港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.208 読書はじめ②『日没』

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緊急事態宣言発令について語る総理大臣の言葉があまりに貧相で悲しい…

ということをポロリと漏らせる今はまだましなのか。

と思わずにはいられない衝撃的な小説を読み終わりました。

桐野夏生さんの『日没』です。

 


松本侑子さんの書評や、関連記事を読み、

ずっと気になっていた『日没』

2日、みなとみらいのウォーキング帰り、

立ち寄ったTSUTAYAには在庫がなく、

帰宅してすぐにAmazonで注文したら、速攻で翌日に届き、

怖い、怖い、と思いながらも、一気に読んでしまいました。

 


…私は基本的に世の中の動きには興味がない。というのも、絶望しているからだ。いつの間にか、市民ではなく国民と呼ばれるようになり、すべてがお国優先で、人はどんどん自由を明け渡している。ニュースはネットで見ていたが、時の政権におもねる書きっぷりにうんざりして、読むのをやめてしまった。もちろん、テレビは捨てたし、新聞も取っていない…

 


読み始めて最初のページに書かれたこの文章で引き込まれました。

わかる、わかる、この気持ちと…

 

 

 

さて、ざっとあらすじです。

 


エンタメ作家のマッツ夢井の元に、ある日、総務省「文化文芸倫理向上委員会」という聞いたこともない機関からの「召喚状」が届くところから、始まります。飼い猫がいなくなってしまったり、有名な作家が病んだり、亡くなったりというなんとなく不審なこともありましたが、自分に問題があるなどとつゆにも思っていないマッツは、しぶしぶながらも召喚に応じます。

指定された駅に行き、迎えの車に乗せられ、茨城の外れの海辺の断崖絶壁にある建物に着いてから、あれよあれよという間に、「収監」されたような扱いを受けていきます。

外部との連絡禁止。ネット環境なし。反論しようものなら、「反抗」とみなされ減点され、収容期間が延びていきます。

そこに収容されている人々は「よくない小説を書いた小説家たち」のようですが、お互いの接触、会話禁止。マッツは“B98番”と呼ばれ、貧相な食事しか与えられず、尊厳を奪われていきます。

彼女が収容された原因は「犯罪や暴力を肯定しているようだ」という一般読者の根拠もない密告でした。

本など読んだこともない所長は、「政治なんかには口を出さずに、心洗われる物語とか、傑作をものにしていただきいたいのですよ」とマッツを「正しい小説家」にするために作文を書かせます。マッツは所長の意に沿うようなくだらない作文を書き、早く家へ帰ろうとします。

しかし、一旦収容されたら解放される望みはないということを知り、愕然とします。

かろうじてコミュニケーションを持てる人間さえも、敵か味方か、分からなくなり、なんとか自分の精神を正常に維持していくため、最大の努力をしますが、次第に洗脳され「自死」が頭をよぎるようになっていくのです。


果たしてマッツはここから出ることができるのでしょうか。

映画「パピヨン」のラストシーンが浮かんできます。

ところが、最後の15行は「えええ⁉️」

衝撃的な結末をむかえます。

 


桐野夏生さんはこう言っています。

 


経済構造が貧困を生んでいるのに自己責任論ばかりで、ネットの発達で誰もが管理・監視から逃れられない。正義を振りかざして他者を攻撃する人が増えた。そんな絶望的な現状を考えたらこうなりました。いま、日本の社会全体が冷笑的になっていると思うんです。誰かが真面目なことを言っても、ちょっと高みに立って『なに本気になってるの?』ってスルーする。日本に蔓延しているディスコミュニケーションの空気も含めて、きちんと描けたらいいなと。(2020年12月20日 東京新聞 Web版 )

 

 


新型コロナの流行は予想外でしたけれど、現実が小説に追いついたというか、むしろより過激になっていますよね。里帰りする人を監視したり、自粛警察みたいなことをやってみたり。

 小説に書いたようなことがいま実際に起きても驚きません。もし、私がどこかに連れていかれて、『あの人、最近、見ないね』——なんて、笑い事じゃないですよ(笑)」2020年10月30日 オール讀物 編集部 〜現実の日本と地続きのリアリズム小説――『日没』(桐野 夏生)

 

 

 

テレビも新聞も、SNSも メディアというメディアが本当の事を伝えていない…

という事は薄々感じていると思いますが、

どこに真実があるかはわかりません。

 


「真理はあなたを自由にする」(ヨハネによる福音書8章21節)と

エスは十字架の死を前に弟子たちに言っています。

今の私たちは常に空気を読むことを求められいて、

「その場の空気」に支配されています。

同調圧力の中で主体性を奪われている状態は最初は苦しいですが、

慣れてしまい、何も考えなくなって流されていく方が楽でしょう。

 


「真理」というものは、どの時代でも誰かの手で上手に、

どこかに隠されてしまってるのかもしれません。

だから人はいつの時代でも、自分勝手に生きてはいるけど、

真の自由人にはなかなかなれません。

 

 


真理を探究する人は国家にとっては好ましくなく、

いつのまにか消されてしまいます。

2000年前、十字架に磔にされたイエス・キリストのように。

 


でも、イエス・キリストは3日目に復活しました。

死にうち勝つ大いなる希望があります。

「夜明け」の喜びです。

 

 

 

一方、「日没」というタイトルは

夜になる前の最後の輝きを表しているように思えます。

ここには、もはや希望はないのでしょうか。

 


この小説で怖いのは「絶望と孤独」です。

人と分断され、他者への猜疑心から

他人も自分も何もかも信じられなくなるとき、

心が壊れて、精神は崩壊します。

 


コロナパンデミックで怖いのはウイルス感染だけでなく、

人生を前向きに生きようする希望が断ち切られることのような気がします。

ワクチンができて、ウイルス感染から勝ち残ったら、

人の心はコロナ以前に戻れるでしょうか。

 


主体性を失い、

心をなくしてしまった人で溢れる社会…

 


ここでふと考えます。

敵…と敢えて呼びます。

敵が望まないことは何か。ということを。

それは「愛を持って信頼と協力する」

 


信じ合う人たちが同じ気持ちを持っていくとき、

分断でなく協力があるとき、

きっと希望が生まれてきます。

 


精神科医ビクトール・フランクル

アウシュビッツの絶望の中で生き抜けたのは、

希望があったからで、

その希望の基は

幼いころ「両親と過ごした楽しかった思い出」だったと後に書いています。

 

 


『日没』の結末を読んで、なんで?

と思った読者が、

自ら、考え、行動することで、

その結末を変える力を持てるのではないかと思いました。

 

難しいテーマでした。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

2021年、希望を持って生きることができますように。

 

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