港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.158 「作家が自作を語る」〜作家の本音 

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日本ペンクラブ女性作家委員会主催の文学イベント
第6回「作家が自作を語る」が
神田神保町東京堂ホールで開催されました。
今回は篠田節子さんと諸田玲子さんがゲストで、
司会進行は女性作家委員会長の松本侑子さんです。

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篠田節子さんは東京生まれの64歳。
東京学芸大学卒で八王子市役所に勤める傍ら、小説家を目指して、
1990年『絹の変容』で第3回小説すばる新人賞を受賞したのを皮切りに、

次々と文学賞を獲得し、ホラー、SFから宗教、

社会派まで幅広い分野の主題に取り組まれていらっしゃる実力派小説家です。
今回は最新刊『肖像彫刻家』を取り上げられました。

f:id:tw101:20191118120650j:image 集英社ウェブより

 

 

 

 


『肖像彫刻家』というタイトルでは絶対に売れない!
中身がわかるようなタイトルに変えるようにと出版間近まで揉めたという

エピソードからお話しは始まりました。
このやりとりは作家対文芸担当でなく、販売サイドからの強い要望だったそうです。
なぜかというと、「『肖像彫刻家』では字が読めない!漢字だけでは固すぎ、

内容が伝わらないと売れない!」というわけでした。
しかしながら、作家として妥協をしたくないという固い信念で、

本題で決定し、出版されましたが、案の定、さっぱり売れないそうです。
さて、内容は…

ローマで本格的に肖像彫刻を学んだが、

今は売れないしがないアーティストの主人公が、

ヒョンなことから頼まれて作った肖像に魂が宿り、動きだし、人間愛憎を繰り広げ、
そのことで大評判になっていく、奇想天外な物語だというのです。

なぜこの小説を書いたのかといえば、

学芸大の生徒だった時にたまたま彫刻の学生から頼まれてモデルをしていた時期があり、

そのときの写真を雑誌に掲載したところ、

今はローマで法王の肖像も手がける立派な肖像彫刻家になっている奥村さんから連絡が入り、

彼が三越個展をした際に対談しました。
ローマンワックス型の肖像はまるで生きているようで、

生命が宿りそう…と思い、小説の題材にしました。
主人公は華々しい経歴を持った成功者ではつまらないので、

中途半端な実力とそこそこの才能を持つバツイチの中年男になりました。
芸術を描くファンタジーの舞台はどこにする?
ところが、認知症のお母様の介護をしている篠田さん、どこにも取材行くこともできません。
そこで、舞台は自分の住む八王子近く、山梨の農村となりました。


親戚、地元の町会などの付き合いを濃密にするようになり、

目眩がするほど保守的で、昭和の人間関係が色濃く残る農村に

ドップリ浸かって生活した時期に創作エネルギーは奪われてましたが、
全く違う要素が加わり、ファンタジーをマッチングさせた小説が出来上がったのです。


マイナスをプラスにしてしまう、しなやかな感性と強靭な精神はさすがです。
まだ1000部しか売れていないということで、ぜひ読んでくださいと篠田さん。

はい、ぜひ読ませていただきます。

 

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諸田玲子さんは『今ひとたびの、和泉式部』を語ってくださいました。

諸田さんは静岡生まれ、かの清水の次郎長の養女がお婆様のお婆様だったそうで、

歴史に対する視点が違うのは、そういう環境もあるのかと思いました。
上智大学卒。2003年『其の一日』で第21回吉川英治文学新人賞受賞。

今ひとたびの、和泉式部』で第10回親鸞賞を受賞され、

平安朝から昭和までを舞台とした歴史小説の著者多数です。

f:id:tw101:20191118120724j:imageHPより


お父上が古典の先生で幼い頃から、歴史小説をみて育った諸田さんは、

沢田研二さん演じる光源氏のテレビ番組のノベライズをお父様の代わりに書いたのが始まりで、

橋田寿賀子さんや向田邦子さんのドラマのノベライズをされていました。


杉本苑子さんの「源氏物語」を読み、共感し、

自分も現代の感覚で平安朝を描きたいと思うようになりました。
当時は身分制度が明確なピラミッド社会、今と同じく忖度もあり、

金持ちは馬を使って地位を買う不埒な輩も多く、
人々はバタバタとは死んでいき、不安な将来を案じ、

占いや似非宗教にすがる暗い時代でした。
人の世はちっとも変わっていないようです。


和泉式部はそんな時代に生きました。

橘道貞の妻となり、和泉国に入り、和泉式部と名乗るようになりました。

この結婚は破綻し、間もなく冷泉天皇の第三皇子為尊親王と熱愛し、

親から勘当されますが、愛しい親王は亡くなってしまいます。
親王の死後、今度は同母弟の敦道親王が式部を愛してしまい、

彼女を邸に迎えようとし、正妃は家出してしまいます。
親王の召人として一子・永覚を生みますが、敦道親王も早世してしまい、

一条天皇中宮藤原彰子に女房として出仕します。
その後、藤原保昌と再婚し、丹後に降ります。

ところが、最初の夫との間にもうけた娘古式部内儀も死去する悲劇に見舞われます。
晩年の動静は不明とされています。


同じ中宮に仕えた同僚の紫式部から

「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された和泉式部

不埒な女とも呼ばれた和泉式部
この既成概念を潰したいと諸田さんは考えます。
誰かが誰かから聞いたことを一行書いたものが、

まことしやかに流布され、あたかも真実のように評価されてしまう!
そんなことないんじゃないの?
和泉式部は誰を一番愛していたのか…
女は愛にしか動かない!
男にだらしないと言われた和泉式部は、

ただ恋を歌っていたのではなく、愛する者が皆死んでしまう中で、

生と死を描きつづけたのではないかと諸田さんは思いを深めます。
いつ自分を焼く煙を見るのだろうか…


諸田さんは、離婚を経験し、父を亡くし、母を看取り、

自分にはもう何もないと思った時に、和泉式部を書けると思ったそうです。


和泉式部の死後、式部を偲ぶ女性の視点を通して
式部の謎の部分を解き明かす流れ、
式部が生身の人間として生きる生活を描く流れ、
この二つの流れが時折交差しながら物語は進みます。
そして後半はミステリー仕立て…


読まねば!と思います。
ものの哀れがわかる年頃になってきた私、
俄然、和泉式部に興味を持ちました。


くらきより くらき道にぞ入りぬべき
 はるかに照らせ 山の端の月(和泉式部)

 

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最後に松本侑子さん「赤毛のアン」翻訳物語をお話しくださいました。

村岡花子訳で何ども繰り返して読んだというお二人も

初めて聞く事実に興味深々の様子です。

赤毛のアン」については以前も書きましたので、

今回は触れませんが、興味深いお話しでした。

小説家ってすごいなあとつくづく感心した時間でした。