港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO84. 夏の夜の 今昔物語

私は港区白金丘にある明治学院大学でこじんまりとした
キャンパスライフを過ごしました。

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当時、「ハマ会」というグループがありました。
横浜出身者がなんとなく集まって、
おしゃべりしたり、お茶飲みに行ったり過ごしました。

明治学院ヘボン式ローマ字を作ったキリスト教宣教師の
ヘボン博士が創立した日本で最古のミッションスクールです。

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開港してすぐに宣教師が渡来した横浜には
いくつもミッションスクールがあり、
日曜日に教会に行くように学校で薦められるため、
学校が違ってもお友達になることが多々あり、
大学でも、横浜ミッションスクール出身女子はお友達の輪が繋がっていくことが多々ありました。

 

 

昨夜は「ハマ会」のお友達と久しぶりに再会しました。
場所は老舗牛鍋屋荒井屋の隠れ家ARAIYA NEST です。

先代社長はハマ会メンバーで、常に私たちをリードしてくれ、
加山雄三の「若大将」 そのものでした。
50歳の若さで亡くなり、今は美しい奥様が意志を継いで
息子さんと一緒にお店を切り盛りしています。

美人女将で名高い社長から、還暦のお祝いシャンパンを
プレゼントしていただきました。
先代社長と私はお誕生日が同じだったことを
この夏初めて知りました。

案外、何も知らなかった学生時代…
みんな見かけによらず、苦労を負って、
ひたむきに生きていたのだなあと思いました。

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美味しいお料理に舌鼓を打ちながら思い出話に花が咲き、
コアな横浜の話しをして佳境に入り、
五大路子さんのお芝居「横浜ローザ」の話から
横浜メリーさんのに話題が移りました。

ご存知ない方にちょっと説明しておきます。

 

…メリーさん(本名非公開、1921年[1]- 2005年1月17日)は、横浜の中心部でしばしば目撃された老女。歌舞伎役者のように白粉を塗り、フリルのついた純白のドレスをまとっていた。終戦後進駐軍兵士相手に身体を売っていた「パンパン」と呼ばれる娼婦のなれの果てだと噂されていた。…

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私は何度も横浜駅周辺で目撃したことがありますが、
なんと、彼女に声をかけられたとO君が言いました。

えええええ〜
彼女は気に入った人にしか声をかけないと聞いていましたからびっくり。

 

彼の話によれば30年ほど前、帰宅途中の日ノ出町駅付近で、
後ろから「ねえ」と声をかけられたというのです。
振り向きざまに、もう一度「ねえ」と言われ、
メリーさんと視線があい、逃げるように去ったと…

メリーさんに声をかけられた人にあったのは初めての私、
興奮気味にどんな声だった?と聞いてみました。
猫みたいに高い声だった。と答えてくれました。

 

戦後の日本の横浜は他のどこよりも
アメリカの影響を受けていたと思います。

1956年生まれの私たちは、戦争が終わってたったの10年しか
たってない時に生を受けて、高度成長期に育ち、
バブルを経験し、経済成長が止まった時代で最後の時を迎えます。

 

どうこれからの人生を生きていく?
思い出話しは、いつしかこれからの生き方の話題に
変わっていきました。
宮古復興支援をずっと続けている友人と情報交換をしながら、
これからも社会への働きかけをしていこうと思いました。

 

もしかして、これからが一番面白い
人生の時を過ごせるのかなと思いました。

 

K君が「お、頑張れよ。応援してるよ」と
爽やかな笑顔で送ってくれてる、
階段を下りながら、ふと、思いました。