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港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO53. ユダヤ選民思想って何でしょう。

現在のイスラエルはユダヤ原理主義の強固な価値観が色濃くなっていますが、
本来「選民思想」はそれとは正反対で、びっくりものです。
そのことを正しく理解することは極めて重要だと思います。

旧約聖書のお話しです。


ユダヤ人は自ら優秀だと思っています。
だからこそ、神に選ばれたのだと・・・

ところが、なんと、ユダヤ人は優秀だから選ばれたのではなく、
みすぼらしく惨めな民だからこそ、憐み深い神は彼らを選び、
モーセを召しだし紅海を渡らせ、エジプトから救い、
約束の地に連れ出しました。

絶対的な神の愛を先に受けたのだから、
その愛に応答することを求められ、十戒を与えられたのに、
その神を忘れ、他の神々を信仰していった故に、国は分裂し、
バビロニアアッシリアという強国に滅ぼされ、
亡国の民となってしまいました。

歴代の堕落した王の元へ、
神は自らの言葉を伝える預言者を送りました。
ちなみに、予言者は未来のことを予言する人ですが、
預言者は神の言葉を預かり、そのまま伝える人のことです。

預言者たちは羊飼いが多く、
いきなり神に召命され、苦言である神の言葉を伝え、
みなが平等だった荒野の放浪時代のイスラエルを思い出させ、
神に帰るように語ったのです。

もちろん権力者たちは預言者を憎悪し
疎んじ、彼らは憐れな末路をたどりました。

バビロン捕囚時代、なぜこんな辛い目にあうのだ、
どうしたら救われるのだろうと考えた人たちがいました。

彼らは昔からの聞き伝えの物語を集め、編纂して、
厳しい自己告発を書き上げました。
それが申命記から列王記下の書です。
彼らは申命記学派と呼ばれています。

申命記はモーセイスラエルの民へ「遺言書」ともいえます。
ここから豊かな約束の地に入るが、神を忘れ、堕落していけば、
その結果として、再び異国へ拉致されてしまうということを予告しています。

「選民」は事前からの素質によるものでなく、
また、事後的に素質になるもではなく、
応答の責任が伴うということなのに、ユダヤ教徒は素質と勘違いし、
自分たちの持つ財産、特権と誤解してしまったのです。
歴代誌の著書たちとっても、申命記はあまりに自虐的に映り、
自民族の歴史の名誉回復をはかり、都合の悪い事件は削除してしまいました。

学びを考えてみると、いろいろなことが見えてきます。
いつの時代も、どの場所でも、
歴史は権力者にとって都合のよいことしか残していないということです。

聖書の読み方は独り善がりでも読むことはできますが、
何度読んでも変わりないと思いわされます。
人は自分に都合のよいことしか見ないし、都合よいことしか聞きません。
でも、少し掘り下げてみると、違ったものが見えてきます。
思い込みで見ないようにしていきたいですね。

旧約聖書古事記を同時に読むと
とても面白いことに気づかされます。

砂漠の民への聖典を、
極東の日本の民が理解するのなんて
やっぱりできないのかもしれない…
と、ふと、思ってしまいました。