港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.154 宮沢賢治とタッピング宣教師夫妻

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台風19 号は甚大な被害をもたらしました。

亡くなられた方の御霊が安かれと祈ります。

今なお不便な生活を強いられていらっしゃる方々が

1日も早く平常に戻れますようにと祈ります。

台風の翌日、澄み切った青空に浮かぶ

富士山の姿は雄大でした。

 

自然は豊かな恵を与えてくれる一方、

恐ろしい脅威になる事を改めて思いました。

大いなるものを敬う心を忘れてはいけないと思いました。

そんなとき、再び、宮沢賢治に思いを馳せました。

 

 

宮沢賢治は生涯、熱心な法華経は信者でした。

しかし、彼の作品の中には聖書や讃美歌の言葉が出てきます。

特に『銀河鉄道の夜』は「キリストの香り」が漂う作品です。

 

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私は小学生の頃は『雨ニモ マケズ』に書かれている人はイエス様のことで、

賢治はイエス様のようになりたいのだなあと思っていました。

 


中高生となり、宮沢賢治の人となり、また文学史を学び、

彼が熱心な法華経信者であったことを知り、

そうだったの?とびっくりした記憶があります。

 


そして、彼がいつ、どこで聖書を学んだのかという事を知って、

私はまた驚きました。

 


彼に影響を与えた人物の一人に

アメリカンバプテストから派遣された

宣教師 ヘンリー・タッピングがいる事を知りました。

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ヘンリー・タッピングは1895年、

アメリカ・バプテスト派教会の宣教師として夫妻で来日しました。

ヘンリーは、のちに関東学院となる東京学院の英語教師となり、

妻のグネビアは翌年、東京築地居留地の自宅を開放して築地幼稚園を開設し、

1897年には保母の養成を開始します。

この養成所は、日本の保育の礎となり、

後に東京保姆伝習所今の彰栄保育福祉専門学校に発展します。

 

 


1907年、夫妻は盛岡バプテスト教会へ赴任します。

ヘンリーは教会で牧会をする傍ら、盛岡中学で英語を教えます。

その中に宮沢賢治がいました。

賢治は盛岡農林高等学校1年のとき、

友人を誘ってタッピング宣教師の聖書講座を受講しました。

 


ライプチヒで本格的に音楽を学んだ経歴を持つ妻グネビアは、

岩手県最初の幼稚園である盛岡幼稚園を設立しました。

ニューヨークからピアノを取寄せ、

今でいう「リトミック」でしょうか、

自ら曲を弾いて園児に自由なリズム表現を指導するなど、

個性を尊重した進歩的な保育を実践しました。

当時の園児に大女優の故長岡輝子がいました。

二人は東北の地に新しい風を吹かせ、

多くの人たちに福音を伝えました。


その後、夫妻は1922年に横浜に赴任となり、

1927 年の宣教師を引退するまで、日本キリスト教保育に貢献しました。

晩年は一家をあげて賀川豊彦の宣教と福祉事業を支援し、

米国に向け広く紹介しました。

そして、帰国することなく、日本で没しました。

 


二人息子のウィラードは幼い頃より、聖書を学び、長じて、

瀬戸内海の伝道船、「福音丸」のビッケル船長の娘エバリンと結婚し、

ビッケル船長亡き後も、意志を継いで福音丸の伝道を続けました。

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私が小学生のとき、福音丸は小林船長さんが伝道を継承していました。

島々を巡って子どもたちに紙芝居を通して 聖書の話をしていました。

私は毎年、紙芝居を作って送りました。

ああ、こうして、私へ繋がっていたのだと感動しました。

 


子どもの時には、わからなかったことが、

大きくなると意味や繋がりがわかるようになるものだと知りました。

 


数年前、タッピング一族が葬られている多磨霊園

外国人宣教師墓地の草刈りに行きました。

日本のために尽くして、

祖国に帰ることできなかった宣教師と家族の事を思いながら、

夏草を刈り込みました。

 


さて、宮沢賢治は死期迫る1ヶ月前の8月に

タッピング一家を詩に書いています。

 

 

 

 

            岩手公園

      「かなた」と老いしタピングは

       杖をはるかにゆびさせど

       東はるかに散乱の

       さびしき銀は聲もなし

 


         なみなす丘はぼうぼうと

         青きりんごの色に暮れ

         大學生のタピングは

         口笛軽く 吹きにけり

 


       老いたるミセスタッピング

      「去年(こぞ)なが姉はこゝにして

       中學生の一組に

       花のことばを教へしか」

 


        孤光燈(アークライト)にめくるめき

        羽虫の群のあつまりつ

        川と銀行木のみどり

        まちはしづかにたそがるゝ

 

今でも、岩手公園の詩碑があります。

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散策中のタッピング一家に遭って、感銘を受けたのでしょうか。

元気だった昔の自分を思い出したのでしょうか。

美しい情景が浮かんでくる詩です。