風も涼しくなって、読書の秋、
宮沢賢治の誕生から死に至るまでの短いけれど、
父、政次郎に深く愛された生涯を描いた感動作です。
父宮澤政次郎、母イチの長男として生まれ、
祖父が創業した質屋を営む裕福な家で育ちました。
長男の賢治は後継としての家族の期待を
一身に受けて成長します。
6歳の時に赤痢で2週間入院した際も
寝ずの看病をしたのは父政次郎でした。
看護していて自分も感染してしまった政次郎は
大腸カタルを起こし、生涯、胃腸が弱くなってしまいます。
「仕事第一の父親」でなく「子ども第一の父親」でした。
賢治は幼い時から、学力優秀で、
教師からはさらに上の学校進学を勧められます。
しかし、「質屋に学問はいらない」という祖父の一言で
一度は進学を諦めます。
実家の手伝いをして日々悶々と過ごす賢治。
自らも進学を諦め、親の後継ぎとなった政次郎は
賢治を進学させる決意をします。
そして、子どもの頃から石集めが大好きだった賢治は
盛岡高等農林学校へ進学します。
仲の良い妹のトシは上京して日本女子大学校へ進学します。
「質屋に学問はいらない」
「女子に学問はいらない」
と言われた時代に、
後継者を自分の望む道に進ませ、
長女を東京の女子大に行かせるとは
政次郎は相当に教育熱心な父親であったと思います。
地元の名士の政次郎は、
子どもたちのそれぞれの個性を充分に生かした
ユニークな教育をしました。
やがて結核で身体を壊したトシは
岩手花巻に戻り、最後の日を迎えます。
“あめゆじゅ とてちて けんじゃ”
あの有名な詩『永訣の朝』で賢治は妹の臨終の
その瞬間さえも「詩」にしました。
政次郎はそんな賢治に驚きます。
それが詩人なのでしょう。
賢治は優れた教師でしたが、やはり満足せず、
教師を辞して、
物語を紡ぐ道を選んでいきます。
妹や弟、教え子たちに話して聞かせた
物語を童話にしていきます。
法華教への信仰,
ひたむきな農民の心情を基に、
架空の理想郷、イーハトーブを作り、
創作活動を続けますが、
その道は決して平坦ではありました。
思うように売れませんでした。
結核の病魔は賢治を離さず、
最後は最愛の妹トシと同じように、
故郷で母に看取られて息を引き取りました。
享年37歳。
両親の思いは如何ばかりだったことでしょう。
やがて、生前には知られなかった賢治の作品は
弟清六や草野心平らの尽力で
世間に広まって行きます。
最愛の息子 賢治の最後の願いは
〈日本語訳の妙法蓮華経を一千部つくって、
みんなに差し上げてください。〉というものでした。
政次郎は確かに約束を果たしました。
息子がかわいくて、かわいくて仕方ない
スーパー親バカ とも言える宮澤政次郎…
愛されて、大切にされて育った賢治は
文学者としては、もしかして、珍しく、幸せな
人生だったと思います。
こうして小説は終わります。
賢治は日蓮の法華教信仰を持っていましたが、
彼の描く小説には、聖書の言葉や
キリスト教の思想が垣間見られます。
実は花巻で宣教師との出会いがありました。
このお話はいずれ、また、書きたいと思います。