ただいま!長い旅から帰ってきました。
1月7日、緊急事態宣言が出てから、
私は異次元、異空間を飛び、
中国 「蒼穹の昴への旅」に出かけていきました。
浅田次郎先生が「この作品を書くために小説家になった」
とおっしゃった「蒼穹の昴」シリーズ。
「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」
「マンチュリアン・リポート」「天子蒙塵」の
5作品から成り立ちます。
日中合作によるテレビドラマが
NHKデジタルハイビジョンで放映されてからも
すでに10年余りすぎていますが、
田中裕子さんの迫真の演技が光った西太后、
記憶に残っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
実は私は小説を読んだだけで、そのドラマを私は観ていないのですが、
今回、読み返して、満州の大地や長城、
北京の紫禁城を、私はずっと旅していました。
Wikipediaを参照にごく簡単にご紹介します。
⚫︎蒼穹の昴
時は光緒12年(1886年(日本:明治19年))から光緒25年(1899年(日本:明治32年))までの清朝末期です。
李春雲(春児)は糞拾いによって貧しい家族を養っていましたが、
父、長兄が病死、次兄は出奔という悲劇の中で、
大切な母と妹のために自ら浄身し、宦官となって西太后の下に出仕しました。
一方、春児の亡くなった次兄の親友の梁文秀(史了)は、
光緒12年の科挙を首席(状元)で合格し、
翰林院で九品官人法の官僚階級を上り始めました。
その頃、清朝内部では、政治の実権を握っている西太后を戴く后党と、
西太后を引退させて皇帝(光緒帝)の親政を実現しようとする帝党とに分かれ、
激しく対立していました。
后党と帝党の対立は、祖先からの清朝の伝統を守ろうとする保守派と
衰えた清朝を制度改革によって立て直そうとする革新派(変法派)の対立となり、
両者の対立は、やがて西太后と皇帝の関係にも、
深い溝を生んでゆくことになります。
春児は西太后の寵を得てその側近として仕え、
一方、文秀は皇帝を支える変法派若手官僚の中心となっていきます。
滅びゆく清朝の中で懸命に生きていく春児と文秀の二人を軸に壮大なスケールで描かれています。
満天の星のなかにひときわ輝く昴、その夜空に魅せられました。
⚫︎珍妃の井戸
1898年 義和団の乱が勃発し、北京は騒乱状態になり
列強8ヶ国の軍隊がこれを鎮圧しました。
そんな最中に光緒帝の寵妃珍妃が紫禁城内の井戸に落とされ殺されるという事件が起こりました。
1900年、「一国の君主の妃が暗殺されたことは、重大な事件であり真相を突き止めなければならない」と、
イギリス帝国海軍提督エドモント・ソールズベリー、ドイツ帝国大佐ヘルベルト・フォン・シュミット、
4人の貴族が真相を解明するために集められ、
トーマス・E・バートン記者、蘭琴氏、袁世凱氏、瑾妃殿下、劉蓮焦氏
愛新覚羅溥儁氏の証言を聞いていきます。
戊戌の政変に敗れ、幽閉された光緒帝には
正妻の他に姉妹である二人の妃がおりました。
皇帝は妹の珍妃だけを愛していました。
その寵妃が生きたまま井戸に投げ込まれてしまったのです。
誰が珍妃を殺したのでしょうか…。
降りしきる黄砂の中なかで明らかになる悲しいラブストーリー。
この中に落ちてしまったの…と思わず、私はその小さな井戸を覗いてみました。
4000年前とかの事ではなく、
わずか120年しかたっていないことに改めて気づきました。
⚫︎中原の虹
舞台は清朝末期の光緒33年(明治40年、1907年)から民国5年(大正5年、1916年)6月の中国です。
半世紀にわたり、落日の清王朝を支えてきた西太后は死期を悟り、
自らの手で王朝を滅ぼすことを決意し、次の皇帝に3歳の溥儀を指名します。
光緒帝を愛しながらも、中国を狙う諸外国に渡さないための悲壮な決断をする西太后に寄り添う春児。
方や、家族を捨てた春児の兄、春雷は馬賊のカリスマ的存在の張作霖と運命の出会いを果たし、
馬と拳銃の腕前を買われ、馬族に加わり頭角を現していました。
光緒帝の死の翌日、西太后も逝去し、清王朝の混迷は深まります。
国内の革命勢力と諸外国に対処するため、
一度は追放された袁世凱が再び呼び戻され、
名実ともに「東北王」となりました。
ところが、幼き皇帝溥儀に襲いかかる革命の嵐の中、ついに清朝は滅亡しました。
新生中華民国に颯爽と現れた指導者宋教仁は暗殺者の手にかかり、
時代は再び混乱し、戊戌の政変後日本に亡命していた梁文秀の帰国を望む声が高まっていきました。
極貧の中で生き別れになり、
最後の宦官となった春児と馬族の雄春雷はついに再会を果たします。
そして伝説の王者の球「龍玉」を持つ真の覇者が長城を越えます。
ああ、涙…涙…久しぶりに涙で文字が見えなくなりました。
長城の外、満州の草原をひた走る馬族たち、
その果てしない台地にかかる大きな虹を見ました。
(長くなるので、第4作目、第5作目は後日書きます。)
さて、私は中国史がどうも不得手でした。
漢字が多く、読み方も難しいので、避けていたと思います。
受験では世界史を選択していましたが、
中国史がでたら、アウト!で諦めようと覚悟し、
ほとんど勉強しませんでした。
恥ずかしいくらい無知でしたが、
中国青島にある工場と貿易をすることになり、
中国語を学び、中国を知ろうと決意しました。
が、どうしても、わかりませんでした。
コロナ感染緊急事態宣言が出され、
ステイホームを余儀なくされ、テレビやSNSでの情報が垂れ流されて行く中で、
どの情報が正しいのか、だんだんわからなくなっていきました。
などなど、
事実や真相がわからないことが多すぎて、
情報に溺れて息ができないような気がする時もありました。
そこで、天空の部屋から旅に出て行きました。
そして、この1か月かけて、清朝の最後の中国を旅して、
安寧な時代などない!と改めて思いました。
該博な知識と丹念な取材に裏打ちされた浅田次郎さんの「史観」は
私の頭に酸素をふんだんに送ってくれました。
「蒼穹の昴」に登場するアメリカ人ジャーナリスト トーマス・バートンの言葉を転記しておきたいと思います。
人類は力の真価を見誤まった。人間の実力をはきちがえてしまった。
俺はな、ケイ。正義と良識の根拠を、そこに見出したんだ。
ウオール・ストリートの株価ばかりに一喜一憂している連中にはわかるまい。だが、コットン・フィールズのちっぽけな教会で、簡単な読み書きを教わっただけの俺には、ジャーナリストの使命のありかがわかっていた。
正義(justice)と良識(common sense)。猿が二本足で立ち上がった瞬間に悟ったもの。あるいは、二本足で立ち上がる勇気のみなもととなったものは、それだ。
正義はけっして神の御名のもとのジャスティスではない。良識はけっして哲人たちの説いたコモンセンスではない。立ち上がった猿が新たな視野に見た真実、その正義と良識とが、人類の実力なのだ。
猿に戻るな、ケイ。
だから、俺を抱きしめるその手で、こいつを抱いてくれ。
アメリカ人も日本人も、フランス人もイギリス人も、世界中のほとんど人間は猿に戻ってしまったが、こいつは猿ではない人間の未来を拓こうとしているんだ。おまえらはみな、こいつの演説を民主共和国家の宣言としか聞かなかっただろうが、実はそんなちっぽけなものじゃない。こいつはそんな当たり前の政治家ではない。
曠野にたったひとりで立ち上がって、正義と良識の地平をたしかめ、さあ、みんな立てと号令する、偉大な人類の指導者だ。過てる人類の、かけがえのない指導者になる男なのだ。
この言葉は誰について、どんな状況で語れるのか、
興味のある方にはぜひ「蒼穹の昴」を読んでいただきたいと思います。
浅田次郎さんは現地取材いかずに、この作品を書かれたそうですが、
だからこそ、イメージはダイレクトに伝わってきたのかもしれません。
中国への旅から帰国し、次はどこの世界に行こうかなと思っています。
おすすめなところがあれば教えてください〜