港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.170 COVID-19 とインフルエンザの思い出 

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今日も横浜大黒埠頭に停泊している

ダイヤモンド・プリンセス号が私の部屋からよく見えています。

 


非公開の小さな会ながら、

半年前から企画を温め

大切に準備してきた

2020.02.22のイベントを延期決定をしました。

下船してきたプリンセス・ダイヤモンド号の乗客が

横浜駅東口で自由解散になった19日の段階では、

まだ延期など考えていなかったのですが、

駅近くのお店で飲食をしていたという報道もあり、

21日の時点で横浜駅が一つの汚染拡大地域となったと受け止め、

出演者や関係者の皆様と意見交換をして、

21日、16時に結論を出しました。

苦渋の決断でしたが、

下船した方が陽性反応になったというニュースを聞き、

判断は正しかったと思いました。

 


昨日、今日予定されていたイベントも延期となり

家で引きこもって静かに過ごしていましたら、

COVID-19を離れ、

遠い日のインフルエンザの思い出に遡っていきました。

 


私の二人の息子は東京都東久留米市にある自由学園という

寮のある学校で学びました。

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自由学園は大正時代に羽仁吉一・もと子夫妻によって創立された

キリストの教えを基にした幼稚園にあたる幼児生活団から初等部、

女子部と男子部に別れた中等部、高等部と

大学部の一貫教育、全人格教育をしている素晴らしい学校です。

 


自由学園については、また別の機会に書くことにします。

 


学園生活には様々な記憶がありますが、

今の時期に必ず思い出すことがインフルエンザの思い出です。

 


長男は高等部3年の冬、寮長をしていました。

この寮には監督する先生はいませんでした。

生徒の自治に任されていたのです。

寮長は寮で起きることの全ての責任者となります。

毎晩、就寝時の全員が様子を確認し、学園長に無事を報告して

1日を終えるのですが、

1月、2月この時期は多くの寮生がインフルエンザにかかります。

隔離しても、寮生活をしていると、一般より感染率は高くなります。

近郊の寮生は自宅へ帰ることもできますが、

地方生は隔離部屋で過ごします。

 

彼は自分ことを忘れて、寮母さんを助けて

インフルエンザにかかった生徒を看病したり、

寮生の健康を保つ為に懸命に働き、

ついに自らもインフルエンザにかかってしまいました。

でも寝てるわけにはいかない、

這ってでも寮長の役目を果たすと

熱があるのに頑張ろうとしました。

その時、寮母さんが

「あなたはとっても頑張っているけど、

インフルエンザの菌をばら撒くことになるじゃない?

あなたがまずちゃんと休んで、完治しないとね」と優しく諭してくれました。

彼はその言葉にハッとして

隔離部屋の人となりました。

数日経って全快し、寮の壇上に立った時、

寮生から「寮長、お帰りなさい」と大きな拍手を受け、

涙が出てとまらなかったと後に話していました。

 

小さなことでも責任を取るとはどういうことかというものを

言葉やマニュアルでなく

自分の体験から学ぶことができました。

 

 

 

次男は楽しみにしていたスキー合宿初日に高熱を出し、すぐに

隔離部屋に移されました。

 


現地の医院で受診しインフルエンザと診断され、

タミフルを飲んで隔離部屋で過ごし、

熱は下がり、帰宅した頃には、

症状は消えて元気を取り戻していました。

 


翌日から登校する気満々でしたが、

保健室の先生と話した結果、二日休むことになりました。

 

 

さて、自由学園には「完全出席」という栄誉があります。

遅刻も欠席もない生徒は壇上に上がり、メダルを授与されす。

これまで一度もその栄誉に値することのなかった彼でしたが、

最後の学年で初めて1年間の完全出席が

目の前というところまで来ていました。

インフルエンザは出席停止なので、

欠席にはならないのではないの?と

私は思いましたが、「完全出席」は全くの「完全出席」なのでした。

皆、この栄誉が欲しいと思い、中には熱があっても

「完全出席」をもらいたいが為に欠席しない生徒が出ます。

ごくたまに親も頑張っている子どもが不憫で

具合が悪くても登校させてしまうこともあるようでした。

息子も「もう大丈夫だから学校に行きたい」と言いました。

栄誉を戴ける初めての、そして最後のチャンスだから…

 

 


その時、私は以前あるお母様から聞いた話を思い出しました。

 

 

「男子部6年間通して完全出席をした生徒が

 みんなから賞賛されて卒業していきました。

 ところが、卒業して数年経ったある日、

彼は学園長を訪ねてきて、

 「完全出席」のメダルを差し出し、言いました。

『先生、僕はこのメダルをお返しに来ました。』

学園長は彼を見て『なぜ、返したいと思うのですか』と尋ねました。

『僕は完全出席になることを栄誉と思っていました。

 だから本当に頑張りました。

ある朝、駅で具合が良くない人を見かけました。

その姿を知っていながら、そのまま通りすぎて学校に行きました。

遅刻したら完全出席ではなくなると思って、

見て見ぬふりをしました。

メダルをもらって嬉しかったです。

でも、最近、僕は気づきました。完全出席より大切だったのは、

駅員さんに知らせてその人が手当てをしてもらえるようにすることだったと。

僕は完全ではなかった。

このメダルはお返しします」

学園長は彼の目をしっかり見て、彼の両手を温かく包んで、

「君はよくその事に気づいたね。僕は君のことをとても誇りに思う。」

学園長は本当に嬉しかったのです。

その話を何度もされたそうです。

彼は「完全出席」より大切なことが何かを知りました。

 

この話をした後、私は次男と話しました。

価値観の話となっていきました。

彼も「完全出席」より大切な事をわかりかけていました。

 


「『自分の頭で考え、自ら決断し、行動し

実行したことに責任を持つ。』

これは成熟した大人として本当に大切なことです。」

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自由学園最高学部(大学部)で長年

キリスト教価値観」の講義をしてくださった

渡辺和子シスターは、いつも、こう学生に仰っていました。

 

では何を基準に考え、判断するのでしょうか。

価値あるものが何かということが基準となりますね。

大事なのは経済〜お金?

それとも健康〜生命?

 

何も考えず、人任せとして、誰かに責任を押し付けて

何もなかったようにしてしまうのは

成熟した大人がすることではありません。

 

シスター渡辺の声が聞こえてくるようです。


成熟した大人がいない国はどうなっていくのでしょうか…?

 

 

SNSから流れる情報を横に置き、

春めいてきた青空を眺めて、

春を告げる鳥のさえずりに耳を傾ける

春の昼下がりです。

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