港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.122  クリスマスキャロル  きよしこの夜 秘話

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1818年クリスマス・イブの夜のことです。
オーストリアチロル地方オーベンドルフ村にある
聖ニコラウス教会のオルガンの音がまったく出なくなってしまいました。
オルガンの鞴がねずみにかじられてしまったのです。
困った助祭のヨゼフ・モールが歌詞を書き、
教会のオルガニストで小学校の校長をしているフランツ・グルーバーが曲をつけました。
歌は礼拝の始まる30分ほど前に出来上がり、ギター伴奏により、
3度の和声をつけて二人で二重唱し、聖歌隊がそれを繰り返しました。
これがこの曲の初演奏でした。
最初は、オルガンなしの礼拝にがっかりしていた教会に人々は、
この曲を聴き、感謝と喜びに満たされました。

当時、ナポレオン戦争により、ヨーロッパは徹底的に破壊され、
オーベルンドルフも他国の支配下にあり、厳しい時代を過ごしていました。
社会全体を取り巻くくらい空気に対して、モールとグルーバーはクリスマスキャロルによって
少しでも人々に希望を与えたいと願いました。

作詞者のヨゼフ・モールは、
その付近に駐屯していた一兵卒とお針子の間に生まれましたが、
まもなく父親は行方知れずになり、やっと名づけ親になってくれた人は死刑執行人でした。
当時としてはこれ以上ない最悪な素性で、人に言えない苦しみをなめました。
幸いなことに彼は優秀な子でしたから、やがてある人の養子となり、
そのおかげでザルツブルグの神学校で学び、聖職者の資格を得ました。

しかし、その生まれのゆえか、ついに司祭になることなく、
ザルツブルグ付近のいくつかの教会を歴任して
目立たない生涯を助祭として終わったということです。

まさか自分の歌が、のちに世界中で歌われるようになるとは、思いもしなかったことでしょう。
自分のような父なし子は、この世に生まれるべきではなかったと、
運命を嘆いていたヨゼフ・モールに聖書は語りかけます。
聖霊なる神の力にあずかるならば、どんなに罪に汚れた者でも、
どんなに忌まわしい運命や血統に泣く人でも、尊い神の子に変わります。
贖いの体験を知ったヨゼフはその思いを書きました。

「主イエスの誕生によって、救いのときがついにやってきた」ヨゼフの叫びです。
その救いは個人の救いにとどまらず、傷ついた世界や行き詰まった民族を救ってやまない、
イエス・キリストの力強い福音です。
イエス・キリストの魂を内に迎える喜びこそがクリスマスです。
自分の境遇や現在の状況が、馬小屋のように貧しく、つらくあったとしても、
心に天が拓けるならば、それが私たちのクリスマスです。」

このクリスマスキャロルは完成して間もなく、
当時の旅商人によってオーストリアの国境を越え、広く伝えられていきます。
そして旅商人はドイツの見本市で歌い、
この歌に秘められた思いは、聴くものすべての心に響き、
プロイセン国王の王宮で披露するまでになり、
1854年にはプロイセン宮廷の音楽監督が楽譜を所望し、それにより作曲者グルーバーは
その創作の歴史を執筆し、初演の模様が事細かに描写されました。

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そして世界に広められ、極東の日本では由木康先生が歌詞をつけられ、
今では誰でも知っているクリスマスキャロルになりました。



今年、この讃美歌を聴かれるとき、ヨゼフ・モールのことも思い出してください。
どんなに暗い人生でも、だからこそ、光は美しく輝くものなのでしょう。



ドイツ語でかかれたその歌詞の日本語訳です。

1 静けき夜 きよき夜
すべて眠るなか ただ聖夫婦のみ めざめおり
かわいい巻き毛の御子は 天の平安のなかに眠る

2 静けき夜 きよき夜
神の御子がほほ笑む 神の口より告げられる愛は
われらに救いのときをもたらす イエスはうまれたまえり

3 静けき夜 きよき夜
天の輝く高みより 世界への救いがもたらされた
あふれるばかりの慈しみが明らかにされた
エスは人となりたもう

4 静けき夜 きよき夜
きょう 父なる神の御愛は 力もてあらわれたまいき
エスは兄弟愛でいだきたもう
世界のひとびとを

5 静けき夜 きよき夜
いにしえより定められてあり 主が憎悪をとりさりたもうと
そは世の創めより約束されてあり
世界全体の御救いを

6 静けき夜 きよき夜
まず羊飼いらに知らされた 天使がうたうハレルヤが
あちこちにひびきわたる たからかに
救い主イエス ここにいます



お友達が作成してくださいました。
スペイン🇪🇸の聖しこの夜 お楽しみください。

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=hpylgpm5MF4

NO.121 地上最強の商人 オグ・マンディーノ

12月に入るとクリスマスイルミネーションが美しく町を飾り、
なんとなくウキウキしてくるはずなのに、先行きが不透明で、
活気イマイチの2016年。

サクラダファミリア

イギリス ホークスヘッドの地区教会のステンドグラス


でも、み子イエス・キリストの誕生は「大きな喜び」であり、
クリスマスは特別な意味を持つと確信します。
オグ・マンディーノというアメリカのベストセラー作家の作品に
「地上最強の商人」(The Greatest Salesman in the World)があります。
日本語にも翻訳され、京セラの稲盛和夫会長が世に出し、
多くのビジネスマンの必読書となっています。
いわゆるハウツー本で、人生の成功の秘訣は「日常のよき習慣」であるなどが
アラブの古い巻物を通して語られています。

あらすじは・・・・
2000年前、アラブの隊商のらくだの世話係のハフィドという少年がいました。
彼は貧しくても誠実で、明日を信じて一生懸命にらくだの世話をしていましたが、
その隊商の主人のうつくしい娘リーシャに恋をします。
らくだの世話係から這い上がりたいと願う彼に主人はチャンスを与えます。

ひとりで商売に行き、100枚の布を一枚残らず定価で売ってくるというものでした。
彼はこのチャンスにかけ、元気に出かけていきますが、
思ったように売れるものではありません。
あちこちの町や村を回り、やっとの思いで売りさばいていきました。
最後に一枚を残すのみとなったころには一年終わりかけていました。

ベツレヘムという町にやってきた彼は、宿屋にとまる部屋もなく、
仕方なく裏に回り、疲れ果て、馬小屋で休もうと入っていきました。
目が慣れると小さな光に照らされた男と、若い女が目に入ってきました。
その二人は疲れている様子ですが、その顔は不思議な喜びに満ちていました。
二人が見つめている先を見れば、
飼い葉おけの中に赤ん坊がすやすやと眠っていました。
その姿をみたとき、彼の心のそこから温かな喜びがあふれでてきて、
思わず何かをしたくなりました。
見れば赤ん坊をくるんでいるのは擦り切れた古い布一枚で、あとは飼い葉です。

彼はたった一枚残った真っ赤な衣を広げると、それで赤ん坊をそっとくるみました。
ぱっと目をさました赤ん坊は彼の目をみて、微笑みました。
ハフィドはうれしさでいっぱいになりました。
そのとき若い母親が「ありがとうございます。
あなたは今、この子に一番必要なものをくださいました」
彼はにっこり笑うと黙って馬小屋をあとにしました。
この家族をそっとしておきたかったのです。

しばらくして彼ははっとしました。
大事な商品を無償でささげてしまったのです。
全部売り切ってこなければいけなかったのに。
ご主人さまは約束を守る方ですから、きっとお許しにはならないでしょう。
せっかくのチャンスを台無しにして、彼の夢は消えたも同然です。
その失意の彼に上に、あの大きな星が照らしているのを本人は知りませんでした。
でもその光景を主人は見ていました。
彼こそアラブに伝わる秘伝の巻物の保持者で、
星に導かれて戻ってくるハフィドこそが、
巻物を渡す運命の人だとわかりました。

彼はらくだの世話をしていた少年に巻物を与え、
ハフィドは主人の娘と結婚し、巻物のおかげで大商人へと成長していくのでした。


1968年にオグ・マンディーノがこの小説を書いき、ベストセラーとなりました。
商売に成功し、お金持ちになるにはどうしたらよいかなど
ビジネスマンの必読書となりました。
そして、20年の歳月を経て、マンディーノはその続編を書きました。

今から12年ほど前、息子が自由学園最高学部のとき、
当時の学園長でいらした羽仁趬先生が
授業でこのテキストを用いて、英語を教えてくださいました。
宿題の予習をする息子と一緒に私も学ばせてもらいました。
その夏、羽仁先生は体調を崩され、秋が深まるころ天に召されました。
地上最強の商人とは誰のことか・・・
とても興味深い内容でしたが、それはさておき・・・


今、必要なものを捧げる このことを心に留めて、
希望の持てないときだからこそ GOOD NEWS を
伝えていく者でありたいと願います。

続編は次回に続きます。

NO.120 希望いっぱいの チャリティ⭐️望年会 に参加しました

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先日、横浜 中華街 大珍楼新館にて行われてチャリティ⭐️望年会に
参加しました。
FBで知り合いお友達になった水口海さんが主催されている
毎年恒例の会です。
水口さんは東日本大震災復興支援を行なっている方々に
敬意を感謝をもって、敬意を表しつつ
継続的な復興支援の啓蒙活動に取り組んでいらっしゃる素敵な方です。

 

私が2011年10月11日にFBというSNSを始めたのも、

復興支援の輪をつなげていきたいと思ったからで、
水口海さんとの出会いは大きな恵です。

大珍楼さんの美味しい 中華料理や
蔵元さんの美酒を堪能できることも魅力です。

今回はジャパン・プラットフォーム の阿久津氏がー
〜今後の災害に向けて、地域はどのように力をつけていくべきか〜
という活動報告をされましたが、大変印象に残りました。

内容は東日本大震災から5年9ヶ月・・・来るべき国内災害に向けて〜
地域はどのように力をつけていくべきか〜

1. 震災関連死などの課題にどのような予防策が必要か
2.今後、熊本において予測できる課題を東北の被災地からどう学ぶのか
3.今後起こりうる大きな国内災害に向けて
地域はどのように力をつけていくべきなのか

という講演内容でした。

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これまでの海外支援の豊富な実践からこれからどうなるか予測しての課題は説得力がありました。
東日本大震災復興支援では
初動対応として避難所で炊き出しや傾聴という支援活動をして、
特に高齢者、女性、子ども、障がいを持った方々という災害弱者への配慮をする。
この場合の担い手は個人ボランティアでした。
これからは地域経済復旧.復興支援として生業支援/ 地域ブランドの創出、
地域の文化保存、防災計画策定 、地元主導の自立的復興へがかだいで
担い手は社協・自治会、地元企業になっていきます。

東日本大震災の震災関連死は避難所から仮設へと移動後、
孤独感を感じ、福島では震災関連死が2000人と言われています。


そこで大切なのがセーフネットの構築です。
集会所、お茶飲み会、イベントなどのコミュニティ形成を支援していくことが
大切です。
熊本気質は人の世話 にならないというお国柄、
セーフネットやコミュニティ形成を支援するNPOが少なく、
地域と行政を結ぶ中間支援団体もほとんどないそうです。
熊本に限らず、地元の人材育成とNPOや 中間支援団体の組織基盤強化が
必要になってきます。
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そうです。やはり、人との繋がりがとっても大事なのです。
国は悲しいかな、守ってくれません。
まずは自力で生き延びること。

そして、なんとか 知恵を合わせて、隣近所で生き延びることです。

2011年10月、私は塩釜の寒風沢島で一軒しかないよろず屋さんをしていた方と知り合い ました。
津波がくるとわかったとき、彼女はお店にあるありったけの食料を車に積み込み
島の真ん中にある高台に避難しました。
このとき、島の消防団の人たちは会合で塩釜の街にいたのですが、
どこに誰が住んでいるか、どんな状態でいるか、
みんな知っていたので、一人が一人というようにお年寄り避難されました。
島では一人も犠牲者が出ませんでした。
救助が来たのは一週間後でしたが、食料を持って逃げたので
みんな生き延びることができました。

この話を聞いたとき、コミュニティの力の強さが鍵だと思いました。
避難所もまとめる人の資質によって大きな違いがでることも聞きました。
リーダー作りは重要課題です。

もう一つ、地域ブランド創出。
この日、私が着ていった黒のワンピース。
腰の左右にリボンがついています。
ここに、宮古の裂染の赤いくるみボタンをつけてみました。
そして、ネクタイから作ったネックレスをつけました。
赤玉がクリスマスっぽいです。
これなら、金属アレルギーの私でも安心。
なんとか地味ブランドとして全国展開できないかといつも考えています。

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東日本大震災から6年を迎えていくとき、

風化していくことが一番恐ろしいです。

こういう時こそ、手を取り合って、支援を続けて行きたいと思いました。

そして、また、不思議なご縁が繋がっていきました。

ニコンサートは友人のミュージックベルでした。

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私が取り組んでいるマリゴールドの魔法、
そしてしぇあひるずヨコハマ、この二つはもしかしたら、
これからの時代をいきぬく 羅針盤のある部分を担えるかもしれないと
ふと、思いました。

 

NO.119 オスカー・ワイルドとマリア・カラスとバイアグラ博士 ペール=ラシェーズ墓地(2)

 

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「オスカーワイルドのお墓に行きたいかい?」と問われて、
私はすぐに「はい、行きたい」と答えました。
すると彼はにっこり笑って
「ぼくはここの案内人、ちょうど時間があるから案内しよう」と言いました。
私が1時間しかないことを伝えると、わかったよ。
ショートカットで案内するからついておいでと
大股で坂を登って行きました。
はい!とばかり威勢良く後に続きました。
道なき道を進みます。
誰の墓石の脇をすり抜けるように進みます。

 

お墓というには大きすぎるお墓は、かのロスチャイルド家の墓地です。

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プジョーのお墓を過ぎると、

たくさんの花束が供えられたエディット・ピアフのお墓に着きました。

たくさんのファンが訪れたに違いありません。

パリの下町で不幸な環境に育ちながらも、その後シャンソン歌手として大成功を収めたピアフ。

ボクサーの最愛の恋人を飛行機事故で失うという悲劇に見舞われながらも、

その思いを歌に込めて強く生きました。

フランスで最も敬愛される国民的歌手の一人。

『ばら色の人生』や『愛の賛歌』の歌詞の中に歌われた華やかながら、孤高に満ちた人生を

思わずにはいられませんでした。

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さて、いよいよアイルランドの作家オスカー・ワイルドのお墓です。

パリ左岸のホテル・ダルザスで貧困の中で亡くなったワイルドはこの墓地に埋葬されました。

彫刻家ジェイコブ・エプスタインが作成した翼の生えた男性の裸像の墓地は

当時問題になりましたが、今では当時の形のまま多くのワイルド愛好者を迎えています。

その像は熱狂的なファンからの無数のメッセージで埋め尽くされ、

何者かによって男根が持ち去られてしまいました。

墓石に口づける人が断たなくて透明な覆いを作るに至ったそうです。

墓碑には"He died fortified by the sacraments of the church"と書かれています。

異国の地パリで衰弱したオスカー・ワイルドは、死ぬ前にカトリックの洗礼を受けたのです。

墓碑の後には彼が獄中で書かれた詩が書かれています。

 

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この日の衝撃はこのお墓の前に立った時でした。

バイアグラを知ってるかい?ミッシェルが聞きました。

バイアグラってあのお薬?知ってるけど…

これがバイアグラ博士のお墓だよ。

え? バイアグラって人の名前なの?知らなかった…

君は結婚してるかい?重ねて尋ねてきます。

ええ…と答えると、じゃあ、ここを撫でてごらん。

ほら、こんなに光ってるでしょう。

みんな撫でていくにさ、エクスタシィを感じる御利益のためにね。

私は言われたままにそっと撫でてきました。

冷たい石の感覚が伝わりました。

フランス、面白い国だなあ…………

 

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ミッシェルは時間を見ながら私を導きます。

見せたいところがいっぱい。

君は音楽家なの? いいえ。

なら医療従事者? いいえ。

画家?   違うわ。

それなら何? 文筆家かな… そんな話をしながら行った先は半地下の墓地。

なんと、次の衝撃。

舞踏家で「裸足のイサドラ」と呼ばれたイサドラ・ダンカン そして、なんとマリナ・カラス。

この場所は一人だったら絶対に辿りつかない隠された場所です。感動しました。

マリア・カラスの「カルメン」 、何度映像で見たでしょうか。

 

 

 

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こちらは画家のモリディアーニです。

そしてブカティ。

ユダヤの星の入った墓地は、マルセル・マルソー

そして「失われた時をもとめて」マルセル・プルースト

 

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ショパンとの親交が深かった画家ドラクロア

お次は大作家バルザック

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そして、作曲家ビゼー

彼はスペインに行くことなく、パリで作曲しました。

そういえば、原作者メリメもフランス人です。

スペイン、カルメンの旅を終えて最後に来たこの墓地で

ビゼーマリア・カラスのお墓参りできなんて、思ってもみませんでした。

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ショパンの愛用したピアノを作成したプレイエルの墓地もあります。

 

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そして、私たちはショパンの墓地へと戻ってきました。

日本人 なら、ケン ササキを知ってるかい?

いいえ、知らないわ、と言う私に彼は優れたピアニストで

ペール=ラシェーズ墓地に埋葬されている数少ない日本人の一人と教えてくれました。

そうなんだあ、あとで調べてみようと、思いました。

時計を見るとちょうど約束の時間です。

どうやってお礼をしようと、聞いてみました。

すると彼は50ユーロと言いました。

まあ、妥当だなあと思い、お財布を出そうとバッグの中をゴソゴソして、

顔を上げると、誰もいません。

ミッシェル、ミッシェルと名前を呼びました。

時計を見ると、1時間戻っていました。

ミッシェルの話す英語はすごく良くわかるなあ思ったけど、

もしかして、英語でもなかったのでは?

 

肩にハラハラと落ち葉 一枚とまって、すっと落ちていきました。

 

 

NO.118 ショパンとペール=ラシェーズ墓地 (1) Cimetière du Père Lachaise

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ペール=ラシェーズ墓地でもっとも景色の良い場所から
 
 
今日から師走。
気ぜわしい時ですが、もっとも美しい季節となりました。
 
 

さて、ペール=ラシェーズ墓地をご存知ですか?

フランス、パリ東部にある広さ43ヘクタールという広さの墓地です。
私は墓地の近くで育ったためか、墓地が好きで、
海外に行くと有名人の眠る墓地を訪れます。
 
昨年の10月後半、スペイン、カルメンの旅の最後にパリに寄り、
たった1日の自由時間に迷わずペール=ラシェーズ墓地に行きました。
10月17日に亡くなったショパンのお墓参りのために。
 
 
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ヴァンドーム広場
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ショパン終焉の場所
 
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マドレーヌ寺院
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フレデリック・ショパンはパリ、ヴァンドーム広場にある、今はショーメのお店がある
アパートの二階で息を引き取りました。
39歳という若さでした。 
10月30日、マドレーヌ寺院でお葬式が執り行われました。
モーツァルトのレクイエムが流れる中、多くのパリっ子たちにい
見守られショパンの棺が運ばれていきました。
ショパンの「前奏曲集」から第4番ホ短調と第6番ロ短調が演奏されました。
オルガンを弾いたのはフランツ・リストでした。
 
 
そして、遺言通り、心臓は祖国ポーランドに送られ、
遺体はペール=ラシェーズ墓地に葬られました。
 
マドレーヌ寺院から、ペール=ラシェーズ墓地までの道に
多くの人々が並んでショパンを見送りました。
 
ちょうどパリを訪れた10月27日は
10月31日のハロウィンを持って夏期から冬期へ変わる、
日本でいえばお彼岸のようにお墓参りに行く週となっていました。
 
パリのホテルからタクシーに乗ってペール=ラシェーズに向かいました。
地下鉄で行く手もありましたが、時間節約のためタクシーを使いました。
海外で一人でタクシーに乗るときは、
私はできる限りホテルの前からタクシーに乗ります。
係の人に行き先を告げ、係からタクシーの運転手に言ってもらいます。
特にペール=ラシェーズ墓地に一人で行くので、
かなり慎重になっていました。
 

「ペール・ラシェーズ」とは、ルイ14世の告解を聞いた神父さんの名前だそうです。
もともとは、17世紀に作られたジェズイット派の僧院が造られた土地で、ルイ14世の聴聞告解師(懺悔を聞く相手)であったラシェーズ神父(ペール)の名が、墓地の名称として残りました。
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墓地の前にはどこの国にもお花屋さんがあります。
私はショパンのお墓に供えるブーケを買いました。
 
 
墓地というより、手入れの行き届いた公園のようです。
私が通った入り口には地図の販売がなくて
仕方なく地図を写真撮影しました。
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ショパンのお墓
 
 
著名人のお墓があるのですが、何しろ広いです。
 
道を聞いた時はわりかし近いと思ったのですが、
歩き始めたら、道に迷ってしまいました。
人影もない広い墓地をウロウロして、やっとショパンの墓地を見つけました。
ここで30分経過してます。
オスカー・ワイルドのお墓にたどり着けるかしらと思いながら、
歩き始めるとふと見れば、墓石にピアノの絵が見えました。
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そばに寄ってよく見れば、 KEN SASAKI 日本人の方なのかしらと思いつつ、
地図を頼りに坂を登り始めた時、背後から
オスカー・ワイルドの墓地に行きたいかい?」という声がしました。
「ええ、行きたいです」 と答えながら、後ろを向くと、
そこに一人のおじさんが立っていました。(続く)
 
 
 
 
 

NO.117 アルカサル 王城

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フランス映画の後は中世スペイン歴史漫画、読破しました。

青池保子さんの「アルカサル 王城」です。

「ベルサイユのバラ」「エースをねらえ」は高校生の時にオンタイムで熱読しましたが、

滅多に漫画を読まない私ですが、これにはすっかりはまってしまいました。

昨年、スペインへカルメンの旅に出かけ、すっかり魅了されていましたところ、

先だって、FBのお友達がこの漫画を読んでからスペイン旅行にいらしたことを聞き、

ぜひ読みたいとお借りしました。

 

 

ちょうどJAERV TOUR の始まった時と重なり、読む時間もなくなってしまいました。

この2日間で13巻を完読。心はアルカサルへ飛んでいます。

この漫画は14世紀、戦国時代にあったイベリア半島を舞台に、

奔放な情熱と冷酷な策謀で「残酷王(エル・クルエル)」とも呼ばれた、

カスティリア王国の実在の王ドン・ペドロことペドロ1世の波乱の生涯を描いた作品です。

 

ドン・ペドロが父王からも母からも愛されることのない孤独な少年時代を経て、

数多くの強敵と脇役を交えて自国を強国にしてゆく姿が描かれています。

1983年『月刊プリンセス』で連載時開始。

最初はドン・ペドロの生まれた1334年から絶頂期の1364年までが描かれていて、

おおむね歴史に忠実な作品でした。一旦中断されて、2007年、24年後に完結しました。

プリンセスGOLD』に掲載された完結編では、

前編でドン・ペドロの凋落と1369年の死を、後編ではそれ以後を子や孫の時代である1388年までを描いています。

 

あらすじ 編集
主人公ドン・ペドロは、カスティリア王アルフォンソ11世と王妃マリアの嫡男として生を受けるが、母子共々、父王の愛を得られぬ幼少時代を過ごした。 父王が戦場で病死をすると、わずか15歳で即位することになるが、宰相に思うがままに操られる傀儡の王となる。この宰相を追放し、親政を行い始めるも、王侯貴族や実母の裏切りによって全ての権力を剥奪され、幽閉されてしまう。しかし仲間割れを起こした貴族を利用して権力を取り戻したドン・ペドロは、この経験を基に、決して裏切りを許さない専制君主となった。以降、武勇と知略を駆使して、庶兄で生涯の仇敵となるエンリケや近隣諸国との戦いを開始する。(Wikipediaより)

 

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この頃のイベリア半島カスティリアグラナダアラゴン、ナバーラ、という王国があり、
それぞれの王がイベリア半島の統一を目指して戦いに明け暮れていました。
ヨーロッパの歴史は戦争の歴史です。
政略結婚、裏切、 超某、暗殺、なんでもござれ。
主人公ドン・ペドロと庶子の兄エンリケとの生涯の戦いは読んでいて息苦しくなりました。
愛妾から王妃になったマリアとの純愛は少女漫画には欠かせない重要ファクター。


宝塚でもやっていたのですね。それも知りませんでした。

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昨年、訪れたアルカサルはそれはそれは美しい王城でした。
キリスト教イスラム教の融合。
カルメン物語に心を奪われて出かけて行きましたが、
この漫画も読んでから行けば、
もっともっと視点を広げてみることができたかもしれないと思いました。

 

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アルカサル 門

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塔からの景色

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世界一美人と評判のマリア様

 

 

スペイン、アンダルシア、情熱の国、

もう一度行きたいと … と最後のページを閉じてふと思いました。

この場を借りて全13巻を貸してくださったY様にお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 

Y様から家系図をいただきました。

ヘンリー8世とカタリナが結婚し、その娘がメアリ1世。

エリザベスとイングランド女王をかけて争うメアリ。

スペイン無敵艦隊はエリザベスに敗北し、スペインは覇権を失っていきます。

視点が広がりました。

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女性はマリアとカタリナという名前が多いですね〜。

漫画で学ぶ歴史。面白いです。

 

 

 

 

 

 

 

NO.116 Elle s'en va

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先日、お疲れモードの昼下がり、布団にくるまって

コロコロしながら、
「ミス•ブルターニュの恋」Elle s'en va という映画を見ました。

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あらすじはざっとこうです。

フランスの片田舎の街で
老いた母を抱え、女手一つでレストランを経営する69歳のベティ。

彼女は19歳のときに、ミス・ブルターニュに選ばれるほどの美貌でしたが、
今はちょっと疲れたおばさんになっていました。

夫が事故で亡くなった後、ある男性の愛人となっていましたが、
彼はずっと年若い女性を妊娠させてしまいます。
それで別離。

レストラン経営も暗礁に乗り上げ、
ベティは何ひとつ思い通りにいかずイライラして、禁煙を破り、
机の中からタバコを取り出し、
気晴らしに一人車を走らせます。

そのタバコも切らしてしまい、タバコを買いにドライブを続けるうちに、
いろいろな事柄に巻き込まれていきます。


険悪な間柄の娘から孫息子を娘婿の父親の家に連れていくことになり、
珍道中が始まります。そして…………

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https://m.youtube.com/watch?v=KX3vYLxSFyU#action=share

 

タバコの販売機やコンビニがある日本では、ちょっと考えにくいですが、

本当に何にもない田舎ではタバコを調達するのもおおごとです。

通りすがりのバーでは初めて会うおばさん達と仲良くなったり、

酔い潰れて気がついたら、見知らぬホテルのベッドの中だったり、
かつてのミス達が集まる写真会に参加したり、
なかなかスリリングな展開もあります。

 

さて、この映画は2013年作成。
69歳のカトリーヌ・ドヌーブは歩き方もすっかりおばさん。
あの美しいカトリーヌ・ドヌーブが…

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脚本・監督のエマニュエル ・ベルコは細かいところまで気配りした絶妙なテンポで、
なんども大きくうなずきました。

60歳を過ぎたら、もうおばさんではなく、おばあさんと
若い時はそう思っていました。
ましてや69歳なんて、おばあさんで当たり前と。

 

でもそうではないのですね。
若作りがいいのでなく、中身の問題。

私はもうダメと思ってしまったら、ダメダメ。

ベティは終盤で人生を取り戻していきます。
フランス女性はシワを隠しません。
シワも自分にとって愛すべきものと肯定的に考えます。
主体的に生きるにかけてはフランス人は格別と思います。

ロードムービーというのでしょうか。
美しい風景を見ながらハンドルを駆るベティを見ていたら
私も一人で車の運転をしたくなっていたのでしょう。

日曜日は本調子でないというのに、
思うままに館林までドライブしてしまいました。
好きな音楽をかけて首都高湾岸線を制限速度で
走っていると何か気持ちがすっきり。

ページは新しくなり、次のチャプターが始まったなあと
ベイブリッジを渡りながら、ふと思いました。