港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.169 『ある男』かかる日のかかるひととき

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武者小路実篤の自伝的小説「或る男」

有島武郎の傑作「或る女

高校生の頃、好んで読んだものです。

そして先日、平野啓一郎氏著「ある男」を読み終えました。

「或る」でなく「ある」と平仮名であることに今どきを感じます。

 


作家デビューして20年の平野啓一郎氏はご自身の公式サイトの中で、

読者へのメッセージとして以下のように書いていらっしゃいます。

 


…小説家としてデビューしてから、今年で二十年となりますが、『ある男』は、今僕が感じ、考えていることが、最もよく表現出来た作品になったと思っています。例によって、「私とは何か?」という問いがあり、死生観が掘り下げられていますが、最大のテーマは愛です。それも、前作『マチネの終わりに』とは、まったく違ったアプローチで、今回はどちらかというと、城戸という主人公を通して、美よりも、人間的な〝優しさ〟の有り様を模索しました。

 


「ある男」とは、一体誰なのか?なぜ彼の存在が重要なのか? 是非、ゆっくりこの物語を楽しんで下さい。…

 

 

 

 


あらすじです。

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。宮崎に住んでいる里枝には2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。

ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。

人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品。

 

 

 

私は平野啓一郎氏の著作は大好きで、

特にショパンの人生を描いた『葬送』を読んでから、

パリ・マドレーヌ寺院の入り口に立った時、さーと頬を撫でていく風を感じ、

ショパンのお葬式の列に並んでいるような不思議な気持ちになったことを

思い出します。

生き生きとした描写から情景が目の前にはっきりと浮かび、

風や匂いまで感じられる文章は魅力があり、大ファンです。

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最近映画化された『マチネの終わりに』も感動しました。

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さて、私は「人の一生とは何だろうか」といつも考えて生きてきました。

「いかに生きるか」という問いを持ち、聖書はもちろん、

難しい哲学書や純文学を読み漁っていた10代。

結婚、出産を経験し、命の尊さを思い、

人生の意義をしみじみ思った20代。

乳幼児から子どもへと育ち、手を離れていく寂しさを感じ、

さあ自分の人生どう生きるかを考えまくった30代。

思春期から青年期へ成長する息子たちを見守りつつ、

会社の仕事と学校役員で家事で頑張りすぎ、

「いかに生きるか」など考える間もなくなった40代。

子育ても終わり、息子の結婚、孫の誕生と充実期を迎えた50代。

そして、還暦を過ぎて、今、私は「残りの人生」を

どう生きるかと考える年を迎えました。

 


『ある男』に描かれた登場人物一人ひとりの人生を垣間見て、

「自分」は何者で、過去はどれほどの意味があり、

人を愛するってことはなんだろうと、

10代の時に感じた思いが再び蘇ってきました。

 


何を大切に生きるは人それぞれ異なっていきます。

結婚したときは、価値観も同じ、

片時も離れていたくないほど側にいたい!

絶対、一生一緒にいたい!思っていてもだんだんと

その気持ちは薄れて、熟年離婚ということも多々あります。

 


「ある男」は自分の過去を消して、別人として生きました。

彼はいったい何者だったのか

なぜ別人として生きなければならなかったのか、

どうやって別の人生を歩めるようになったのか、

 

生前の「彼」に会ったことのない弁護士は過去を探っていくことで、

自分とは何かを考えるようになっていきます。

そして読者も城戸弁護士と同じように、

自分はどう生きているかという思いになっていきます。

 

 


ネタバレですが、城戸は家族で東京スカイツリーを訪れるシーンがあります。

ストーリー展開には関係のない章のように見えますが、

ここにとても印象残る言葉が書かれています。

 

 

…昔、何かの小説で読んだ「ああかかる日のかかるひととき」という嘆声が脳裡を過った。

誰の本だったかは、どうしても思い出せなかった……

 


「ああかかる日のあかかるひととき」

読んだ瞬間に

この言葉を好んで使った高校時代をはっと思いだしました。

大好きだった梶井基次郎城のある町にて」の中にある

短編「ある午後」に出てくる言葉です。

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ずっと忘れてた言葉を読み、あのときの鮮やかな感情が蘇ってきて、

驚き、最終ページを読み終わったとき、

私も自分の人生を「かかる日のかかるひととき」を

大切にして過ごそうという思いが込み上げてきました。

 


携帯電話はなく、写真を撮ることもなく、

SNSで発信することもなかった時代、

この景色を心に刻んでおこうと意識していました。

 

今でもふと思い出す「かかる日のかかるひととき」は

真珠の光沢を放ち、一つひとつの思い出の真珠に糸を通して、

綺麗な首飾りとなっている…そんなイメージが膨らみます。

 


これからどれだけ「かかる日のかかるひととき」を

過ごしていけるのかしらと思います。

 


今年初めて池に凍りが張りました。

サクラダファミリア 横浜駅はもうすぐ駅ビルが開店します。

 

そして鶴屋町に44階のビル建設が始まっています。

大きく変わる横浜駅西口。

 

ここから見渡す景色も

5年後は全く違うものになっていることでしょう。

 

 

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今日起きる一場面が「ああ かかる日のかかるひととき」となり

良いおもいでになりますように。