港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.159 《ブラザーサン シスタームーン 》

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カトリック教会第266代ローマ教皇フランシスコがい本日、いよいよ来日されます。

アルゼンチン出身の82歳のフランシスコ教皇様が広島・長崎を訪問され、

何を語られるか、興味が尽きません。

まさにこの時、ツタヤディスカスから 

『ブラザーサン シスタームーン』のDVDが届きました。


アッシジのフランチェスコの若き日を描いた

1972年製作のイタリア・イギリスの合作映画で、

私は多感な高校2年生で映画館で観ました。

 

この映画が描く修道士がアッシジのフランチェスコだとも知らずに、

ドノヴァンの音楽に酔いしれ、フランチェスコを演じるグレアム・フォークナーに恋をし、

クレア役のジュディ・バウカーのようなロングヘアに憧れていました。

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監督は『ロミオとジュリエット』のフランコ・ゼフィレッリです。

綺麗な映像の青春映画ともいえます。

 


今回、改めて良く映画を観て、思う事がたくさんありました。


あらすじです。

イタリア アッシジに住む商人ピエトロとピカの一人息子フランチェスコ

陽気で悪戯っ子で、仲良しの4人組で青春を謳歌していました。

18歳の時、ペルシアとの戦争が起こり、彼らは意気揚々と戦場に向かいますが、

凄惨な戦いぬ敗れ、フランチェスコは熱病に冒されながも、

なんとか家に戻ってきました。

数週間、生死をさまよった末、ある朝、窓辺の小鳥の声に目を覚ましたフランチェスコに、

大きな変化が起きていました。

自然の美しさ、素晴らしさに目を向け、

次第に周囲の貧困に中で働く者達、老いた人、障害を持つ人、病に苦しむ人たちの多さに

裕福な家庭に育ち、何も知らず、考えずに生きてきたフランチェスコは衝撃を受けます。

父の店にある高価な布を窓から投げ、施し、

挙句に自分が着ている服を脱ぎ、両親に返し、

「もうあなたの息子ではありません。大切なものは富ではなく、心です。

これからはキリストのように生きます」と宣言し、裸で城門を出ていきます。

 

f:id:tw101:20191123090730j:image フランチェスコの両親 

 

 

そして、荒野にある廃墟になったサン・ダミアン教会に住み、

社会の弱者と共に教会再建を目指します。

十字軍に参加して戻ってきた英雄となった親友も、

昔の友人もフランチェスコの勇気ある姿に心を打たれ、協力を申し出、

フランチェスコを慕う貴族の娘クレアも髪を切って仲間に加わります。

 

f:id:tw101:20191123090918j:image 美しいシスタークレア

 

ところが、彼らのする事に反感を持っている司教の陰謀により、

サン・ダミアン教会は焼きうちにあい、仲間の一人が殺されるに及び、

フランチェスコは自分のしていることの是非を問いにローマ法廷に請願に行くのです。

ローマ教皇インノケンティウス3世に謁見を許されます。

 

 

ボロを纏う集団に司教たちは目をひそめます。

エスのように清貧に生きる彼の姿にいたく心を打たれた教皇は跪き、

フランチェスコの足に口づけします。

 

f:id:tw101:20191123090904j:image 名優アレックス・ギネスの教皇

フランチェスコは故郷に戻り、鳥が歌い、

小川がささやくアッシジで貧しくとも心豊かな修道の生活をして、

聖人と呼ばれるようになっていきました。

 

フランチェスコは小さき兄弟団を作り、隠遁するのではなく、

例えばハンセン病患者の世話をするなどの社会へに働きかけを進めていきました。

彼の思想を良く表したものに、死の床で歌ったとされる「被造物の賛歌」があります。

そこでは太陽・月・風・水・火・空気・大地を「兄弟姉妹」として主への讃美に参加させ、

死までも「姉妹なる死」と迎えました。


フランチェスコ自身の中で清貧と自由と神の摂理は固く結びつき、

三者が調和してこそ、簡素で自然で純朴な、

明るい生活を営むことができると考えていたのです。

日本人の私たちには、良くわかる思想ですが、

西洋人としては珍しく自然と一体化した聖人です。

人類すべてのみならず、天地の森羅万象ことごとく、兄弟姉妹なのです。


この映画の 『ブラザーサン・シスタームーン』のタイトルが示すのは、

まさにこの思想です。

 

最近、前にもまして、空を見上げるようになってきました。

朝焼けの美しさ、青い空に流れる白い雲、

星々の煌めき、をゆっくり観ていると心が和みます。

 

すべてみな、神の創造物なのだなあと思うことが多くなりました。

 


今日、来日されるフランシスコ教皇(日本ではイタリア語のフランチェスコでなく、

フランス語フランシスコでお呼びしています)はご自分で『フランシスコ』をお選びになりました。

意味深いと思います。


さて、有名な《フランシスコの平和の祈り》は

実はフランチェスコ本人に作ではなく、

1912年にフランス語で書かれたものだそうですが、

博愛と寛容の精神を逆説で説く内容はフランチェスコの精神をよく表現されていて、

映画の中でも引用されています。

 

 

        …フランシスコの平和の祈り…
 主よ、わたしを平和の器とならせてください。

  憎しみがあるところに愛を、

  争いがあるところに赦しを、

  分裂があるところに一致を、

  疑いのあるところに信仰を、

  誤りがあるところに真理を、

  絶望があるところに希望を、

  闇あるところに光を、

  悲しみあるところに喜びを。


 ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。

  理解されるよりも理解する者に、

  愛されるよりも愛する者に。

  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、

  許すことによって赦され、

  自分のからだをささげて死ぬことによって

  とこしえの命を得ることができるからです。…


美しいイタリアの景色を見るだけでも、楽しめる映画です。

オススメです。