港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.172 映画「僕はイエス様が嫌い」なるほどね!

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昨年 公開された映画「僕はイエス様が嫌い」

この衝撃的なタイトルに引き寄せられながら、

残念にも劇場で観ることができませんでした。

リクエストしていたDVDが

ツタヤディスカスから、実にタイムリーな

暇な日々に、届きました。

 

 


まずは、あらすじです。

 


小学5年生の少年由来(ユラ)は、

夫に先立たれ、

一人になった祖母と暮らすために、

両親と共に、東京から雪深い地方都市に引っ越し、

家の近くにあるプロテスタント系ミッションスクールに

アドベント2週目、

クリスマスを目の前にして転校してきました。

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東京の「普通の小学校」に通っていたユラは

いきなり「朝礼」でない「礼拝」で聖書の言葉やお祈りを聞き、

驚き、戸惑います。

それでも次第に新しい習慣に慣れていきました。

ある日、お祈りをするユラの目の前に、

床下の小人のアリエッティくらいの大きさのイエス様が現れました。

 

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その可愛らしいイエス様に「友達ができますように」と祈ると、

和馬というサッカー大好きな同級生と友達になれました。

 

「少しお金が欲しい」と祈ると、

おばあちゃんが亡くなったおじいちゃんのヘソクリ1000円を見つけ、

ユラにくれました。

 

続けて願い事が叶い、ユラはイエス様の力を信じていきます。

ユラと和馬はサッカーを一緒にしたり、流星群を見たり、

友情を深めていきます。

 

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親友となった和馬の母はクリスチャンで、

よく笑い、よく祈る人でした。

和馬の別荘を訪れ、

雪景色の中で楽しくクリスマスを過ごしていきます。

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でも、ある日、突然に…

エス様を信じられなくなる出来事が起きました。

 

 

 


映画の監督奥山大史さんは、

この映画で第66回サンセバスチャン国際映画祭で

最優秀新人監督賞を史上最年少(22 歳)で受賞、

第29回ストックホルム国際映画祭最優秀撮影賞も受賞しました。

青山学院初等部から大学まで学んだという奥山さんのイエス様への思いが、

ユラを通して描かれているのかもと感じました。

 

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ここからはネタバレを大いに含む感想になりますので、

まだ結末をご存知でなく、

これから映画を観たい方はご遠慮いただき、

ご覧いただいてから、お読みください。

 

 


神様なんていないさ!

エス様を信じているけど、

最後まで信じて大丈夫なのかなあ!

やっぱりイエス様なんて助けてくれないじゃないか!

 


せっかく親友になった和馬が交通事故に遭い、

生死を彷徨うとき、クラスの皆で良くなって…という祈りをしたけど、

祈りは聞き届けられませんでした。

 


いつも笑顔だった和馬のお母さんも涙にくれ、

その顔からすっかり笑いはきえてしまっていました。

 


母親に手直しされた模範的作文の弔辞を読んだユラが

祈りをしようとした、その時、

説教台の上に置かれた大きな聖書の上にイエス様が現れます。

ユラは祈りために組んだ両手をイエス様に打ちつけ、

小さなイエス様を消し去ってしまいます。

 


「理不尽」この言葉を知らずとも、

この言葉の意味を知ってしまったユラは、

信じようとしたイエスに裏切られたような気がして、

「僕はイエス様は嫌い」と思ったのでしょうか…

 


私がユラのように「理不尽」という思いを知ったのは、

祖母を卒中で亡くした7歳の時でした。

直前まで元気で食事の後片付けをしていた祖母が

突然バタンと倒れ、大きないびきをかきはじめました。

驚いた母が電話をして、主治医が駆けつけてくるまで、

私は隣の部屋で必死で祈っていました。

「天のお父様、どうか、お願いです。おばあちゃんを助けてください。

 死なせないでください!お願いです。

 私の命の半分をささげますから、おばあちゃんを死なせないで!」

幼いながら、生まれて初めての必死の祈りでした。

おばあちゃんがしてくれたこと、言っていたことが

涙と一緒にあふれてとまりませんでした。

 


主治医が手当てしているうちに、

いびきが消えて静かになりました。

あ、治ったのかなと思い、台所に行くと、

主治医が臨終を告げていました。

 


血の気のない呆然とした母の顔をよく覚えています。

 


あれだけ祈ったのに、神様は私の祈りをきいてくれなかった…

「なんで神様、おばあちゃんを助けてくれなかったの!」

7歳の私は初めて「失望」「理不尽」という思いを知りました。

そして、神様は人と「命の取引をしない」ということを知りました。

 


9年後、母がくも膜下で倒れた夜も、必死で祈りました。

「ママを助けてください。お願いです。死なせないでください」と。

そして、16歳の私はそれだけでなく、

「イエス様、お願いです。私を強くしてください。

何が起こっても私を強くしてください」と祈っていました。

 


映画を見ていて、祖母と母を亡くした時の祈りを思い出しました。

 


最後に「この映画を、若くして亡くなった友に捧げる」というテロップで

監督自らの体験は、みずみずしい感性の中で結晶となったのだなあと

思いました。

 


さて、この映画は音楽が心に響きます。

全てが讃美歌です。

「丘の上の教会」で始まり、

「主イエスと共に」で終わります。

 

そして

讃美歌は時に力強く、時に悲しみを込めて流れます。

 

 


♫主よ終わりまで

♫天にはさかえ

♫Jesus loves me

♫Abandoned gloria

♫きけや愛の言葉を

 


何度か通っていた浅草橋教会の皆さんも

讃美歌合唱に参加されていると知り、

身近に感じました。

 


チャド・マレーンのイエス様は愛敬があって

可愛くてマスコット人形みたいで、

見ていて思わず笑ってしまうシーンもあります。

 

ああ、そうか!

エス様はこうやっていつも私のそばにいていてくれるのね…

とニヤリとしてしまいました。

 

キリスト教の祈り、信仰、礼拝がわかりやすく描かれ、

押しつけがましさがなく、とても共感を得ました。

 

英題はズバリ“Jesus "

 

日本の日常生活の中で

なかなか描くのに難しいイエス様を

「障子の穴」を通してみるように

こっそりに見せてくれる映画だと思います。

 

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