港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.182 穀雨のとき

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♫ ぱらぱらおちる あめよ あめよ

 ぱらぱらぱらと なぜおちる

 かわいたつちを やわらかにして

 きれいなはなを さかすため♫

 


このこども讃美歌が大好きです。

緑が芽吹く季節が大好きです。

 

 

 

日本には一年間を24に分けて、

それぞれに季節を表す言葉をつけた

二十四節気』という言葉があります。

6番目が「穀雨」です。

4月20日から5月4日あたりのことです。

穀雨の前は清明、後は立夏

徐々に夏が近づいてくる時期でもあります。

特に穀雨の終わりには

「八十八夜」が訪れます。

「八」「十」「八」の三つの字を組み合わせると

「米」になることから、

農作業に縁起のいい日ともされてきたようです。

 


そして穀雨

「種まきや田植えの時期に降る雨」とされています。

 


この時期の雨は「百殻春雨」とも呼ばれ、

あらゆる穀物を潤し育てる恵の雨と考えられてきました。

作物を上手に育てるためには、

この穀雨の前に種まきを終える必要があります。

そのため昔は穀雨を目安として

田植え作業の準備が行われてきました。

 


さて、今年の「穀雨」の始まりは4月19日でした。

この日はお天気の良い日曜日となり、

コロナ感染拡大防止に自粛宣言発令中にかかわらず、

多くの人たちが戸外へ出かけて行きました。

 


翌日20日、月曜日に穀雨は降り注ぎました。

 


そんな雨の中「必要急務」の用事をするために

車で出かけて行きました。

 

 


「円満離婚」などというものは

あり得ないと思っていました。

 

20年間の別居。

しかも、夫が実際どこに住んでいるかもわからないという

結婚生活は明らかに破綻しています。

 

ですから、たとえ夫に愛人が何人出てこようと、

私は慰謝料を請求することもできないそうです。

 


すでに破綻しているのだから…

 

このままの状態でも構わないのではないという弁護士さん。

今さら…という思いがないわけではありませんでした。

でも、私はこのまま この身分、今の立場で死にたくないと

この数年ずっと思い続けていました。

 


コロナ感染の危機的状況になり、

人生で一番価値のあるものは何かを考えるとき、

また、いつ、どうやって、

人生の終わりを迎えるかを考えるときが

格段に増えてきました。

 


おそらく、

国家の政治から個人の人間関係に至るまで、

これまで歪な形で持ち堪えてきたものにある

様々な問題が顕在化されて、

壊れるべきものは、

壊されていくときなのではないかと

思うようになりました。

 

 

 

そんな状況下で先週、電話で話しすると、

あっさりと夫は離婚に合意し、

三日後には署名捺印することになりました。

 


この数年、会うのが苦痛でしかなかった夫でしたが、

雨の滴いっぱいの窓辺にあるテーブルで、

一文字一文字、丁寧に署名する姿を見ていたら、

ふっと胸が熱くなりました。

 

ありがとう…

ありがとう…

私を解放してくれてありがとう…

 


「円満な離婚」というものも、

もしかしたら、

あるかもしれないと思いました。

 


子どもはすでに成人していて親権問題なし。

分けるべき共有財産なし。

 


だからこそできる、

これからの人間関係を壊さない「円満離婚」

散々我慢したけど

この時を待っていてよかった…

 

 

 

その日の朝、

交際中によく車の中で聴いていた

「雨の物語」(イルカ)を思い出して、

YouTube 何度もかけて聴きました。

 


♫窓の外は雨 雨が降ってる

 物語の終わりに こんな雨の日 

 似合いすぎてる♫

 


https://youtu.be/HNgjPRZnXnI

 


そう、物語の終わりは新しい物語の始まりです。

これから残された時間をどう生きていくか…

 


穀雨は新しい命を育む恵の雨。

 


今は土砂降りのようなコロナ禍だけど、

この雨が止むとき

新しい命が芽生えていくことを確信します。

 


 http://youtu.be/rS7WNoGKGuY

 

 

f:id:tw101:20200423100954j:image 2年前に植えたモッコウバラ、今年になった初めて花が咲きました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO.181 《 Happy Easter 》バプテスマから50年!

 

 

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イースターおめでとうございます。

 

 

 


新型コロナウイルスの影響で

イースター礼拝を共に守ることはできず、

多くの教会はネット配信をして、

それぞれの場所でイースターを迎えることになりました。

私の人生で初めての事です。

 


イースターはイエスの復活を記念する特別な日で、

キリスト教ではクリスマスより重要な意味を持ちます。

 


基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」

という年によって日付が変わる移動祝日で

今年は4月12日つまり今日となります。

 


十字架にかけられ、

息を引き取ったイエスは墓に葬られました。

何もしてはいけない安息日が開けると、

すぐにマグダラのマリアは愛する師

エスの遺体に香油を塗るために墓に出かけて行きました。

マリアが墓に着くと、

入り口を塞いでいた大きな石が取りのけてあり、

エスの遺体がありません。

驚いたマリアは急いでペテロに知らせます。

弟子たちはイエスの死後、

家に閉じこもっていましたが、

マリアの知らせに驚き、

確認に行きました。

 


エスに頭を包んでいた覆いと

遺体を包んだ亜麻布とは別々に丸めてありました。

弟子たちは墓の中にイエスの遺体がないという事実に

驚きつつも、

納得して帰って行きました。

 


でも、マリアは大切なイエス様に遺体がない…という事実を受け入れられず

なぜ、なぜと問いかけながら、シクシク泣いていました。

その時、イエスはマリアの傍らに現れ、マリアに

「婦人よ、なぜ、泣いているのか」と尋ねます。

マリアは最初その人がイエスとは気づきませんでした。

しかし、イエスが「マリア」と呼びかけると、

ハッとしてマリアは振り向き「ラボニ」と言いました。

「先生!」という意味です。

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…ああ、あの懐かしいイエス様の声…

エス様は死んでいないわ!生きていらっしゃる!

マリアの心はどんなに嬉しかったことでしょうか。

 

死に打ち勝った復活の主イエスはマリアに言いました。

「もう、泣かなくても大丈夫。

 いつでも、私が必ずあなたと一緒にいるから」

 


私はこの場面が大好きです。

気弱になって何もしないで

家に閉じ籠っている弟子たちをよそに、

しなければいけないこと(香油を塗る)を

成し遂げようとするマグダラのマリアの強さに

心打たれます。

 


復活を信じられない人も多くいると思います。

常識で考えたらあり得ないことです。

 


ですが、私は復活の主を信じました。

1970年イースター(3月29日)に

私はバプテスト教会バプテスマを受けました。

全身水に入る浸礼でした。

中学1年生から2年生になる春休みでした。

 


まだ子どもで難しいことはわかりませんでした。

教会の役員会ではまだ早すぎるにではないか

と言う声もあったと後で聞きました。

でも受け入れられ、

千葉勇牧師からバプテスマを受けました。

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1970年(昭和45年)3月14日 

大阪府吹田市千里丘陵日本万国博覧会が開幕しました。

3月31日 

日本航空よど号ハイジャック事件が起きました。

11月25日

三島由紀夫が割腹自決をしました。

テレビは黄金期を迎え、

各自動車会社は次々と新車を発表し、

休日には歩行者天国が始まり、

「黒ネコのタンゴ」を聞かない日はない時代でした。

ビートルズ 「レット・イット・ビー」

サイモン&ガーファンクル「明日にかける橋」

心に残る数々の名曲が生まれました。

 


50年後、世界は新型コロナウイルス感染拡大で

大変な事になっています。

医療現場では日々、

多くの医療スタッフが尊い命を救うために

クタクタになって懸命に働いています。

医療崩壊が起きないように、

私たちは行動自粛を要請されています。

休業を余儀なくされているお店のオーナーさん、

また仕事をなくしてしまう人たちも、

毎日、粛々としなければならないことをしている人たちも、

みな、不安いっぱいです。

 


学校に行けず、お友達とも会えず、

ずっと家に閉じ込められている子どもたち、

つまらない気持ちでいっぱいです。

給食を食べることも出来ない子どもは

命を繋いでいくのも大変です…

 


いつ、このトンネルを抜けることができるのか、

誰もわかりません。

 


悲しいかな、この国のリーダーシップを

発揮するべき人には

大きな期待できません。

 


いったい、どうすれば良いのでしょう…

 


時折、とてつもない絶望感が襲ってきます。

 


それでも、必ず…明日はきます。

桜が散って、若葉が芽吹きます。

 


復活するから、大丈夫…

元通りの世界には戻らないかもしれないけど、

復活できるから、大丈夫…

毎日、自分に言い聞かせています。

 

 

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今朝、しぇあひるずヨコハマのラウンジでは、

イースターを記念して

マルコによる福音書16章1節から8節を読み、

讃美歌を歌い、

祈るひとときを持ちました。

大人5人と子ども2人の小さな会です。

f:id:tw101:20200412112259j:image 司式担当の弟。私は奏楽担当。

 


その後、お庭でエッグハントをしました。

イースター用に飾られた茹で卵をお庭に

隠して、それを捜すゲームですが、

2人の孫は大興奮。

隠して捜す!を何度も繰り返しました。

2020年のイースターが良い思い出になってくれたと

信じます。

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今日、あらゆる場所で「復活に主」に

コロナ終息を祈っていることでしょう。

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イースター おめでとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

NO.180 ゲッセマネの祈り

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エスエルサレムで弟子たちと最後の食事をした後、

エルサレム東のオリーブ山にあるゲッセマネの園に向かい、

そこで夜をお過ごしになりました。

マタイ、マルコ、ルカの三福音書によると、

エスはそこで、これから受ける受難の苦悩を、

血の汗を流して祈りましたが、

一緒にいた弟子たちは眠ってしまいます。

その苦しみは如何ばかりだったでしょうか。

 

 

 

牧師となり、今はアメリカ在住の叔父の勉強部屋には

二枚の聖画の模写が飾ってありました。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ 『最後の晩餐』

ホフマン  『ゲッセマネの祈り』

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本がたくさんある叔父の部屋に遊びに行くのが大好きでした。

この絵は何の絵なの?

幼稚園の頃から観ていたので、

きっと聞いたことがあるのでしょう。

私はそれがイエス様の絵だということを知っていました。

私の心にある「イエス像」は

ホフマン作『ゲッセマネのイエス』に描かれたイエスだと思います。

 


叔父が副牧師として、いわき、平教会に赴任することになり、

その二枚の絵を私にくれました。

以来、私は毎日、二枚の絵を見ながら、暮らしました。

 


ゲッセマネの祈り」のイエスは苦渋の中で、

天を仰ぎ、祈っています。

 

 聖書 マタイによる福音書26章36~46

36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。

37 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。

38 そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

40 それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。

41 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」

42 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」

43 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。

44 そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。

45 それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。

46 立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

 

 

 

エスは従順に笑顔で「さあ、私の定められた時がきた。

喜んで、十字架にかかろう」

と言ったわけではないのです。

 


悲しみ悶え「死ぬばかりに悲しい」とおっしゃるイエス

「できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください」

と祈られるイエス

エスは人間としてこの世に生まれ、人間として生き、

人間として、死んでいくのだと思わされます。

神の子なら土壇場で、神が命を助けてくれるのではないかと思うわけです。

エスは父なる神に答えを求めて三度同じ祈りをされています。

 


人はどんなときに祈るでしょうか。

一つ目はお願いです。

二つ目は悔いあらためです。

三つ目は感謝と賛美。

そして最後の、そしてもっとも重要なことが

四つ目、神の御心を問う祈りです。

 


エスの祈りに対して神はどうお答えになったでしょうか。

聖書には書いてありません。

答えが書かれていない代わりに弟子たちの様子が書かれています。

「私と共に目を覚ましていなさい」とイエスに言われながらも

眠ってしまう弟子たち。

「誘惑に陥らないよう、目を覚まして祈っていなさい。

心は燃えていても、肉体は弱い」

 


起こされも、また眠ってしまう弟子たち。

最後の晩餐でワインを飲んでいたし、

疲れていたから仕方なかったでしょう。

これが私たちの姿です。

このような弱い人々を救うために、

エスは十字架にかかって神の罰を受けて死ぬしかないという

神の答えを得たのかもしれないと思います。

 


コロナウイルス感染拡大によって緊急事態宣言がなされ、

行動自粛が求められています。

「買いだめしてはいけない」

心ではわかっています。

でも我が身は心配なので、買いだめに走るのが人の性です。

 

私もその通りの弱さを持っています。

 


でも、イエスはその私たちのために十字架にかかってくださいます。

何度でも。

エスの愛はすごいです。

 

 

 

2012年秋、私はボストンから北上し、

ヴァーモント州グラフトンに旅し、最後にニューヨークに行きました。

たくさんの人に会い、いろいろな事を考えました。

最後の日、友人と二人でハドソン川のほとりを散歩して、

リバーサイド教会に立ち寄りました。

米国バプテスト同盟の世界教会主義教会の大きな教会です。

 

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扉は開いていて、中に入ることができました。

一人の女性がにっこり笑いながら近づいてきたので、

私たちは日本のバプテスト派のクリスチャンです。と自己紹介しました。

すると彼女は「そこのお部屋に有名な絵があるから観ていってね」と言いました。

巨大な教会なので、教えてもらわなかったら、

全くわからなかったと思うような小部屋に行きました。

 


そこにあったのは、あの、「ゲッセマネの祈り」でした。

息を飲むほど驚き、友人と絵の前にひざまずきました。

 

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そこはゲッセマネ礼拝堂でした。

 


あとで調べてみたところ、

リバーサイド教会堂を建てたのはロックフェラー2世。

ベトナム戦争中にはキング牧師反戦演説をした有名な教会でした。

この絵はコピーですが、ロックフェラー2世から寄贈されたホフマン作の

『神殿のキリスト』『キリストと金持ちの若者』は

地下室の集会場キャビネットに飾られているそうで、

地下室にも行けばよかったと残念に思いました。

 


今、ニューヨークはコロナ感染拡大で大混乱となっています。

明日は特別な礼拝も行うことができない受難日を迎えます。

私たちもニューヨークを対岸の火と思わず、

目を覚まして、祈るときだと思います。

 



ニューヨークでコロナウイルスと闘っている皆さま、

特に医療関係者の方々に

神の御加護がありますようにと祈ります。

 

 

f:id:tw101:20200409075238j:imageコロンビア大学

 

f:id:tw101:20200409075254j:imageグッケンハイム美術館

 

f:id:tw101:20200409075345j:image 自由の女神像

 

 

 

 

 

 

 

 

NO.179 《海と毒薬》と井上陽水

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ツタヤディスカスから届いた「海と毒薬」を観ました。

原作は1957年に発表された遠藤周作の小説です。

 


高校時代、開局して間もないTVK 神奈川テレビの

公開収録に行った時のことでした。

 

モジャモジャ頭の兄さんと目が合いました。

収録を観に来ていたお客さんも帰ってしまい、

私も帰ろうとかなあと思っていましたが、

なんとなく呼ばれているような気がして側に行きました。

 

収録が済んで暇だったのでしょうか、ちょっとした会話をしました。

私が「サインくださいますか」とおそるおそる尋ねると、

「いいよ」と気さくに応えてくれました。

 

ノートなどがあればよかったのですが、

持っていたのは、小さな黄色いバスケット一つ。

中には読みかけの本しかありません。

 


それは倫理社会の読書感想文を書くために読んでいた

『海と毒薬』でした。

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「これしかないんですが…」とモジモジしながら、本を出すと、

「へえ、キミ、こんな本、読んでるの?へえ…

ねえ、どう思う?」と質問されました。

ドギマギした私、何と答えたのか全く記憶にありません。

少し受け答えをしている間に

カバーを外し

裏側の白地にサインをしてくれました。

 

井上陽水

 

「名前なんというの?」

「トシミです。コトブキに真実の実です。」

「ふうん、寿実ちゃんね」

 

f:id:tw101:20200407081200j:image サングラスはかけてませんでした。こんな感じだったかしら…

 

 

私はその頃、まだ井上陽水さんをそれほど知りませんでした。

「人生が二度あれば」「断絶」を聞いて、

なんて高音の綺麗な声なのかしらと思いましたが、

まだ、そんなに売れていませんでした。

TVKは売れてないけど、実力のあるアーティストが出ていて

それが楽しみで、一人でよく出かけていった頃です。

出演された方はみんな後にビッグアーティストになっていきました。

ちなみに当時ナショナルショールームでも公開収録していて

こちらには人気者がたくさん出演していました。

 

しばらくして、熱烈な陽水ファンである先輩に

そのサイン付『海と毒薬』をプレゼントしてしまいました。

ああ、なんということ!

今ならお宝になっていたのに…。

 


今回「海と毒薬」の映画を観て、

なぜか遠い日の思い出が浮かんできました。

 


さて、この映画は1986年制作、全編白黒写真です。

太平洋戦争末期の1945年に行われた米軍捕虜への臨床実験における

若き医師勝呂の葛藤を通して、生命の尊厳、神の存在、

罪と罰を問う遠藤周作の内容に衝撃を受けた熊井監督は

1969年に脚本を完成しますが、出資者探しに難航し、

実際に映画化されたのは、17年後の1986年だったのです。

1987年第3回ベルリン国際映画祭銀熊賞審査員グランプリ部門受賞。

1986年度第60回キネマ旬報ベストテン日本映画第一位

及び日本映画監督賞受賞作。

 

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あらすじです。

九州のF市にある大学病院。橋本教授と権藤教授による学部長選挙前の権力争いが勃発する中、結核患者に積極的な外科手術を施し、結果を出して、権藤教授に打ち勝つとうと考える橋本教授は焦っていました。

そこに撃墜されたB29搭乗員8名が連れてこられ、軍の命令により、生きたまま解剖するという人体実験を秘密裏に行うことになります。

人間の内臓が摘出されても生きていられるのか…尋常でない実験に参加を余儀なくされた研修医勝呂は良心の呵責に苛まれます。一方、同期生戸田は極限状態でも、何の感情も湧かない自分を疑い始めます。

神への信仰を土台にした潔癖なドイツ人である、橋本教授夫人に「あなたは神が怖くないのですか」と窘められた不満から、夫人に反発する気持ちで実験に参加した上田看護婦と三人は終戦後、GHQの事情聴取を受け、なぜ、参加したのか問われ、その答えを追うように、物語が進行していきます。

 


キャストがすごいです。

 

勝呂: 奥田瑛二

戸田:渡辺謙

橋本教授:田村高廣

権藤教授:神山繁

大場看護婦長:岸田今日子

上田看護婦:根岸季衣

ハットリ調査官:岡田真澄

他にも豪華キャストです。

 

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鼓動する心臓を鷲掴みにする人体解剖シーンは

実際に犬を開胸して撮影したそうで、リアルでした。

 


この作品を世に出した時、脅迫めいた手紙が

遠藤周作の元に送りつけられたそうです。

 


私は当時、遠藤周作作品の真の意味が理解できずにいました。

『イエスの生涯』に描かれる疲れ果て、

惨めに死んでいったイエス像を到底受け入れられませんでした。

私にとって「イエスさまはスーパーヒーロー」だったから…

 

「海と毒薬」を読んで、衝撃を受け、

遠藤周作作品から逃げようとしながら、

結局、奥深いところで捕らえら、離れられませんでした。

『沈黙』『死海のほとり』も読んでは、心が沈んでいきました…

 


恥の文化で、罪の意識がない日本という国…

キリスト教は根づかない…

そうなのだろうか…よく考えこんでいました。

 


恥を知り、礼節を重んじた日本人の誇りは

まだ受け継がれているのでしょうか…

もともと罪意識の低い国民性、

恥もなくたったら……大丈夫?

ルース・ベネディクト菊と刀」を読みつつ思いました。

 

 

新型コロナウイルス感染が都市部で急速に拡大している事態をうけて、

本日、緊急事態宣言が7都府県に出されました。

私たちはどう行動していったらよいのか

テレビから流れるコメンテーターの言葉を鵜呑みにするのでなく、

静かに思考する時間を持って、

自分の行動を決めることができたらと思います。

 


満開の桜は美しいものですが、

葉桜もまた良いものです。

 

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NO.178 孫娘とパジャマパーティー!

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4月3日に小学校入学式を控える孫娘と、

(自粛ムードの中で、お祝いお食事会にも行けないので、)

私のお家で二人だけの初お泊まりで

パジャマパーティーをしました。

 

 

 


この日のために用意した絵本3冊。

 


《おおきな木》

原題“The Giving Tree” は米国の作家・イラストレーターの

シェル・シルヴァスタイン作、

1964年に出版されて以来のロングセラーの絵本です。

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おおきな木とちびっこのモノトーンでシンプルな絵でおなじみです。

私は本田錦一郎さんの翻訳(1976年)で読んでいましたが、

村山春樹さんの訳(2010年)も出ていて、

少しニュアンスが変わっています。

両方読み比べてみるのも面白そうです。

 

ちびっこにねだられるままに、

自分の全てを与えるおおきな木、

愛とは、幸せとは、を考えさせられる内容です。

 

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《ないた赤おに》

浜田廣介作の児童文学代表作です。

人間と仲良くしたい赤おにの願いを叶えるために青おにがしたことは…

“自己犠牲”がテーマともいえます。

 

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子どもの時から大好きで、泣きたくなると、

引っ張りだしてよく読みました。

絵本にするには、少し字数が多いですが、

読み聞かせには良い本です。

いろいろな絵本がありますが、

今回はいもとようこさんのやさしい絵柄を選びました。

 


《字のないはがき》

中学校教科書にも載っている向田邦子のエッセイを

彼女を尊敬してやまない角田光代が文にして、

西加奈子が絵を描いた感動の絵本です。

 

薦められて、3冊目の絵本にしました。

戦時中、疎開先から届く字も書けない小さな妹からの「○」が書かれたはがき。

子どもを一人遠くへ手放す両親の思い、だんだん小さくなっていく「○」

切なさが募ります。

 

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最後に、エッセイにはない文を角田光代が加筆しています。

 

 

 

 

孫娘はお話を終えた時、「いいおはなし…ありがとう」

と言って絵本を撫でていました。

 


コロナウィルス感染者は日増しに増加し、

外出自粛に影響は日常生活を変えてしまいました。

私自身もいつ、コロナウィルスに感染するか、

他人事ではありません。

外出もせず、普段の時より家にいる時間が長いので、

何が一番大切なのかと考えることが多くなっています。

 


孫娘に読み聞かせをする絵本を選ぶときも、

何を伝えたいか!と考えました。

 


自分は愛されている…という安心感。

人生は生きる価値がある…という肯定感。

 


この二つがあれば大丈夫と思います。

そして、その上に 他者の事を考える…という

幸福感があれば より充実感を持てるでしょう。

 


まず、自分を愛しなさい。

「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。」

とイエスはおっしゃいました。

自分を愛せない人は誰も愛することはできません。

 


「おおきな木」は愛するちびっこに自分の全てを与えました。

ちびっこからの見返りは何もありませんでした。

でも、木は幸せでした。

「おおきな木」は「与える木」です。

 


青おには赤おにの幸せのために

持っていたものを捨て、遠くへ去りました。

 


これは自己犠牲でしょうか…

犠牲という言葉は何かを失うという意味がありますが、

 

おおきな木も青おにも、失ってしまったものより

より多くの幸せを心に持つことができたのではないかと

思えてなりません。

 


「字のないはがき」の小さな妹は

家族に大切にされ、愛されていました。

あの戦時下の非常事態の中で、

お父さんは家族に最大級の愛を与えました。

子どもたちは一生、父親の愛に満たされて

生きることができました。

なんという幸せ…

 


さて、今、人生で何が大切でしょうか…

と問われたらと考えました。

…お金、不動産、社会的地位、名誉、学歴、

家族、健康…

 

どうでしょう。


還暦を過ぎ、人生の実りの時を迎えてから、

私はより、『豊かに生きたい』と願うようになりました。

 


お金がある、なしという基準ではない『豊かさ』

それは、もしかしたら、

他者を思いやる心ではないかと思います。

 


私がオーナーをしているシェアハウスのラウンジには

エーリッヒ・フロムの言葉が掲げられています。

 

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   Not he who has much is rich,

    but he who gives much.

 


    多くを持っている人が豊かなのではなく、

     多く与える人が豊かなのだ。

 

私も大好きな言葉です。

 


数多の試練を乗り越えて、

新型コロナウィルスが終息した後の世界は

今までとは違っているような気がします。

多くを持つことが幸せというこれまで概念から

多く与えることこそが豊かなのだと感じることができる

社会へ変貌していくことを

心より願っています。

 

夜遅くまで はしゃいでいる孫娘より

私の方が先に寝てしまいました。

 

真夜中に起きてみたら、

満足そうな顔をして寝息を立てていました。

 

どうか、豊かに生きてね!と祈るように

ささやきました。

 

桜の美しい春のことでした。

 

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NO.177「パレアナの青春」ダイジェスト版(後編)

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春の雨の降る午後です。

3月最後の週末には外出自粛要請も出て、

何か重たい気分になりそうな卯月の始まりです。

最前線で医療に携わっていらっしゃる皆さまに感謝します。

 


見えない敵、コロナウィルスへの不安、

先の見えないもどかしさもあり…

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こういう時「物語」は良いお友達になってくれます。

「パレアナの青春」ダイジェスト版後編です。

 

 

 

パレアナがドイツから6年ぶりにベルディングスヴィルに戻ってくる!ジミーは期待と不安が入り混ざった気持ちでパレアナの帰還を待っていました。

半年前にチルトン医師が病死し、追い討ちかけるように株が暴落し、収入が減り、チルトン医師の研究のために相当な財産をつかってしまったこともあり、パレーとパレアナは貧乏なってしまいました。

パレーはすっかり変わり、元の気難しいパレー・ハリントン戻っていて、無給で良いから、以前のようにお仕えしたいというナンシーやティモシーの好意も受け取らず、引きこもってしまいました。

 

パレアナはなんとか元気を出し、「喜びの遊び」を続けていましたが、10歳の頃と違い20歳になった今は心に秘めて、あまり口に出さなくてなっていました。

切り詰めた生活をするパレアナの元にデラから手紙が届き、カリウ夫人が、夏の間、気分転換のために過ごす場所をベルディングスヴィルに探していことを知りました。

以前だったら、お客様としてカリウ夫人を迎えることができたハリントン家でしたが、今では使用人もなく、パレアナが全てを取り仕切らないといけないので、負担がかかるとパレーは反対しますが、家事全般も得意になったパレアナは申し出を受け入れます。

カリウ夫人、ジェミー、そしてサディは“ペイング・ゲスト”として夏を過ごすことになりました。

ジェミーは最高の治療を受けましたが、松葉杖を使わないでの歩行をすることはできませんでした。

リボンの販売員をしていた美少女サディは今ではカリウ夫人の秘書として活躍していました。

そして、ビジョンを持つことで、より美しくなったカリウ夫人は、勤労女性のための「ホーム」を作るという社会事業を始めようとしていました。

三人の滞在はパレアナの刺激となり、ハリントン家に活気が戻っていきました。

表敬訪問に来たペンデルトン親子が来たとき、カリウ夫人はジミーを見て、特別な感情を持ちました。

建築設計を勉強をしているジミーはカリウ夫人が取り組んでいる『勤労女性の家』設計の相談に乗ったり、親しくなっていきました。

パレアナは宿泊費をいただいていることもあり、ゲストに満足して頂くようにと、神経を遣い、休みなく働いていました。

そんなパレアナを見るのも忍びないペンデルトンが、みなでキャンプに行こうと計画を立てました。

パレーはいい年をしてキャンプなんかしないと反対しましたが、最後には折れて、本格的なキャンプに行くことになりました。

日常を離れて自然の中で過ごす中で、パレアナ、パレー、ペンデルトン親子、カリウ夫人、ジェミー、サディはすっかり打ち解けていきました。

ところが最後の日に、パレアナが怒り狂った牛に追いかけられるという事故が起き、足の不自由なジェミーがなす術なく見ている前でジミーがパレアナを助けます。

ジミーはパレアナを深く愛している自分に気づきますが、パレアナを助けられなかったジェミーも彼女を愛していると思い、自分の気持ちを隠してしまいます。

傷心のジェミーを優しくいたわってくれたのはカリウ夫人でした。

ゲストが帰ってしまった後、ジミーと一緒にいたいと思うパレアナを残して、ジミーもボストンへ戻ってしまいました。

彼がいない寂しさを忘れるために、パレアナは雑誌の懸賞小説を書き始め、冬の間、何本かの小説を書いては、雑誌社に送りましたが、採用されずにいました。

良いことはほとんどないのに、それでも「うれしい」と言い続けるパレアナに、癇癪を起こしパレーが、もう「うれしい」と言わないようにと激しく言いました。

パレアナは言われた通り、何もかも気に入らないと不機嫌を振りまき、懸賞落選の結果に泣き、いつものパレアナでななくなってしまいました。そんなパレアナにパレーも降参して、自分も「喜びの遊び」をやってみると約束しました。

 

さて、短編小説が懸賞で一等に輝き、自信を持ってサディに結婚を申し込みという思いをジェミーから聞いたジミーは自分の勘違いに気づきます。

ところが、ジェミーはジョン・ペンデルトンがパレアナを愛しているとジミーにいいます。

驚くジミー!

ところがこれはジェミーの勘違いで、ジョン・ペンデルトンが愛しているのはカリウ夫人だったのです。

晴れて、パレアナに求婚するジミー、求婚を受け入れるパレアナ、喜び勇んでパレーに報告すると、期待に反して、パレーはジミーの素性がわからないといって、この結婚に反対しました。

この事を聞かされたジミーは、家に戻るとすぐ養父ジョンに『書類』を開封したいと申し出ます。

その書類は父が残した唯一のもので、30歳になるまでは開封してならないと書いてあるものでした。

しかし、自分の出世の秘密があると思って、ジミーは開封します。と、そこには、ジミーがウイリアム・ウェザビーの娘ドリスとジェミー・ケントの息子であることが書かれた手紙と、

それを証明する法律上の書類が入っていました。

彼こそが、カリウ夫人の探していた甥ジェミーだったのです。

 


本物のジェミーの出現によってジェミーが立場がなくなるのではと心配して、ジミーは気を揉みますが、ペンデルトンはジミーに内緒でパレアナとパレーに手紙を出して、ジミーと二人でボストンのカリウ夫人を訪ねます。

 


叔母と甥の再会は感動的なものでした。

カリウ夫人はジェミーを思いやるジミーの心意気に打たれ、これからもジミーと呼ぶこと約束しますが、思わずジミーは「ルースおばさん」と呼んでしまいます。

そのとき、偶然ジェミーとサディが部屋に入ってきたところで、ジェミーは「まさか、君が…」と絶句します。

 


そこでジョン・ペンデルトンは意外な告白をします。

実はペンデルトンは先にカリウ夫人にプロポーズし、承諾を得て、二人は結婚することになったのです。

だからジミーは「ルースおばさん」と呼んだのだと語りました。ジミーも驚きましたが、ジェミーとサディは疑うことなく二人を祝福し、そこにパレアナが登場。

感極まったジミーはパレアナに駆け寄り、愛の告白をして

大円団を迎えます。

めでたし!めでたし!

 

 

 

気難しいパレー叔母さんを抱えて困窮するも、

恋をするパレアナですが、どうしても前作に比べて

メリハリや面白みが減っていきますが、

ゲストハウスを運営、懸賞小説の応募、

この2点は私が実際にやったこと、やっていることで

カリウ夫人『勤労女性の家』は今構想があることなので、

とても興味深く味わいました。

 


子どもの時にすでにインプットされていたのかと思うほどです。

 


ポーター女史は少女パレアナ」の中でサディにこう言わせています。

 


─『ねえ 、サディちゃん 、あたしが正直な 、無邪気な娘だったときに 、この半分でもみなさんが親切にしてくだすったら 、あたしはいまここへこうやって助けられてきてはいなかったわ 』って 、こう申すんです 。わたしはこの言葉ばっかりは忘れられません 。救済事業っていうものは立派な仕事です 。まちがった道へ迷いこんだ女たちを助けるんですから 、ほんとに立派なことですが 、ただ 、わたしは考えるんです──もし一番初めにもう少し気をつけてくだすったら 、あれほどおおぜいの若い娘が悪くなってなならなかったて」

 

なるほど…


コロナウイルス騒動もいずれ終息するでしょう。

もしかして、その後は、これまでの社会通念とは異なってしまうかもしれません。

でも、どんな時代でも、普遍的なことはあります。

 


何かせずにはいられません

 


STAY HOME!

 


今、静かに考えていることが

トンネルを越えた光を見たときに

はっきりとわかる、そんな気がします。

 

そして、“GLAD GAME "  みんなでやってみたら、

世界は変わって行く、そんな気もします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO.176 《パレアナの青春 》ダイジェスト版(前編)

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3月最後の週末、いよいよ、不要不急の外出自粛が要請されました。

さらには、日曜日は雪の予報も出ています。

こういう時は静かに読書をいたしましょう。

この年になって再び読んだ「パレアナの青春」

忘れないようにダイジェスト版を書きました。

 

 

 

アニメ 「愛少女ポリアンナ物語」は、

少女パレアナ」「パレアナの青春」の2部構成51話で成り立っています。

第一部はそれほどストーリーは変わりませんが、

第二部はかなり変わってきます。

 


アニメを観てから読むか、読んでから観るか…

3月31日まで無料のYouTubeをぜひ、

観てくださいね。

 


あらすじです。

 


ボストンでリハビリをしていた時にパレアナの看護をしていたデラ・ウェザビー嬢は、パレアナが周囲の人を明るく回復させる様子を見て、感銘を受け、実の姉のカリウ夫人を感化して欲しいと考えます。

たまたま、夫のチルトン医師がドイツへ留学することになり、パレーはデラの頼みを渋々ながら承諾し、パレアナをカリウ夫人の家に預ける決心をします。

大邸宅で引き篭もって生活しているカリウ夫人は、うるさい説教をするような子どもを預かるなどもっての他、何かトラブルがあれば、すぐ追い返すという条件つきで、パレアナの滞在を引き受けることになりました。

まず、パレアナは全ての窓を開け放ち、部屋を明るくし、カリウ夫人に美しいお洋服や宝石をつけて気分を明るくさせたり、しばらく遠ざかっていた教会に礼拝に連れ出したり、パレアナは少しずつ、カリウ夫人の日常を変えていきました。

全てを持っているカリウ夫人には「喜びの遊び」は必要ないと言い切るパレアナに腹を立てて、「自分だって悲しみに暮れる日を送っている」とカリウ夫人は初めて心のうちを話しました。

それは亡き姉の忘形見の甥ジェミーのことでした。

8年前に父親に連れらて失踪したきり、どんなに手を尽くして探しても未だ、消息不明なのです。

片時もジェミーのことを忘れられず、苦しみぬいているカリウ夫人を心底哀れに思ったパレアナはジェミーを探す決心をしました。

 


さて、ベルディングスヴィルより格段に大きく繁栄しているボストンの街では、道行く人たちは互いに無関心で、いくら挨拶をしても、誰にも相手にされず、パレアナはだんだん寂しくなっていきました。

でも、ボストン公園で新しい友達を作ることに成功します。

車椅子に乗ったジェミーという少年と知り合い、彼が『喜びの本』に日常生活の中にある『喜び』を書き連ねていことを聞き、パレアナは自分を同じ遊びをするジェミーに心奪われていきます。

そして、この子こそカリウ夫人の甥ジェミーでないかと思うのでした。

ジェミーは父親を亡くし、親切な新聞売りジェレーとその母と

ボストンの貧民街の薄汚いアパートに住んでいました。

 

カリウ夫人を伴ってジェミーに会いに行ったパレアナは貧富の差をいうものをはじめて実感しました。

ジェミーと対面したカリウ夫人は、いくつかの質問をしますが、ジェミーが甥であるという確信は持てませんでした。

帰り際、ジェミーが、「家賃払えないので、じきにこのアパートも出て行かねばならない」と言いました。

カリウ夫人は代わって家賃を払い、慈善団体にも援助を依頼するとジェレーのかあや(母)に言いますが、貧しくても施しは受けないと断固拒否されます。部屋の惨状は目に余るものがあり、せめて修繕を管理人か大家にお願いしたらと言いますが、かあやはこれまで何度頼んでも、管理人ドッジに聞き届けられなかった言いました。管理人の名前を聞いてカリウ夫人は顔色変えます。

そのアパートはカリウ夫人所有のものでした。

 

カリウ夫人の心は揺れます。

「あの子は私のジェミー坊やなの?違うと思うけど、もし、本物なら…」

カリウ夫人は妹デラを伴い、ジェミーを訪れ、デラに違っていたとしても、ジェミーを引き取ればよいと薦められます。

しかし、「私のジェミー坊やでなければ、子どもなんか欲しくない」とカリウ夫人の心は頑なでした。

 


パレアナはジェミーの暮らしぶりを見て、なぜカリウ夫人のように金持ちもいれば、ジェミーのような食べるものに事欠く暮らしをするものもいるのだろうかと考えこんでいました。

そして、金持ちがもっと貧しい人を助ければいいのにとカリウ夫人に言いました。

カリウ夫人は「貧乏人に依頼心を起こさせることの不可」「無統制に与えることの害」「組織されない慈愛に悪影響」といった難しい話しをして、余計にパレアナを混乱させます。

でも、カリウ夫人は実際にアパートの修理改善を施していました。

そして、ついにカリウ夫人はジェミーを引き取る決心をし、ジェミーに申し出ますが、「あなたはぼくを愛して、欲しいのでなく、ジェミーの代わりとしてぼくを欲しいだけでしょう。ぼくは行きません」とはっきり断られてしまいます。

答えを聞いて腹を立てて、カリウ夫人はパレアナを連れてサッサと帰りました。生まれ初めての「善意」を断られ、怒り心頭でしたが、ジェミーの言うことはもっともな事だと気づきますが、かと言ってどうすることできず、忘れようとしました。

 

 

ところが、カリウ夫人の気がかりはそれでけでなく、変わってしまったパレアナでした。

「喜び遊び」も鳴りを潜め、ジェミーのことを思い、ひどく沈み込み、食事も喉を通らなくなってしまいました。

案じたカリウ夫人は何年ぶりかのクリスマスツアーを飾って、パレアナ気を盛り立てようとしましたが、かえってジェミーを思って泣き出す始末でした。

クリスマスの翌日、繁華街の売り場でパレアナは公園で会った美しい娘と再会しました。彼女はサディといい、リボン売り場の販売員でした。

たったひとりで過ごすクリスマスの詫びしさを聞き、パレアナは彼女を家に招待することを思いつきました。

そして、クリスマスパーティーにはジェミー、ジェレーそしてアパートに住んでいる子どもたちも呼ばれ、皆、大喜びで大成功をおさめます。

それから、サディとジェミーは頻繁にお屋敷に訪れるようになり、カリウ夫人はサディから町で住んでいる若い女の子たちの生活や、彼女たちを助けるべく存在している寄宿舎や隣保館が、全く機能していないことを知ります。

 


またジェミーが父の残した上質な本を良く読み、苦しい生活にもめげない自由な精神を宿していることを知るうちに、カリウ夫人はジェミーを大切に思い、ジェミー喜ぶ顔を見たさに、いろいろなものを用意して彼の来訪を待つようになります。

 


パレアナが帰る日が近づくにつれ、カリウ夫人はもはや以前のような一人きりの暗い生活は考えられない自分に気付いていました。

そしてある日、ついにカリウ夫人はジェミーに一緒に住んで欲しいと頼みます。そのとき、顔を輝かせジェミーは答えます。

「ええ、きます、ぼくをかわいいと思ってくださるから、いまなら、きます!」

 


パレアナは安心してベルディングスヴィルに帰り、毎日、あちこちを飛び回り、ボストンの話しをしました。

ペンデルトンにお金持ちが貧乏な人と仲良くなり、助けてあげればいいのにと言うと、ペンデルトンもカリウ夫人と同じように『社会主義』『富の分配』を語り、パレアナはますます良く分からなくなってしまいました。

カリウ夫人とジェミーの話しは自分とジミーの話しと近いので、ペンデルトンはカリウ夫人に興味を持ちました。

一方、ジミーはパテアナがジェミーの話しをすると、とたんに機嫌が悪くなりました。それが「嫉妬」というものだとパレアナは気づきません。

ジミーはほんとうはジェミーという名前でしたが、父親がその名前を嫌いジミーと呼んでいたことを知りました。

 


パレアナが戻って1週間ほどして、デラからパレーに手紙が届き、カリウ夫人の驚くべき変貌ぶりを知りました。

ジェミーが文学、音楽、芸術の素養があり、教育が楽しみだとありました。

読み終わったとき、「パレアナの治療は100%成功らしいな」とチルトン医師は笑いました。

パレーはパレアナが薬のように扱われることが嫌いで、自分の行いが人に役に立つことを自覚して、有頂天になるもではと、ひどく気のかけ、恐れます。

いくらチルトン医師がパレアナに限ってそんなことはないから大丈夫と言ってもパレーの心配は消えず、家族揃って、ドイツに行き、しばらくベルディングスヴィルを離れることになりました。

 

 

 

後半は…後日に書きます。

 

写真は2009年にボストンを訪れたときのものです。

f:id:tw101:20200327173331j:imagef:id:tw101:20200327173338j:image ボストン公園

 

f:id:tw101:20200327173358j:image ボストン美術館

 

f:id:tw101:20200327173453j:imagef:id:tw101:20200327173458j:image ボストンの教会