港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.204 《うるわしの白百合 制作秘話》

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NHK朝ドラ「エール」が佳境に入ってきました。

衝撃的な恩師藤堂先生の戦死が描かれた戦時下篇は

豊橋空襲で何もかもが瓦礫と化した焼け跡を彷徨いながら、

讃美歌「うるわしの白百合」を歌う薬師丸ひろ子さんのシーンが

ハイライトとなりました。

 

モンペ姿の薬師丸ひろ子さんが

大好きだった祖母の姿と重なり、

ウルウルしながら見ていました。

 


この場面は素晴らしいと多く賞賛の記事が掲載されていましたが、

「エール」で描かれるキリスト教を監修されている

立教大学 西原先生がご自身のFBで、このシーンにまつわる秘話を書かれました。

とても素晴らしい文で、感動し、

ブログに引用掲載することをお願いしたところ

快く応じてくだいました。

長いので、抜粋を…とも思いましたが、

それでは意味がないので

全文掲載させていただきます。

 


【長文です】

 


本日(2020年10月16日)放映された、NHK連続テレビ小説『エール』で、薬師丸ひろ子さんが絶唱された賛美歌「うるわしの白百合」は、心が震えるくらいに素晴らしかった。視聴されたみなさんも、感動されたのではないだろうか。私もキリスト教考証者として、この場面の提案時から、実際のNHK渋谷スタジオでの収録まで、演技指導も含めて関わることができたことを、本当に幸いであったと思う。

 


6月28日に、NHKのディレクターから、「薬師丸ひろ子さんから、チーフプロデューサー宛てに、第18週の90回(金曜回)豊橋の空襲後のシーンについて、焼け野原の自宅前で昔を回想しながら歌う歌として「うるわしの白百合」を歌うのが適当であるか、西原先生にご確認いただきたいというご質問がありました。マネージャーさんからのお尋ねと90回の台本を添付いたしますので、ご確認いただき、ご回答いただけると幸いです」という連絡を受けた。すでに各種メディアで、脚本も執筆したチーフ演出の吉田照幸監督が語られているように、当初の台本では、薬師丸ひろ子さん演じる光子が、「戦争の、こんちくしょう!こんちくしょう!」と唸りながら地面を叩くシーンであった。薬師丸さんは、ここは地面を叩くのではなく、何か歌を歌えないか、過去を回想するのに「菜の花」を口ずさむのはどうかと思ったが、賛美歌の「うるわしの白百合」がその場面に適当であるか、百合はキリスト教では復活を意味するらしいが、そのあたりを含めてキリスト教考証の西原に検証頂きたいのと、その様なことでも良いのかチーフプロデューサーに聞きたい、とのことであった。

 


私は早速、以下のように応答させていただいた。「ご連絡ありがとうございました。薬師丸ひろ子さんからのお尋ねですが、大変素晴らしいアイデアだと存じます。「うるわしの白百合」ですが、今回の「敗戦」の知らせを聞いた光子のさまざまな思い、ことに「復活」「新たな<いのち>の再生」を願って、また、自身のクリスチャンとしてのアイデンティティを、何にも規制されることなく<謳う>ことができるその思いを表現するという意味でも、ぜひ、薬師丸ひろ子さんのご提案が実現できることを私も期待しております。このようなご提案をされる薬師丸ひろ子さんに、正直、あらためて感激いたしました。関内家は聖公会という設定でしたが、「うるわしの白百合」は聖公会の『聖歌集』にはなく、日本基督教団の『讃美歌集』に収録されたものです。しかしながら、ミッションスクールをはじめ、広くキリスト教関係者の間で親しまれた歌ですので、光子が愛唱していたとしても不思議ではありません。「うるわしの白百合」は現在の『讃美歌』496番(1954年発行)で、その譜の下にある〔509〕という記載は、1931年(昭和6年)版『讃美歌』の「該当讃美歌番号」です。『讃美歌略解(後編・曲の部)』によれば、「この曲の出典は不詳。音楽的に価値の高い曲ではないが、わが国で広く愛唱されているので、この版に残された。原曲は前半の16小節に記譜法上了解し難い点が多かったので、原作曲者の意図をできるだけ尊重しつつ、小泉功が全般的に譜を書き改めた」(290頁)とありますので、おそらく1931年版に、原曲に近い形で同曲が収載されていたのではないかと予想できます。ですので、敗戦時に「うるわしの白百合」が歌われたとしても問題はないと存じます。取り急ぎまして、以上、どうぞよろしくお願いいたします。西原廉太」

 


その後、さらに調べた上で、以下の補足をお送りした。「1931年版『讃美歌』にもしっかりと「うるわしの白百合」が収録され(第509番)、歌詞もほぼそのままであることが確認できました。大正から昭和初期に、とりわけ女子学生の間で愛唱されたようです。しかし、19世紀にアメリカで創られたこの曲は、宗教的内容が乏しい、音楽的にも価値が高くないとの評価で、早くからアメリカの歌集からは姿を消してしまいました。多く愛唱されているという理由などで、日本だけに生き残ったもので、1954年版『讃美歌』集でも「雑」という項目に分類されていました。1997年に『讃美歌21』が発行された時に、そのような理由から残念ながら消えてしまった賛美歌のひとつです。おそらく高齢の方々には懐かしく思われる方も多いと思います」

 


このような経緯で、急遽、この場面は、台本通りではなく、薬師丸ひろ子さんが「うるわしの白百合」を歌われることとなった。NHKの段取りでは、光子が関内家の焼け跡を茫然と彷徨い、歩いている時に、焼け果てた柱や床の下から、焼け焦げた、『竹取物語』の本や、子どもたちの懐かしい書物を拾い上げるのだが、その中に、聖歌集を見つけ、光子がそれを開いた時に、そこに「うるわしの白百合」の歌があり、剥き出しになった基礎の上に座って、歌い始める、というものであった。

 


ここで私が悩んだのは、先述した通り、関内家は聖公会という設定であり、歴史的には、「うるわしの白百合」は聖公会の『聖歌集』にはなかった、という点である。そこで、私は、以下のような設定をNHKに提案した。<光子は、名古屋にある1889年創立の金城女学校の卒業であり、学校で良く「うるわしの白百合」を歌い、親しんでいた。光子が焼け跡で拾い上げたのは、日本聖公会『古今聖歌集』ではなく、金城女学校時代に彼女が大切にしていた『讃美歌集』だった>。

 


日本聖公会中部教区司祭の聖公会信徒の祖母は、金城女学校卒であり、「うるわしの白百合」は実質的に「第2校歌」として愛唱していたという。また、日本聖公会の信徒の中にも、「うるわしの白百合」を故人愛唱聖歌と指定される方は少なくない。したがって、光子が、「うるわしの白百合」に親しんでいたことは、何の不思議もない。ただ、1945年当時にミッションスクールで用いられていた学校讃美歌集を見つけるには至らなかったため、当時、実際に使用されていた、「日本日曜學校協會」編纂の『日曜學校 讃美歌』を参照して、私が、現在、理事長を担っている、日本のすべてのプロテスタント系ミッションスクールが加盟している「キリスト教学校教育同盟」の前身である、「基督教教育同盟會」が編纂した『基督教學校 讃美歌』が存在したこととし、NHKの美術スタッフに急遽、製作を依頼した。NHK美術スタッフは、僅か2日で、添付の写真のような見事な『基督教學校 讃美歌』を作ってくださった。しかも、絶妙な範囲を焼け焦げた状態にしてくださった。薬師丸ひろ子さんが、歌いながら手にされているのが、この『基督教學校 讃美歌』である。実際の放映では、このクローズアップ映像は使用されなかったが、テレビ画面に映り込まないアイテムであっても、これほどの細かな設定と準備が為されていることを、理解していただけるとありがたい。

 

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さて、薬師丸ひろ子さんの「うるわしの白百合」のシーンは、7月3日、NHK渋谷スタジオで収録された。当日、私は、薬師丸さんの演技指導ということで、収録に立ち会った。前室で、私が、薬師丸さんに、どうして、この賛美歌をご存知なのかと尋ねたところ、ご出身の玉川大学の礼拝で良く歌われ、とても親しまれていたとのことであった。事前に、私は、「うるわしの白百合」の2節部分のみを歌われることを提案していた。15分という放映時間の中で、常識的に考えても、薬師丸さんの歌唱部分の尺は相当短いはずだと認識していたからである。もし一部(一節)ということであれば、台本のイメージを踏まえても、2節が相応しいと考えた。「かぎりなき/いのちに/さきいずる/すがたよ」という詩は、前日までに繰り広げられるインパール作戦豊橋空襲という「絶望的な死」を悲しみながら、しかし、未来への限りない「いのち」を願うという意味でも、感動的ではないかということ、また、これは私のある意味、偏見でもあったのだが、1節の「イエスきみの/はかより/いでましし/むかしを」という、ダイレクトにキリスト教の中心的教理を表現する詩を、公共放送としてのNHKが放映するのには躊躇があるのではとも想定したからである。ところが、薬師丸ひろ子さんは、1節と2節すべてを完璧に暗唱されて来られてきた。また、この「うるわしの白百合」という賛美歌は、アカペラで歌うのはかなり難しい曲である。しかし、歌唱指導の小菅けいこ先生と共に、修正の指導をさせていただいたのは、僅か1音、1文字であった。小菅先生とは収録後、さすがにプロフェッショナルですね、と感嘆し合った次第である。

 


いよいよ薬師丸ひろ子さんの撮影が始まり、薬師丸さんは、最初は静かに「うるわしの」と歌い出され、そして2節に入ると、歌は高揚し、最後はまさしく「絶唱」であった。監督の「カット」がかかっても、広いスタジオは深い沈黙に包まれたままであった。私の隣でモニターを見つめていた、若いスタッフたちが、目を真っ赤にしながら泣いていた。私も、胸が締めつけられながら、涙が溢れて止まらなかった。吉田監督が、「薬師丸さんが体現する悲しみと、そこから立ち向かわなくてはいけないという力強さを歌から感じたので、もうドラマじゃなくなっているなって思いました。みんなそれぞれが何かを感じ振り返る時間になっていて、それを(朝ドラの尺の)15分の中でやることに勇気と迷いはありましたけど、さすが薬師丸さんだなって」と証言されている通り、その現場は、もはやドラマではなかった。

 


新型コロナウイルス感染症蔓延と、それに伴う収録中止、放映中止、10話分カットという、『エール』収録開始時には想定もしていない異常事態に直面し、収録再開後も、極限の感染対策で神経を擦り減らす中で、それでも、良質のドラマを創り上げたいという、『エール』制作陣、一人ひとりの中に、薬師丸ひろ子さんの「うるわしの白百合」の歌は、深い深いところで響いたのだろうと思う。私は、収録直後の前室で、薬師丸ひろ子さんに心からの感謝の思いを伝えると同時に、土屋勝裕チーフプロデューサーに、「この場面は間違いなくNHK朝ドラ史上の名場面になるのではないか」と声をかけたが、本日の放映で、ただの1秒もカットされることなく、1節、2節、すべてが歌われた薬師丸ひろ子さんの「うるわしの白百合」は、確かに、歴史的な「名場面」となった。

 


薬師丸ひろ子さんの「うるわしの白百合」が持つ意味は、観た者それぞれにとって違うだろう。そもそも、「うるわしの白百合」という賛美歌は、イースター、復活を謳う歌である。戦争・死・暴力という「死」と「絶望」。それを悲しみながら、しかし、ただそこに留まるのではなく、未来の平和・生・人間の尊厳という「いのち」と「希望」を願い、告げることの大切さ。そこには「死」から「復活」へという、神学的なメッセージが通奏低音のように流れている。自分が作曲した歌に鼓舞され、予科練兵として戦地に赴き戦死した弘哉君の壊れたハーモニカを前にして、「音楽で人を戦争に駆り立てることが、ぼくの役目なのか」「若い人の命を奪うことがぼくの役目なのか」と自問しつつ、ついには「ぼくは、音楽が憎い」と呟く古山裕一。その絶望的な呟きに対する、見事な応答こそが、光子の「うるわしの白百合」なのではないか。本当の『エール』とは何かを、音楽の本当の力を、光子は、裕一や音、そして華、残された、これからの世代の未来を覚えて歌ったのではないか。否、「祈った」のではないだろうか。

 


また、光子はキリスト者として、戦中、特高からも監視される中、礼拝をすることも、地下のような場で、ひっそりとせざるを得なかった。戦争が終わり、今、光子はようやく、声高らかに、自分の大好きな愛する聖歌を歌うことができる。また、十字架も堂々と、身につけることができる。そのことの喜びは間違いなく大きなものであった。しかし、豊橋空襲で、愛した教会もまた焼け落ちたに違いない。事実、日本聖公会中部教区「豊橋昇天教会」は、関内家が焼失した同じ日の、1945年6月19日の空襲で全焼した。現在の「豊橋昇天教会」は、 1949年11月3日に再建されたものである。

 


その光子が首から下げていた十字架であるが、一目して「ロザリオ」だと分かる。「ロザリオ」は、カトリック教会信徒が大切にするものであり、聖公会も含めて、プロテスタントの信徒が持つことは基本的にはないし、カトリックの方々は祈りに用いるが、首にかけることはない。実は、この光子のロザリオは、『エール』収録開始時からNHKが準備されていたもので、関内家の仏壇前に特設された安隆の遺影横に置かれていた。当初から私も、聖公会家庭には馴染まないので、気にはなっていたのであるが、それほどクローズアップされないということもあり、光子が、かつて親交のあったカトリックの友人から譲り受けたもので、光子はそれを、「ロザリオ」としてではなく、首にかける「十字架」として愛用していた、という設定にしていただいた。昨日放映された、火災現場に梅を救いに行こうとする光子のシーンの撮影本番直前に、薬師丸ひろ子さんが、私のもとに来られて、首にかけて良いでしょうかという質問をされた。確かに、手にロザリオを持ちながら梅を探すのは無理であること、また、光子は聖公会でありカトリックではないので、むしろこれを「ロザリオ」として用いるのではない方が良いとの咄嗟の判断で、「そのようにしていただいて結構です」とお答えした次第である。今後の『エール』の中でもこのロザリオは登場するが、決して「ロザリオ」という名称では表現されない予定である。

 


「うるわしの白百合」を歌い終わった薬師丸ひろ子さんが、ゆっくりと、しかし、優しく十字架をその手に包む美しい場面があったが、それは事前に、私と薬師丸さんとで相談させていただいた姿である。それは、世を去ったすべての人の魂と、いま生きるすべての<いのち>を優しく包む「祈り」に他ならない。このような「祈り」を見事に表現された薬師丸ひろ子さんと、また、制限のある中にあって、その「祈り」を静かに、そのままに届けてくださった『エール』の制作陣のお一人ひとりに、あらためて、心からの感謝を伝えたい。

 

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祖母は、リベラルな考えを持っていた人でした。

母は父の経営する料亭の女将をしていたので、

夕方から居なくなってしまい、私は祖母に面倒を見てもらっていました。

寝る前にしてくれた話の中で戦争中の話がありました。

 

「戦争、怖かった?」

「そりゃ、怖かったさ、横浜の空襲で、うちにも爆弾が落ちて、みんな燃えたんだよ」

「戦争、嫌いだなあ」

「そうだね。おばあちゃんも戦争は嫌だったよ。

爆弾も怖いけど、人の心がもっと怖かったよ」

 

私はまだ小さかったのに、

祖母の、この言葉はなぜか、記憶に残っています。

「みんな同じでないといけない」という考えに違和感があるのは、

「おばあちゃんの教え」だったのかもしれません。

 


祖母は「うるわしの白百合」と「山路越えて」が好きで、

よく子守歌代わりに歌ってくれました。

 

 

 

戦時中の監視社会…爆弾より怖かった人の心。

祖母の言った、その意味が、今よくわかります。

「二度と戦争をしない国」憲法9条を学んだ時、

私は心底、日本に生まれてよかったと思いました。

 


モンペ姿で働く祖母の姿が薬師丸ひろ子さんの姿に重なった時、

私は孫たちの世代に何を残していけば良いのかと考えずにはいられませんでした。

 

隣組のあった監視社会なんて、絶対にいやですよね。

 

感謝をもって生きる感謝社会を作りたいと思った朝でした。

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