ラッセの父親である編集長ブロンベルクとキッパリ別れたアストリッドは
愛息を連れて実家の農場に戻ります。
育児は苦手だけれども、遊びの天才!
干し草にトンネルを作る方法や、
石壁の上でバランスを取る方法、
草むらに寝転がり雲の形を見る方法を熟知して、
一緒に楽しく、ラッセと遊びました。
そもそもアストリッド自身が両親の愛をたっぷり受けて
自由奔放に育てられ、人生の中で一番楽しかった子ども時代を
ラッセにも十分に味わって欲しかったのでしょう。
4歳のラッセにとって楽園の日々でした。
そして、アストリッドに再びロマンスが訪れます。
勤め先に上司である9歳年上にステューレ・リンドグレーン。
詩を贈ってくれるロマンティックな文学青年は、
アストリッドにメロメロになり、妻子と別居、離婚とトントン拍子に進み、
1931年4月に実家で結婚式をあげました。
ストックホルムに新居を構えて、
農場に暮らすラッセを引き取り、
ようやく落ち着いた生活が訪れ、
1934年には長女カーソンが誕生しました。
二児の母になっても破天荒さを失わないアストリッドは、
子どもたちと本気で遊ぶ中で、
後の創作の源となる遊びの経験値を高めていきました。
1941年冬、はしかにかかって何日も寝込んでいた7歳のカーソンに、
請われて即興で作った話が「長くつ下のピッピ」でした。
アメリカの女流作家ジーン・ウェブスターの
小説『あしながおじさん』PAPPA LÅNGBEN
という名前をヒントに PIPPI LÅNGSTRUMP
『ナガクツシタのピッピ』を思いつくなんて、本当に楽しい人だと思います。
孤児ながら『あしながおじさん』に身染められ、
高等教育を受けたのち、自立しそうで、結局「あしながおじさん」と恋に落ち、
幸せな結婚をしたジルーシャ・アボットの幸福感とは、まるで異なるピッピ!
支配することも、支配されることも望まず、
ただ自分の思う「善」のために力を出すピッピはこれまでの
ヒロイン像とは全く異質なものでした。
「長くつ下のピッピ」を本にまとめようとして、
出版社からの返事を待っている最中、
夫のステューレから他に好きな人ができたから離婚してほしいと切り出されます。
なんということ!一気に生活不安が押し寄せます。
子どもと一緒の時間を大切にしようと専業主婦をガンバってきたけど、
所詮、男まかせの幸福なんてはかないものだと、
経済的にも自立するために、物書きとして生きることを決意、
「ブリット-マリはただいま幸せ」で出版デビューを果たしました。
翌年、浮気相手と別れて家に戻ってきたステューレを尻目に、
アストリッドは作家の道をひた走ります。
1945年、『長くつ下のピッピ』は出版社の金賞に輝く栄誉を勝ち取りました。
37歳になっても、子ども心を失わないピュアな作風は
子どもたちに圧倒的に支持され、ピッピの続編、
『名探偵カツレくん』『やかまし村の子どもたち』を立て続けに出版し、
あわせて10万部を売り上げ、4つの文学賞を受賞し、
児童文学作家アストリッド・リンドグレーンの名を不動のものにしました。
子どもたちは次第に育ち、手を離れ、酒に溺れた夫ステューレは
ほとんど家に寄り付かなくなりますが、
アストリッドの快進撃はとまらず、著作は16冊を超え、
小さな出版社は国内有数に出版社に育てました。
1952年に夫と死別。
1960年代に孫たちが生まれ、
孫世代がアストリッドの遊び友達となりました。
1963年から始まった「エーミル」シリーズは
カンシャク持ちの3歳の孫の興味をも引くほどのいたずらっ子が主役。
アストリッド作品をむさぼり読んだ子どもたちが大人になる頃には、
彼女はスウェーデン国民のヒロインになっていました。
作家だけにとまらず、アストリッドは社会運動家としても
大きな仕事をしていました。
1978年ドイツ書店協会平和賞授与の受賞スピーチ
「暴力は絶対にだめ」で彼女の最も言いたいことを伝えました。
暴力と権威主義、とくに、
子どもたちが最も被害を受ける家庭内暴力の問題についてでした。
主催者側からあまりに挑発的を見なされ、
内容の変更を求められましたが、決して妥協せず、
このスピーチなしでは授賞式に出ないとまで言い、名スピーチはなされました。
少し抜粋します。
………さて、もしわたくしたちが、暴力に頼ったり、手綱を引き締めたりせず、子どもを育てたならば、永遠の平和を実現しうる新しい素質を持つ人間を生み出すことができるでしょうか?
そんな単純なことを望むのは、子どもの本の作家だけですって⁉︎
それが実現するのは、ユートピアだけなのだと、わたしにも分かっています。
それにもちろん、わたしたちの病んだ悲惨な世界が、平和を達成するためには変わらなくてはならないことは、他にもたくさんあります。
けれども、現時点で戦争が起こっていなくても、世界には理解できないほど残忍なことや、暴力、圧制があふれていて、子どもたちは、そのことについて間違いなく無知ではいられないのです。
子どもたちは日常的に見たり、聞いたり、読んだりして、ついに暴力は、当たり前に起こるのだと思うことでしょう。
ですから、物事を解決するには暴力以外の別の方法があることを、わたしたちはまず自分の家で、お手本として示さなくてはならないのです。
「暴力は絶対にだめ!」ということを思い出すために、台所の上に石を置いておくのは、子どもたちとわたくしたち自身にとって、いいことではないでしょうか。
そうすることで、もしかすると、少しずつではあっても、世界平和に貢献できるかもしれません。…
このスピーチをきっかけにスウェーデンでは
子どもへの体罰を禁止する法律が世界に先駆けて成立しました。
アストリッドは旺盛に社会運動にコミットし続け、
慈善組織だけでなく、クルド難民の少女、障害や病気をもつ子ども、
ありとあらゆる人に多額の金銭援助もしました。
1986年、最愛の長男ラッセを癌で亡くし、
一旦は悲しみにくれますが、生きる元気は衰えず、
80歳まで木登りし、ひ孫とも力いっぱい遊び、
「いたずらっ子」は90歳近くになっても健在でした。
2002年、アストリッドはカーソンに看取られ、
94歳で息を引き取りました。
2015年、スウェーデン紙幣で一番よく使われる20クローネに
アストリッドの肖像とピッピが描かれ、
国民的大作家はより身近になりました。
スウェーデンには親しいお友達もたくさんいるので、
いつか、アストリッドが遊んだ風景を訪ねていきたいと思いました。