港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.160 『ツナグ』想い人の心得 母の命日に

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2012年に映画化され、大ヒットした辻村深月さんの

小説『ツナグ 想い人の心得』を読みました。

生きている人がもう一度会いたい死者を呼び出し再会させる

仲介人“ツナグ”の祖母から引き継いだ高校生、歩美を主人公として、

様々な人間ドラマを描いた感動作で、

映画では歩美を松坂桃李さん、祖母で先代の“ツナグ”を樹木希林さんが演じ、

小説の味をよく表現した良い映画です。

 

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今回、待望の続編が刊行されました。

前作から7年の時が流れ、祖母は他界し、

高校生だった歩美も社会人となり、成長した姿を見せてくれます。

 


誰でも大切な家族や友の亡くなってしまった人への

後悔や誰にも言えない想いを持っていると思います。

その思いが募り、特別な縁を持って満月の夜、

一夜だけこの世に再び戻してくれる人がいたら、どうでしょうか…

 


「想い人心得」には以下の短編小説が収められています。

  プロポーズの心得

  歴史研究の心得

  母の心得

  一人娘の心得

  想い人の心得

 

 

ネタバレになるので、ここでは内容には触れませんが、

辻村深月さんが成長して、一作目より深い、温かな視点で人生を描いていることが、

心に深く留まり、何度も、泣いてしまいました。

 


今日11月26日は母の47回目の命日です。

その日、16歳だった私も還暦を超えてしまいました。

心の奥底は母が亡くなった瞬間に凍ってしまった感情があり、

毎年、この時期は苦しくなっていました。

 


母は高血圧でいつ倒れるか不安でしたので、

母の望む真面目な良い子にならなければと常に思っていました。

私は16歳、母の思いより自分の意思を持っていこうと決心した途端、

44歳でくも膜下出血で亡くなりました。

私が母の「良い子」をやめようしたから、母は亡くなってしまった。

私が良い子を続けていたら母は死ななかったかもしれない。

私は自分を責めました。

 


お気に入りのノートには節目節目の日記が綴られています。

涙の跡が残るその時の日記を読み返してみると、

母の最後を思い出します。

感情的な思春期にありながら、必死に冷静でいなければと思って

一所懸命書いたもので、今でも、息が詰まります。

この先、どうやって生きていけば良いのかとわからなくなりました。

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あの夜、
目尻に涙を浮かべて、伝えようとする母の手をさすり、私は

「明日になれば、病院行けば大丈夫」と言い続けていました。

なんですぐに救急車を呼ばなかったのか、悔いは残りました。

 

翌日、救急車で横浜市立大学病院に搬送され、

緊急治療室で息を引き取りました。

 

小学校6年生の弟はブラスバンドの本番に出ていて

死に目に立ち会えず、

帰宅して、冷たくなった母を一目見て、

自室に篭ったまま、出てきませんでした。

この先、どうやって私たちは生きていけばよいの?

弟と一緒に泣くことも出来ず、

茫然としていました。

 


「ママは何を言いたかったの?」

 


亡くなった後も、何度も思いました。

 


「ママは何を言いたかったの?」

 


『ツナグ』を読む途中、私は心に問いました。

もし、縁あって、仲介人を見つけられたら、私はママに会って、

あの時何を言いたかったの?と聞いてみたいかしら…と。

 


答えは 否…

 


母もプロテスタント信者でしたので、位牌はなく、

納骨するまでは遺影の前に聖書と花を置いていました。

2週間ほど経た時、花を取り替えようとしたときに、

聖書の脇に封筒を見つけました。

 


その封筒には母の字で私と弟の名前に続いて、こう書いてありました。

「これは私の信仰告白です。

 正しい、心の清い人になってください。

 天国からいつも見守っています」

 


いつ、誰が置いたのか、わかりません。

母は死を覚悟した時、信仰告白を遺言としたのでしょう。

 


遺言通り、母はいつも見守っていてくれました。

困難な時、いつも不思議に守護天使のように助っ人が現れて、

私を支えてくれました。

 


『ツナグ』を読み終えた時、実に爽やかな気がしました。

人は人へと命がつながっていくのです。

それは血によって繋がれていくだけではないのです。

思いは繋がれていくのです。

 


「大丈夫よ。私は安心して見てるわよ。

まだまだ、そっちにいなさいよ。

私の分まで楽しんでよ。

孫たちといっぱい遊びなさいよ。」

 


懐かしい母の声が聞こえてきます。

 


ママ、うん、わかったと!と私。

 


その時

 


「おばあちゃん!」という2歳の孫の呼ぶ声。

 

 


そう、ママの思いは私へ、孫へ、そしてひ孫へ…

繋がっていく…

 


47年経って、凍りついていた感情が穏やかに溶けていくのを感じました。

 

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