港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO. 43 森永チョコレートのおまけカード  シシリーと妖精たち


子どものころ、森永チョコレートのおまけでついてきたカードが
大好きで集めていました。

かわいい妖精の絵が描いてあるカードでした。

大人になって、この絵の作者がシシリー・メアリー・バーカーと知りました。

シシリーは1895年6月28日
ロンドン南方、サリーのクロイドンで
ウォルター・バーカーとメアリ・エノリア・オスワルドの
次女として生まれました。

幼少期、シシリーはてんかんを患い、学校へ通わず、
家庭教育で教養を身につけました。
てんかんの症状は20代になる頃にはなくなりましたが、
彼女は屋外に出ることはなく、
こどもの頃から読書と絵を描くことに明け暮れていました。

父ウォルターは水彩画の心得があり、シシリーに手ほどきをしました。
シシリーの絵の才能は早くから発揮され、
天賦の才能に恵まれ、わずか13歳で
クロイドン芸術協会に作品を出展。

16歳の時に四つの作品に買い手がつき
前途洋々の画家へと成長していきました。

ところが、不幸なことに父ウォルターが41歳の若さで逝去。
シシリーは良き指導者をなくすと共に
バーカー一家は経済的な困窮に陥ってしまいました。
しかし、実際的な性格で、教師の資格を持つ姉ドロシーが
託児所を開き、生計を立て、
シシリー自身も、詩作品や水彩画を売ることで、生計を補いました。

写実主義者シシリーは植物や昆虫も完璧に写生し、
姉の託児所で預かった子どもたちをモデルにしてポーズをつけ写生しました。

リアリティのある生き生きととした表情はそのお陰だったのかと感心しました。

病弱なこと、学校教育を受けていないこと、父を亡くし、貧困なこと、
シシリーには悪条件がいくつも重なっていましたが、
自分にできることに集中して、天賦の才能を開花させたのです。


熱心なクリスチャンであったので、キリスト教関係の聖歌や
詩の本の挿絵を描き、ポストカードや、グリーティング・カードも
たくさん描きました。



「花の妖精」 Flower fairies
私はこの絵が大好きでした。
妖精好きで、妖精物語を読み、だんだんとケルト文化への
興味を持っていきました。

四季のある国ならではの美意識。
森の中には妖精たちが棲むという感覚は
日本の文化と共通していると思います。

シシリーは生涯独身で通しました。
姉ドロシーがなくなってしまい、母と二人暮らしになると、
家事をしなければならず、活動を中止したときもありました。

晩年 視力を損ない体力も衰えていきましたが、
クロイドン芸術協会の副会長をつとめ、
1973年に77歳で亡くなりました。

その作品はチョコレートのおまけのカードになって、
日本のこどもたちにも大きな影響を与え、
今でもたくさんのファンがいるのです。
一つのことに集中して人生を全うしたシシリーに
心から敬意を表します。