コロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言下の自粛生活で、
読書三昧、動画見放題のダルな生活を2カ月続けていたら、
身体も、頭もすっかり重くなっていました。
これはなんとかしないといけないかな…と
考えていた矢先…
10万円給付申請書を出しにいった早朝、
あまりに気持ちが良いので、そのままみなとみらい地区に歩いて行き、
新しくできたキングモール橋を渡り、臨港パークに出て、海を見ました。
キラキラと輝く海、埠頭を渡る朝風、
ゆるやかにカーブする水際に打ち寄せる波の音…
久々に五感いっぱいに感じる湊に感動しました。
そして、翌日、6月1日から、
名前表記を旧姓に戻したことをFBで公開し、
心機一転、
朝の散歩をスタートしました。
《洲崎大神》
その日はまず近場からとばかり、
お散歩は京急神奈川駅から歩いて5分ほどにある洲崎大神から始めました。
建久2年(1191年) 源頼朝が安房国一宮の安房神社の霊を移して祀ったことに始まると伝えられています。
神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたりに、
かつての船着場があり、横浜開港当時は、開港場と神奈川宿を結ぶ重要な拠点となったそうです。
毎年、大きな祭礼が行われていますが、今年は残念ながら、中止です。
《孝道山》
地元の商店街の協力で「孝道山まつり」が華やかに行われる、
東横線東白楽近くの高台にある景色の良いお寺です。
東横線線路後にできた「東横フラワーロード」で反町から歩いていけます。
《三ツ沢貝塚》
反町から始まる「せせらぎ緑道」を歩いていき、
豊願寺境内をを抜けると三ツ沢公園に出ます。
バス通りを少し歩くと、県立翠嵐高校が見えてきます。
校門を過ぎて左手に曲がったところに一枚の看板「三ツ沢貝塚」があります。
明治38年(1905年)秋、イギリス人医師で考古学者のニール・ゴードン・マンローによって発見されました。
付近には多量の貝層や、それに含まれる縄文土器・石器・人骨などの遺物の他、
竪穴住居などの遺構が発見されました。
《浅間神社》
承暦4年(1080年)源頼朝が浅間神社を勧請して造営されたという歴史のある神社です。
このあたりは袖ヶ浦(入江)に面した帷子川の河口港として栄え、
江戸時代には東海道五十三次の神奈川と程ヶ谷宿の間の宿でした。
幕末の横浜開港の際には門前より横浜(現中黒関内)に至る「横浜道」が整備されていました。
また、三ツ沢に繋がるこの一帯にも横穴古墳群が発見されています。
まあ、まあ…!
古代の昔から、海に近いこのあたりには、人々が暮らしていたのですね。
神奈川という地名が最初に歴史に登場するのは中世鎌倉時代。
北条時宗下文に「鶴岡八幡宮武蔵国稲目・神奈河両群」とあり、これが初目で、
当時は神奈河郷は相模国鎌倉の鶴岡八幡領だったことがわかります。
そうだったのか!洲崎大神や浅間神社ができた時、
ここは神奈河という名前さえついていなかった‼️
私は海外旅行が大好きで、日常生活が煮詰まってくると、
一人でふらりと出かけていきました。
コロナ自粛がなければ、3月には台湾に行く予定でした。
しかし、今となっては、当分、仕事でもない海外旅行は
当分、自粛しないければならなくなりました。
今まで見向きもしなかった地元の道、地元の史跡。
近所を歩いてみれば、いろいろな発見があります。
車であっという間に通り過ぎてしまっている国道も、
脇道を歩くと、
思わぬところにつながっていることに気づきます。
地図も見ずに、ただ勘だけを頼りに歩くことは、
五感が研ぎ澄まされていき、頭がスッキリしてきます。
飛行機に乗って遠い見知らぬ土地へ行っていたときも
本当に楽しかったですが、
家近くの見知らぬ道をとことこ歩いていくのも楽しみです。
道は必ずつながっていることがわかるから…
車だったら引き返さなければならないような道も
歩いていると抜けることができるものです。
それは当たり前なのに新鮮です。
神奈川区は神奈川県に似て、横に長い区です。
コロナ自粛期間でインプットした言葉、映像、思考、
頭の中に渦巻いていて、言葉に表せないことが、
歩いていると、整理されて、新しい引き出しができて、
そこに入っていくような気になってきました。
夜中に悶々と考えることは、悲観的になりがちですが、
朝の静謐な空気に包まれて、歩くときに思い浮かぶことには
光に輝く前向きな考えです。
雨の中、歩くのも楽しみです。
生まれた街、大好きな横浜…
開発ラッシュの横浜、今見ている景色もいずれ過去になるのです。
今を大切にしたいと思いながらお散歩したいです。
昨日、横浜CIALが部分オープンしました。
線路後の道、「はまレールウォーク」も完成しました。
どう変わる?
横浜から目が離せません。