港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.200 一遍上人⑧《踊り念仏発祥の地へ》

f:id:tw101:20200910120116j:image

 


満天の星を観たいと思い立ち、

急遽、お友達と八ヶ岳グレイスホテルに宿を取り、

★星空観測ツアー★を企画しました。

生憎、雨模様。

晴れ女パワー全開でも、小雨の降る一夜でした。

残念無念。

 


気を取り直して、

翌日、同行お友達と別れ、一人レンタカーを駆り、

一遍上人 踊り念仏発祥の地を訪れました。

 

f:id:tw101:20200910115851j:image

 


「佐久 踊り念仏」とGoogleで調べてると、

「西方寺」が佐久市ホームページにトップで出てきます。

跡部踊り念仏保存会」の手により、

現在、佐久市内で受け継がれている西方寺の踊り念仏は、

国の無形重要文化財指定されていて、

例年、4月第一日曜日に本堂内道場で踊り念仏が行われています。

西方寺の宗派は浄土宗。本尊は阿弥陀如来です

f:id:tw101:20200910115037j:image

 

f:id:tw101:20200910115042j:image


「遊 捨て聖 一遍上人 踊り遊ぶ」を携えての表敬訪問。

朝9時半、幸運なことにお出かけ前の住職さんにお目にかかれました。

 


一遍上人と踊り念仏ことをお聞きしました。

お出かけ前の忙しい時に関わらず、お話して下さいました。

「きれいどころを連れて、善光寺帰りの一遍さんが、

このあたり、あちこちで踊り念仏を踊っていたけど、

だんだん忘れられてしまったとこもあったりしてね、

残っているのが、うちと金台寺さん。

あ、ちょっと待ってね。」

 


とおっしゃり、すぐにお持ちくださった本が「跡部の踊り念仏」でした。

「普通はお見せするだけだけど、あげます」と手渡ししてくださいました。

 

f:id:tw101:20200910115046j:image

 


「今度、ゆっくりきなさいよ。中も案内するから」と気さくな住職さん。

感動!感謝!

お礼を申し上げて、お暇しました。

f:id:tw101:20200910115100j:image

 

f:id:tw101:20200910121520j:image

 

 


金台寺(こんだいじ)は伴野時直が創建した時宗のお寺です。

本尊は阿弥陀如来です。

静かなお庭を拝見して、写真を撮って、

西方寺住職さんに薦められた佐久市役所観光課を目指して車を出しました。

f:id:tw101:20200910115159j:image

f:id:tw101:20200910115219j:image

 

f:id:tw101:20200910115239j:image

 

 

 


諸説ありますが、踊り念仏は小田切の里が「初演」だったようです。

その場所がどこか…がミステリー。

近くに小学校と幼稚園がある辺りという栗原康先生の情報が頼りです。

 


ところが、佐久市役所観光課で聞いてもわからず、

佐久市教育委員会 文化財事務所を紹介されました。

車で5分ほどのあるようで、早速、行ってみました。

f:id:tw101:20200910115310j:image

 

f:id:tw101:20200910115345j:image


最初に応対してくださった職員さんはわからず、奥から出ていらした方が、

「切原小学校入り口の信号脇にある農協さんに碑がありますよ」

と地図を見ながら、教えてくれました。

やったー! 野辺山から来た道を戻り、目指す農協に行きました。

そこには、お目当ての、それほど古くない碑がポツンと建っています。

f:id:tw101:20200910115404j:image



少し先にある小学校脇の空き地に車を停めて、

辺りを歩きました。

何ないところです。

そこで想像の翼を広げて行きました。

f:id:tw101:20200910115430j:image f:id:tw101:20200910115451j:image

 

 

 

 

踊り念仏の精神 〜壊してさわいで、燃やしてあばれろ 

それからおなじ佐久郡の小田切の里にむかった。

ある武士の屋敷をたずねていく。この武士がだれなのかはわかっていない。

じつはこの伴野というのは、おじさんの通末が承久の乱でつかまって流された場所である。『一遍聖絵』をみると、屋敷の庭に土饅頭型の塚があるので、これがおじさんの墓なんじゃないかと言われている。一遍はおじさんをていちょうにほうむってくれた恩人の家をたずねたのだ。でも、おじさんは、鎌倉幕府とっては重罪人なわけでおおっぴらにすることはできない。そういうこともあって、恩人にめいわくをかけないように、『一遍聖絵』では名をふせているのだ。

 一遍たちは、その屋敷にとめてもらって、おじさんさんの供養をやった。さいしょは屋敷のなかでだろう。みんなでナムナム念仏をとなえはじめた。たかく、たかく舞いあがっていくその声が、おのずとみんなを浄土にいざなっていく。体中にふるえがはしり、心と体が躍動していく。ああ、ああ、こりゃもうたえらんねえ。ちええっ!ちええっ!とつぜん、一遍が狂ったようにおどりはじめた。はげしく肩をゆすり、あたまをブンブンふって、手をひらひらと宙に舞わせている。そして、おもいきり地をけりとばし、全力でとびはねている。ピョンピョンピョンピョンとびはねて、ピョンピョンピョンピョン、またはねる。しかも、それでもまだものたりないと、クルッとまわってまたはねる、クルッとまわってまたはねる。なんだ、このうごきは、みたことがないぞ。もしかしたら、だれかが、おいおい一遍さん、あんただいじょうぶですかとやめさせようとしたかもしれない。でも、一遍にはもうきこえない。むちゃくちゃきもちよさそうに、満面の笑みをうかべて、ピョンピョンピョンピョンとびはねてる。

やばい、一遍が人間じゃなくなってしまったかのようだ。だけど、すごくたのしそうだ。おれもやってみようか。わたしもやってみようか。ひとりまたひとりと、一遍をマネしておどりはじめた。裸足のまんまで庭にとびだし、ナムナムナムナム、念仏の声にあわせながら、ピョンピョンピョンピョンとびはねて、ピョンピョンピョンピョンまたはねる。クルッとまわってまたはねる。やりはじめたら、おもしろくてとまらない。無我夢中だ。お坊さんも尼さんも、時衆みんなが庭にとびだして、輪になってグルグルとまわっている。自然と反時計回りにまわっていて、ナムナムナムナム、念仏にあわせてうごいていく。声のスピードをどんどんあげれば、体のうごきもどんどんはやまる。もっとはやく、もっとはやく。声のたかさをどんどんあげれば、どんどんどんどんはげしくはねる。しかもこれ、円をえがいてまわっているわけだからエンドレスだ。30分もすれば、汗がダラダラふきだしてとまらないし、1時間もすれば息がきれて窒息しそうになる。それでも一遍たちは、いつものように念仏を何時間も何時間もとなえつづけた。くるしい、くるしい、死ぬ、死ぬ、死ぬ。

 でも、人間というものはおそろしいもので、死ぬほどのくるしみをなんどもあじわっていると、それがだんだんきもちよくなってくる。

もう一回、もう一回。トランス状態だ。なにも考えない、なにも考えられない。あたまが空っぽになっていく。自分はなんのためにおどっているのか、もうどうでもよくなってしまう。ただくるしい、それが快感なのだ。悲鳴をあげながらも、それでもおどってしまうこの身体。自分はこんなにうごけたのか。すごい、すごい、オレすごい。というか、これまで自分の限界だとおもっていた身体のつかいかたは、いったいなんだったのだろうか。もっといける、もっといける。もっともっと。自分をこわせ。めいっぱい身体をいためつけて、自分の限界のそのさきへとつきすすんでいけ。くるしい、くるしい、くるしい。死ぬ、死ぬ、死ぬ。わたしたちの生きるよろこびは、地獄のくるしみのなかにある。(略)

 この日、一遍たちはとにかくおどり狂った。すさまじい熱気が天空へとまっていく。それにあおられて、というよりも、そのさわぎをききつけて、屋敷の住人や近所の人たちが群れあつまってくる。きっとさいしょは、こいつら狂っているんじゃないかとおもわれていたにちがいない。気づけば、みんなもあおられて、われもわれもと輪にはいってくる。

武士も庶民も女房も、ピョンピョンはねてクルッとまわる。『一遍聖絵』をmkると、みんな恍惚とした表情をうかべているから、よっぽどたのしかったんじゃないだろか。大成功。とまあ、これが一遍たちの踊り念仏のはじまりだ。自然発生的におこったといってもいいし、あるいは、もともと一遍は空也のことを尊敬していたわけで、いつかやろうとおもっていたことが、この小田切の里でやれたんだといってもいいだろう。とにかく、このときの踊り念仏がむちゃくちゃよかったようで、一遍たちは興奮のあまり、ボロボロとなみだをながしてよろこんだ。また周囲でも、なんかすげいのがあるぞ、いちどでいいからおがんでみたいと評判になった。

 

ここはやはり、「死してなお踊れ 一遍上人伝」を引用させていただきました。

栗原先生の文章から踊り念仏の躍動感が伝わってきます。

 

 

f:id:tw101:20200910115538j:image「信州佐久郡伴野市」『一遍聖絵
f:id:tw101:20200910115543j:image「信州小田切の里」

f:id:tw101:20200910115622j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

叔父、通末への慰霊・鎮魂の思いがあったとしても、

きれいどころの尼僧たちの「南無阿弥陀仏、ありがたや〜!」

という呼びかけが大きな引声念仏となっていきました。

みんなが一緒にとびはねて、踊り、興奮と恍惚のエクスタシーの境地で

「踊躍歓喜」と呼ばれるような状態になったとき、

なやましい煩悩は消え去り、

頻発する飢饉や災害や蒙古再来襲の恐怖も薄らいでいったのではないでしょうか。

 


青々した田んぼや、神社の裏山で歓喜童子が踊っている姿がいっぱい見えました。

f:id:tw101:20200910115516j:image


コロナ禍で半年以上、ずっとステイホームをしていましたが、

「おんもにいきたい」という原始欲求は募るばかりでした。

今回、久しぶりに雄大八ヶ岳に抱かれて、

流れる雲が変化に富む空を見ながら、

ユーミンの曲を流して、

一人ドライブをしていたら感極まって涙目になってきました。

 


明日の不安を希望に変えるには、

まず、自分の心を変えることだと思いました。

“GO toトラベル”使いようです。

 


そして、次の目的地、善光寺に向かうため、レンタカーを佐久平で返却し、

あさま609号に乗り込みました。

 


初めての善光寺参りは次回へ続きます。

 

f:id:tw101:20200910120402j:image