々は一部のマンダリン(特権階級)を除いて、虐げられ貧しい暮らしをしていました。
苦しい暮らしの不満から植民地政策への不満も募り、
インドシナ生まれのフランス人女性エリアーヌは、
安南の王族の友人夫妻を飛行機事故で亡くし、一人娘の遺児カミーユを養女とし、
友人の遺産である広大なゴム園の経営を引き継ぎ、そこの女主人となります。
エリアーヌは老父と暮らし、結婚には至らず、独身を通し、カミーユを愛し、成長を見守り、
ゴム園を彼女に引き継ぐために、非情なことも厭わず、経営に辣腕をふるっていました。
そんな彼女の前に年下のフランス海軍士官ジャン=バティストが現れ、
二人はまもなく恋に落ちますが、激怒した父親が介入し、二人の恋は終わります。
ある日、美しく成長した養女カミーユが、街中で発砲事件に巻き込まれて、
意識を失った時、偶然通りに居合わせたジャン=バティストが彼女を助けます。
意識を取り戻したカミーユはジャンに一目惚れ。
「運命の人」と熱烈に愛してしまいます。
カミーユのことでエリアーヌはジャンを責めます。
口論となり、公衆の面前で、エリアーヌはジャンを殴り、
ジャンはエリアーヌの顔を平手打ちします。
この不祥事の責任を取らされ、ジャンは僻地に左遷されてしまいます。
恋するカミーユは許嫁のタンと結婚式を挙げた後、タンに事情を説明し、
承諾を得て、ジャンを追いかけていきます。
タンもまた、特権階級でありながら、革命に身を投じる覚悟をしていました。
ようやくハロン湾にあるドラゴン島に辿りついたカミーユが目にしたのは、
ここまで来ると途中、知り合い、助け合ってきた親子が引き離され、
抵抗したという理由で妻と子どもが拷問されている姿でした。
そこはフランス軍の統治による奴隷売買の拠点でした。
怒り燃えたカミーユはフランス将校を撃ち殺してしまいます。
殺人者となってしまったカミーユを連れて、
小さな帆船でジャンはハロン湾を彷徨い、逃亡します。
もはやこれまでと思った時、船は島の一つに流れつきます。
そこには共産主義地下組織があり、彼らに匿われることになりました。
自由に動ける旅芸人一座に身を隠した二人は、夫婦となり、カミーユは身ごもります。
噂はエリアーヌにも届くようにまりました。
カミーユは密かに男の子を産み落とし、ジャンは息子にバプテスマを受けさせた
まさにその時、兵士に見つかり、連行されてしまいます。
本国フランスで裁判にかけられることになり、
サイゴンに連れてこられたジャンは最後の望みとして、エリアーヌに会います。
翌朝 エリアーヌが訪ねてみると、息子と並んで寝ていたジャンのこめかみに銃弾のあと。
自殺と見せかけた暗殺でした。
エリアーヌはジャンがエティアンヌと名付けた息子を引き取り、育てます。
カミーユも逮捕され、5年後に恩赦で釈放されますが、
すっかりコミュニストとなったカミーユは母として生きる道を拒み、
独立運動に身を投じていきました。
エリアーヌはエティアンヌの安全を考え、生まれ故郷インドシナを離れ、
祖国フランスに戻ります。
時は流れて、1954年、ジュネーブ。
エティアンヌは母カミーユに逢いにホテルまで行きますが、
結局、名乗りもあげずに、エリアーヌの元に戻ってきました。
「僕の母は、エリアーヌ、あなただけ」というエティアンヌ。
エリアーヌの心に向来した思いは何だったのでしょうか…
静かな湖畔でのシーンで大河ドラマの幕が閉じます。
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“インドシナ”2時間40分の大作です。
ベトナムに行く前に観るか、帰ってから観るか、悩みましたが、
帰ってきてからで良かった!
ハロン湾のシーンは深く心に残りました。
ジャン=バティストはずばりバプテスマのヨハネの名前。
彼が息子にバプテスマを授けるシーンは印象的でした。
海外に行く時はその国の歴史も学んで行きたいという
お年頃になったのだなぁとふと思いました。