「オスカーワイルドのお墓に行きたいかい?」と問われて、
私はすぐに「はい、行きたい」と答えました。
すると彼はにっこり笑って
「ぼくはここの案内人、ちょうど時間があるから案内しよう」と言いました。
私が1時間しかないことを伝えると、わかったよ。
ショートカットで案内するからついておいでと
大股で坂を登って行きました。
はい!とばかり威勢良く後に続きました。
道なき道を進みます。
誰の墓石の脇をすり抜けるように進みます。
お墓というには大きすぎるお墓は、かのロスチャイルド家の墓地です。
プジョーのお墓を過ぎると、
たくさんの花束が供えられたエディット・ピアフのお墓に着きました。
たくさんのファンが訪れたに違いありません。
パリの下町で不幸な環境に育ちながらも、その後シャンソン歌手として大成功を収めたピアフ。
ボクサーの最愛の恋人を飛行機事故で失うという悲劇に見舞われながらも、
その思いを歌に込めて強く生きました。
フランスで最も敬愛される国民的歌手の一人。
『ばら色の人生』や『愛の賛歌』の歌詞の中に歌われた華やかながら、孤高に満ちた人生を
思わずにはいられませんでした。
さて、いよいよアイルランドの作家オスカー・ワイルドのお墓です。
パリ左岸のホテル・ダルザスで貧困の中で亡くなったワイルドはこの墓地に埋葬されました。
彫刻家ジェイコブ・エプスタインが作成した翼の生えた男性の裸像の墓地は
当時問題になりましたが、今では当時の形のまま多くのワイルド愛好者を迎えています。
その像は熱狂的なファンからの無数のメッセージで埋め尽くされ、
何者かによって男根が持ち去られてしまいました。
墓石に口づける人が断たなくて透明な覆いを作るに至ったそうです。
墓碑には"He died fortified by the sacraments of the church"と書かれています。
異国の地パリで衰弱したオスカー・ワイルドは、死ぬ前にカトリックの洗礼を受けたのです。
墓碑の後には彼が獄中で書かれた詩が書かれています。
この日の衝撃はこのお墓の前に立った時でした。
バイアグラを知ってるかい?ミッシェルが聞きました。
バイアグラってあのお薬?知ってるけど…
これがバイアグラ博士のお墓だよ。
え? バイアグラって人の名前なの?知らなかった…
君は結婚してるかい?重ねて尋ねてきます。
ええ…と答えると、じゃあ、ここを撫でてごらん。
ほら、こんなに光ってるでしょう。
みんな撫でていくにさ、エクスタシィを感じる御利益のためにね。
私は言われたままにそっと撫でてきました。
冷たい石の感覚が伝わりました。
フランス、面白い国だなあ…………
ミッシェルは時間を見ながら私を導きます。
見せたいところがいっぱい。
君は音楽家なの? いいえ。
なら医療従事者? いいえ。
画家? 違うわ。
それなら何? 文筆家かな… そんな話をしながら行った先は半地下の墓地。
なんと、次の衝撃。
舞踏家で「裸足のイサドラ」と呼ばれたイサドラ・ダンカン そして、なんとマリナ・カラス。
この場所は一人だったら絶対に辿りつかない隠された場所です。感動しました。
こちらは画家のモリディアーニです。
そしてブカティ。
そして「失われた時をもとめて」マルセル・プルースト。
お次は大作家バルザック
そして、作曲家ビゼー。
彼はスペインに行くことなく、パリで作曲しました。
そういえば、原作者メリメもフランス人です。
スペイン、カルメンの旅を終えて最後に来たこの墓地で
ビゼーとマリア・カラスのお墓参りできなんて、思ってもみませんでした。
ショパンの愛用したピアノを作成したプレイエルの墓地もあります。
そして、私たちはショパンの墓地へと戻ってきました。
日本人 なら、ケン ササキを知ってるかい?
いいえ、知らないわ、と言う私に彼は優れたピアニストで
ペール=ラシェーズ墓地に埋葬されている数少ない日本人の一人と教えてくれました。
そうなんだあ、あとで調べてみようと、思いました。
時計を見るとちょうど約束の時間です。
どうやってお礼をしようと、聞いてみました。
すると彼は50ユーロと言いました。
まあ、妥当だなあと思い、お財布を出そうとバッグの中をゴソゴソして、
顔を上げると、誰もいません。
ミッシェル、ミッシェルと名前を呼びました。
時計を見ると、1時間戻っていました。
ミッシェルの話す英語はすごく良くわかるなあ思ったけど、
もしかして、英語でもなかったのでは?
肩にハラハラと落ち葉 一枚とまって、すっと落ちていきました。