港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.186 《ガーンジー島の読書会の秘密》

 

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お友達から話を聞き、ずっと行きたいと願っているイギリスガーンジー島

その島が舞台の映画ですから、

ずっと気になっていた映画をTSUTAYAディスカスでやっと見ることができました。

 


原題は“The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society”

 


舌を噛みそうな題です。

 

 


まず、あらすじはこうです。

 

 

 

 


1941年ガーンジー島ナチス・ドイツの統制下にありました。

ある夜、4人の住民が豚肉料理を食べ、自家製ジンを飲むという会の帰り道、ドイツ軍の兵士に咎められました。

当時、ガーンジー島では夜間の外出が禁止されていました。咄嗟に4人は「ガーンジー島文学・ポテトピールパイ同好会という集まりから帰宅する途中です」と答え、兵士たちは4人をそのまま帰しました。

 


1946年1月、戦争が終わり、新刊の宣伝活動に余念がない売れっ子作家ジュリエット・アシュトンの元に一通の手紙が届きました。

手紙の主、ドーシー・アダムスはガーンジー島の出身者で、「『エリア随筆』に感銘を受けたので、著者であるチャールズ・ラムの他の作品を入手したいのだが、どこの書店に行けば良いのか」と尋ねてきたのです。その手紙には彼がガーンジー島文学・ポテトピールパイ同好会の一員であることも書かれていました。たまたま読書の効能についてのコラムを寄稿することを求められていたジュリエットは同好会に関心を持ち、チャールズの他の本と引き替えに同好会に関する情報を得ることを思いつき、取材のためにガーンジー島に行くことにしました。

 

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船に乗り込むまさにその時、恋人のマークからプロポーズされ、ジュリエットは大きな指輪とともに受け入れます。島に到着した後、ジュリエットが読書会の場に赴くと、会員たち(ドーシー、アメリア、アイソラ、エベン、イーライ)から温かく出迎えられました。ジュリエットは同好会について記事を書きたいと申し出ますが、アメリアは断ります。詳しい理由も聞かぬまま、同好会への押さえがたい興味からジュリエットは島に残り、いろいろ調べているうちに会の創設者であるエリザベスが外国にいること、ドーシーが彼女の娘(キット)の後見人を務めていることを知りました。

 

 

時が経つにつれて、ジュリエットの取材を快く思っていなかった読書会のメンバーも徐々に心を開いてくれるようになり、そして、「エリザベスは戦時中に身柄を確保され、ドイツに送致されてしまった。でも、私たちは彼女がいつかこの島に帰ってくると信じている」という話を聞きます。

 

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ジュリエットは軍関係者でもある婚約者のマークにエリザベスがどこにいるのかを調べてもらうことにします。

ほどなくして、ジュリエットは読書会についての記事を書き上げ、それをガーンジー島の首長に見せに行きますが、一読した首長は「エリザベスはこの記事で書かれているような聖女ではありませんよ。戦時中、彼女はドイツ軍の兵士に春をひさぐことで金品を得ていたのです。」と言いました。

ジュリエットがエリザベスの実像を把握しかねる中、マークがエリザベスに関する情報を携えて島にやってきました。

エリザベスの人生も知ったジュリエットはいったんはロンドンに戻りますが、愛する人と生きる人生の意義を知り、気持ちは大きく動き出していきます。

 

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ガーンジー島イングランド南岸から120キロ南下した英国とフランスの間に位置するチャンネル諸島の一つです。

レ・ミゼラブル”の生みの親ビクトル・ユーゴーが暮らした「オートヴィル・ハウス」もある美しい島です。

 

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f:id:tw101:20200525142622j:imageオートヴィル・ハウス

 


第二次世界大戦でフランスはあっけなくドイツに白旗を揚げ、ナチス・ドイツ

は1940年6月30日にチャンネル諸島に掌握します。

戦況を有利に進めるドイツ軍の勢いに対し、

チャーチル首相率いる英国軍は事前にチャンネル諸島の非軍事化を決定し、

住人の半数は島外に避難。

子どもたちもロンドンに集団疎開を余儀なくされます。

残された島民は占領下での不自由な生活をしていました。

 


緊急事態宣言下で生活していると、

これまでになく戦争中の不自由さを見にしみて感じられます。

自由に動くことはできないかれど、魂の自由は侵されていません。

それなのに、情報過多のせいで魂が不自由になってしまってはいないかと思います。

 


ジュリエットが読書会に参加した時、

選ばれた本は彼女の著書「アン・ブロンテ評論」でした。

二人の姉、シャーロット・ブロンテジェーン・エア』、

エミリ・ブロンテ『嵐が丘』は超有名ですが、

アン・ブロンテ『アグネス・グレイ』も大変面白い小説です。

「おとなしいアン」ではなく、社会的制約の中で変革を目指したラディカルな

アン・ブロンテを語りあう場面が見ていて本当に楽しそうで、

私も参加したくなりました。

 


顔の見えない手紙のやり取りで、心を通じさせられた「文通」

手紙…古いけれど、新しいのではないかと思いました。

ジュリエットは何が幸せかを知り、勇気と決断をもって先に進む場面には

涙があふれてきました。

それは悲しい涙でなく、嬉しい涙…

 


やっぱり、いつか、ガーンジー島に行ってみたい!心からそう思いました。

 

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NO.185 《流浪の月》凪良ゆう作 

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ステイホーム週間は読書三昧で過ごしています。

本屋さんに行くこともできないので、

もっぱらAmazon  Kindleでダウンロードして読んでいます。

 


先日、久しぶりに息子の学校でお世話になった先輩のお母様と電話で話している時に、

薦めていただいた本が

2020年本屋大賞受賞作『流浪の月』(東京創元社)です。

 



 


『流浪の月』は母親に捨てられた8才の少女と、

彼女を誘拐した犯人とされた青年の間に通い合う不思議な感情を、

ほとばしる繊細な言葉で綴った物語です。

 


Amazonにある紹介文です。

 


“せっかくの善意をわたしは捨てていく。

そんなものでは、わたしはかけらも救われない。

愛ではない。けれどそばにいたい。

新しい人間関係への旅立ちを描き、

実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。

 


あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人間を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。”

 

あらすじです。

主人公は家内更紗(かないさらさ)と、佐伯文(さえきふみ)の二人です。

 

更紗はやや風変わりな両親と幸せな暮らしをしていましたが、

大好きな父が亡くなり、愛する人なしでは生きられない母は

娘一人置いて男と出奔。

更紗は9歳で親戚の家に引き取られ、「地獄」をみます。

その家を逃だしたいという思いに駆られていた更紗は

ある日、公園で19歳の文と出会い、

一人暮らしをする彼の部屋に居ついてしまいます。

ところが、親戚から失踪届が出されたていた更紗は

たまたま出かけた動物園で見つかり、

保護されてしまいました。

文は誘拐犯として逮捕。

その様子はニュースやSNSで拡散され、世間を騒がせます。

 

時は流れて、10年後、二人は再会しました。

そして…物語は始まるのです。

 

 

私の母方の家は昔からアパート経営をしていたので、

子どもの頃からこの世界にはいろいろな家庭事情があることを理解していました。

物心ついてから、父と母はずっと別居でしたが、祖父が家長として、

しっかり支えていましたから、何の問題もありませんでした。

母は他人の面倒をみるのが大好きで、

アパートには横浜市立大学医大生が数人下宿していて、

おまけに、彼らのお友達まで遊びにきていて、

大家族のように食事を共にしていました。

 


母なき後は、さすがに下宿生はいなくなり、

“普通のアパート”になってしまいました。

 

母の遺伝子は私に流れているようで、

今、私はシェアハウスのオーナーとしてたくさんの人たちと家族のように暮らしています。

中には複雑な事情を抱えている方もいます。

初めは一定に距離感を保ちながら

親しくなっていく道程には、

「同じ釜の飯を食う」そう、

食事を一緒にいただくことが重要だということがわかってきました。

 


コロナ感染拡大によるステイホーム期間、

ソーシャルディスタンスを取るべく、

共有部分の使い方も含めて、

いろいろな取組をしてきました。

微妙に中の空気も変わってきました。

その空気をどう読み、いかに行動するかを考えていた時に、

この小説を勧められたのです。

 


他人に関する想像力はあると思っていた自分、

誰も私を真には理解しくれないと思い込んでいる自分、

他人の評価や思い込みに振り回されそうな自分、

正義感いっぱい、善意いっぱいと信じている自分、

誰かの役にたちたいと思っている自分、

優しくされたいと希っている自分、

面倒くさいから、逃げたいと思っている自分、

 

自分のことさえわからない私は

他人のことをどう理解できるのだろうか…

表面だけで判断してしまっているのではないだろうか…

と考えました。

 


新しい人と関わり…

コロナ禍のあとの関わりは

もう少し内面的になっていくのではないかしら…

誰と一緒に暮らしたいのかを考え直すときなのではないかしら…

 

 

 


「流浪の月」は2020年にふさわしい一冊だと思います。

 


もともと漫画家志望の凪良ゆうさんはボーイズラブの旗手。

一貫して「どこまでも世間と相入れない人たち」を描いています。

すっかり文章にハマってしまい、続けて「神さまのビオトープ」も読みました。

 

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こちらもおすすめです。

 

誰にでもある「聖域」を分かちあうことができる…

愛するっていうこと…

 

そういう人と一緒にいられたら

それが幸せなのかもしれない…ですね。

 

 

 

NO.184. 《 7日間ブックカバーチャレンジ》〈2〉

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自由学園女子部食堂で使用していた椅子の上に置いて写真を撮りました。

NO.183 《7日間ブックカバーチャレンジ》〈1〉からの続きです。

 

⚫︎5冊目

羽仁もと子選集」

『生活即教育』『おさなごを発見せよ』

(1997年 婦人之友社)

 


二人の息子がお世話になった自由学園では

生徒も親も日常的に創立者羽仁もと子の著作集の読書会をしていました。

父母会委員会で議事の前に輪読し、

感想を述べ合ったことは貴重な経験、良い思い出です。

優れたジャーナリストでもあったミセス羽仁の

簡潔な文章を読むと頭がスッキリします。

常に時代の先を見ていたミセス羽仁が今のステイホーム状況を見たら、

「チャンス到来!」とばかり、学校内ではできない、

生活に根差した教育を最新式の方法で呼びかけられるのではないかと思います。

 


「著作集」は全21巻ありますので、読みこなすのは簡単ではありませんが、

親しみやすく読めるようにと「選集」が出ました。

時がたっても、いえ、今こそ、光る、生活教育の案内書です。

 

 

 

 


⚫︎6冊目

秘密の花園』バーネット

(野沢佳織訳 西村書店 2000年)

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少年少女世界名作全集(小学館)が毎月送られてきた頃、

私はワクワクして新しい本を開きました。

その中でアメリカ編は一番のお気に入りとなりました。

バーネット『小公子』『小公女』『秘密の花園』『ワンダーランド』

イギリスの物語ですが、作者バーネットはアメリカで小説を書いたので、

アメリカ編となりました。

f:id:tw101:20200510083310j:image 写真はお借りしました。

 

何度読んだかわからないほど繰り返し読みました。

結婚で引越しするとき、全集を手放し、

独身時代に別れを告げました。

 


ある日、本屋さんで、この『秘密の花園』に出会いました。

パラパラ ページをめくると、美しい挿絵がいっぱい…

グラハム・ラストの絵でした。

大好きなお話しにふさわしい挿絵に心を奪われました。

もう絶対に手放しはしない一冊です。

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昨夜、読み返していたら、

物語はメアリがインドのコレラで両親を亡くしたところから始まっていることを再認識。

 


感染症はいつの時代にも大きな悲劇を引き起こすのですが、

人は悲劇から立ち直り、再び立ち上がれる!

しかも、一人でなく、

仲間と一緒に立ち上がれるという希望を持たせてくれました。

 



⚫︎7冊目

『水の戯れ』 荒井寿実 (1995年 新風舎) 絶版

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最後の一冊は…一番思い入れのある自作の本にしました。

嫁したら当然家業の仕事をするものだといわれ、

2歳違いの二人の男の子をおんぶして仕事をしていました。

まるで「おしん」のようでした。

次男が小学校に入った時、私は今のままの生き方でいいのか自分に問いました。

忙しい毎日の中でできたことは本を読むことと、物を書くことだけでした。

1994年、毎日新聞への投稿が採用され、

女性記者の取材による「うたものがたり」」が5日間の連載となり、

紹介されました。その時の女性記者さんに「小説を書いているのですよ」と言って読んでもらいました。

すると彼女は「自信を持って頑張ってください!大丈夫!」と背中を押しくれました。

 


そして、自費出版に力を入れた新鋭出版社として

頭角を現してきた新風舎に応募すると、

佳作に選ばれ、100万円で本を出版できる事になりました。

100万円!自費出版としてはそれほど高くない金額でしたが、

もちろん、そんなお金はありません。

諦めかけていた時に、目に止まったのが懸賞論文「毎日新聞21世紀賞」の募集広告でした。

“賞金100万円、副賞に富士通ワープロ

そして最優秀者にはハワイ6ヶ月留学という夢のような賞です。

題は「人間とまち」私は育った大好きな町横浜と、

嫁いだ下町浅草の比較をして、

一気に書き上げ、期限の6月末、ポストに投函しました。

3ヶ月後、入賞内定の知らせが届きました。

 


100万円!10万円をルワンダ難民救済に献金し、

残りの全てをかけて、出版することに決めました。

担当者と相談して、作りあげた一冊の本。

送られてきた本を手にしたときの感動は忘れられません。

 


さて、ジャンルは恋愛小説…

当時は「失楽園」を筆頭に不倫小説全盛期でしたから、

「主婦の願望小説」はピュアすぎて読み応えなかったと思います。

 


それでも、息子にお母さんお友達からは「勇気をもらえた」

「私もできることをやりたい」というお手紙をたくさんいただき、

それがとっても嬉しかったです。

 


また、尊敬する牧師先生から

「あなたの書くものを綺麗事と片付ける人たちも出てくるでしょう。それでいいです。

あなたは綺麗事を書き続けなさい。それがあなたのものだから」

と書かれたお手紙をいただき、

この言葉は今でも大切にとってあります。

 

 


この一冊を世に出してから25年歳月が流れました。

出版社はすでに倒産してしまいました。

 


これで終わってはつまらないかも…次はどうする?と最近思うようになりました。

 

 

《ブックカバーチャレンジ》を続けた7日間は自室にこもりながら、

どこか遠いところへ旅していたような気がします。

コロナ禍の自粛の只中で、内省する十分な時間をもらえたような気がします。

 

私にバトンをつないでくれたお友達の選ぶ本を楽しみにしています。

ブックカバーチャレンジ撲滅キャンペーンもありますが、

楽しんでいる多くの方もいらっしゃるの事実です。

自粛時間をどう過ごすか!それも自由ですね。

 

 


医療従事者の方々をはじめとして、

たくさんの方々の献身的なお働きによって、

今日も無事に過ごせることを感謝する毎日です。

 

NO.183  《7日間ブックカバーチャレンジ》〈1〉

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尊敬するお友達からバトンをいただき、《7日間ブックカバーチャレンジ》に参加しました。

 


これは「読書文化の普及に貢献するために、

1日1冊、7日間好きな本のブックカバーを紹介していく」というチャレンジで、

ルールは次のふたつ。

 


1.紹介するのはブックカバーの画像のみで、それについての説明文は特別不要。書きたい人は書いてよし。

2.その都度、必ず一人FB友達を招待(タグ付け)し、同じ形でチャレンジのバトンをつなぎ、拡散していってもらう。

 


というものでした。

 


コロナ禍で自宅で過ごす時間を楽しくするための様々なバトンが渡され、

スルーしたものもありましたが、このバトンは喜んでお引き受けしました。

 


自分でカバーの写真を撮るということで、選ぶこと至極は簡単でした。

 


3年前の引っ越しで、蔵書をほとんど処分してしまったので、

手元に残るわずかなしかなかったからです。

 


7冊の本を選ぶのは手間どりませんでしたが、

バトンをお渡しする7人のお友達は簡単ではありませんでした。

でも、「本好き」のお友達が心よく引き受けてくださり、

本の輪は広がっていきました。

感謝です。

 

 


⚫︎1冊目

メンデルスゾーンアンデルセン 」(中野京子著 2006年) 

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ドイツの作曲家メンデルスゾーンデンマークの作家アンデルセン

スウェーデンのソプラノ歌手リンド。

境遇も生まれも違う三人の出会いと別れを

激動の19 世紀を舞台に描い小学校中学年くらいから読むことのできる小説です。

 


私は子どもの頃からメンデルスゾーンが好きでした。

小学校の音楽室に飾られている楽聖達の絵中でも一番ハンサムなメンデルスゾーン

裕福な銀行家の家に生まれ、十分な教育を受け、

モーツアルトの再来と呼ばれる才能を持ち、何一つ不自由ないメンデルスゾーン

「彼ほど幸せな音楽家はいなかった」と評されています。

しかし、ユダヤ人の彼が差別を受けずに済むことはなく、

個人の責任との関わりないところで蔑まれるという屈辱を受け、

優等生の常で、自分のしたいことより周囲の期待に応えることを優先し、

精神的にも肉体的にも疲労をため、38歳という若さでこの世を去りました。

 アンデルセン は極貧に生まれ育ち、苦労して作家になり、

親の愛を全く知らず育ったリンドも血のにじむ努力の末に、世界的名声を得ました。

致命的ともいえる疵をバネにして大きくなった三人は、まさに不運を幸運の鍵に変えていったといえます。

アンデルセン はリンドに求婚し、リンドはメンデルスゾーンに恋をし、メンデルスゾーンは…

二人の芸術に大きな影響を与えました。

 


ドイツ・ライプツィヒにあるメンデルスゾーンの家を訪ねた時、

壁に飾られたメンデルスゾーンの描いた絵の素晴らしさに目を見張りました。

両親の厳しい教育方針によって、第一級の教養ある紳士となったメンデルスゾーン

カビ臭い過去の音楽と言われていた「マタイ受難曲」を再演し、

見事にバッハを蘇らせたメンデルスゾーン

誰もいない部屋の中で、ふとピアノフォルテの音が聞こえたような気がしたあの日の思い出と共に、

この本はずっと手元に置いておきたい本となりました。

 

 

 

 


⚫︎2冊目

ヨシュア』〜自由と解放をもたらすひと〜

ジョーゼフ.F.ガーソン 山﨑髙司 訳 (2003年)

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アメリカの片田舎の小さな町外れに

物静かで誠実な男が移り住んできました。

その名はヨシュア

一流の大工の腕前をもち、その人柄で子どもたちから大人まで魅了していきます。

宗派を問わない行動と“人は真の意味で自由になるべきだ”という発言の影響力の大きさに

各派の宗教指導者は警戒を強めていき、最後は…

 


ある日、本屋さんでこの表紙に出会い、一目惚れで読みました。

真の自由とは何かを考させられる一冊です。

 


読むたびに初めて行った外国、アメリカ カンザス州の片田舎の町の風景も浮かんできます。

 

 

 

 


⚫︎3冊目

コーンウォール』 

〜妖精とアーサー王伝説の国〜

井村君江先生 1997年

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英国最南端の半島コーンウォールアーサー王の故郷であり、

ケルト文化・妖精伝説が息づく異郷の地です。この本はフォークロアの伝説から、

実際に暮らした経験談などが書かれた貴重な一冊です。

 


アガサ・クリスティーデュ・モーリア、ロザンムンド・ピルチャー 

私の大好きな女流作家も愛したコーンウォールの魅力がたっぷり書かれていて、

読むたびにコーンウォールへ行ってみたくなります。

 


ケルト大好き、妖精大好きの私は不思議なご縁で、

宇都宮の井村君江先生のお宅へ訪問することができました。

興味深い、素敵な本が並ぶ本棚にあったこの本に心を奪われた私に、

先生はサインをして、プレゼントしてくださいました。

井村先生の童女のような笑顔が浮かぶ大切な

私の宝物です。

 

 

 

 

 


⚫︎4冊目『赤毛のアン

L.M.モンゴメリ 松本侑子訳(1993年集英社)

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村岡花子先生訳の「赤毛のアン」を小学生の頃から読み込んで育ちましたが、

その後、大人になって掛川恭子先生の翻訳を読み、翻訳者による違いに興味が湧きました。

そして、ある日、本屋さんでこの美しい装丁の「赤毛のアン」に巡り合いました。

読んでみて、松本侑子先生の徹底した解読による画期的な新訳に驚きました。

聖書、シェークスピアワーズワース、ブラウニング、スコットの

詩や文章が散りばめられた「大人向けの文学」であると認識しました。

数年後、松本侑子先生のツアーで

プリンス・エドワード島に行くことができるとは、思いもしませんでした。

 


1999年、次男が大学卒業したとき、自分に「卒業旅行」をプレゼントして、

以来、毎年侑子先生とご一緒に文学の旅をしました。

ツアーで知り合った「腹心の友」との旅は心に残る素晴らしい思い出となりました。

 


2年前、孫娘の名前宛でサインを頂きました。

彼女が10歳のお誕生日を迎えたときにプレゼントしようと思って大事に取ってあります。

 


現在は文春文庫から“アンシリーズ”の全文訳が順次刊行されていて、楽しみです。

私の人生後半変えてくれた一冊です。

 

NO.184  《7日間ブックカバーチャレンジ》〈2〉に続きます。

 

 

 

 

NO.182 穀雨のとき

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♫ ぱらぱらおちる あめよ あめよ

 ぱらぱらぱらと なぜおちる

 かわいたつちを やわらかにして

 きれいなはなを さかすため♫

 


このこども讃美歌が大好きです。

緑が芽吹く季節が大好きです。

 

 

 

日本には一年間を24に分けて、

それぞれに季節を表す言葉をつけた

二十四節気』という言葉があります。

6番目が「穀雨」です。

4月20日から5月4日あたりのことです。

穀雨の前は清明、後は立夏

徐々に夏が近づいてくる時期でもあります。

特に穀雨の終わりには

「八十八夜」が訪れます。

「八」「十」「八」の三つの字を組み合わせると

「米」になることから、

農作業に縁起のいい日ともされてきたようです。

 


そして穀雨

「種まきや田植えの時期に降る雨」とされています。

 


この時期の雨は「百殻春雨」とも呼ばれ、

あらゆる穀物を潤し育てる恵の雨と考えられてきました。

作物を上手に育てるためには、

この穀雨の前に種まきを終える必要があります。

そのため昔は穀雨を目安として

田植え作業の準備が行われてきました。

 


さて、今年の「穀雨」の始まりは4月19日でした。

この日はお天気の良い日曜日となり、

コロナ感染拡大防止に自粛宣言発令中にかかわらず、

多くの人たちが戸外へ出かけて行きました。

 


翌日20日、月曜日に穀雨は降り注ぎました。

 


そんな雨の中「必要急務」の用事をするために

車で出かけて行きました。

 

 


「円満離婚」などというものは

あり得ないと思っていました。

 

20年間の別居。

しかも、夫が実際どこに住んでいるかもわからないという

結婚生活は明らかに破綻しています。

 

ですから、たとえ夫に愛人が何人出てこようと、

私は慰謝料を請求することもできないそうです。

 


すでに破綻しているのだから…

 

このままの状態でも構わないのではないという弁護士さん。

今さら…という思いがないわけではありませんでした。

でも、私はこのまま この身分、今の立場で死にたくないと

この数年ずっと思い続けていました。

 


コロナ感染の危機的状況になり、

人生で一番価値のあるものは何かを考えるとき、

また、いつ、どうやって、

人生の終わりを迎えるかを考えるときが

格段に増えてきました。

 


おそらく、

国家の政治から個人の人間関係に至るまで、

これまで歪な形で持ち堪えてきたものにある

様々な問題が顕在化されて、

壊れるべきものは、

壊されていくときなのではないかと

思うようになりました。

 

 

 

そんな状況下で先週、電話で話しすると、

あっさりと夫は離婚に合意し、

三日後には署名捺印することになりました。

 


この数年、会うのが苦痛でしかなかった夫でしたが、

雨の滴いっぱいの窓辺にあるテーブルで、

一文字一文字、丁寧に署名する姿を見ていたら、

ふっと胸が熱くなりました。

 

ありがとう…

ありがとう…

私を解放してくれてありがとう…

 


「円満な離婚」というものも、

もしかしたら、

あるかもしれないと思いました。

 


子どもはすでに成人していて親権問題なし。

分けるべき共有財産なし。

 


だからこそできる、

これからの人間関係を壊さない「円満離婚」

散々我慢したけど

この時を待っていてよかった…

 

 

 

その日の朝、

交際中によく車の中で聴いていた

「雨の物語」(イルカ)を思い出して、

YouTube 何度もかけて聴きました。

 


♫窓の外は雨 雨が降ってる

 物語の終わりに こんな雨の日 

 似合いすぎてる♫

 


https://youtu.be/HNgjPRZnXnI

 


そう、物語の終わりは新しい物語の始まりです。

これから残された時間をどう生きていくか…

 


穀雨は新しい命を育む恵の雨。

 


今は土砂降りのようなコロナ禍だけど、

この雨が止むとき

新しい命が芽生えていくことを確信します。

 


 http://youtu.be/rS7WNoGKGuY

 

 

f:id:tw101:20200423100954j:image 2年前に植えたモッコウバラ、今年になった初めて花が咲きました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO.181 《 Happy Easter 》バプテスマから50年!

 

 

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イースターおめでとうございます。

 

 

 


新型コロナウイルスの影響で

イースター礼拝を共に守ることはできず、

多くの教会はネット配信をして、

それぞれの場所でイースターを迎えることになりました。

私の人生で初めての事です。

 


イースターはイエスの復活を記念する特別な日で、

キリスト教ではクリスマスより重要な意味を持ちます。

 


基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」

という年によって日付が変わる移動祝日で

今年は4月12日つまり今日となります。

 


十字架にかけられ、

息を引き取ったイエスは墓に葬られました。

何もしてはいけない安息日が開けると、

すぐにマグダラのマリアは愛する師

エスの遺体に香油を塗るために墓に出かけて行きました。

マリアが墓に着くと、

入り口を塞いでいた大きな石が取りのけてあり、

エスの遺体がありません。

驚いたマリアは急いでペテロに知らせます。

弟子たちはイエスの死後、

家に閉じこもっていましたが、

マリアの知らせに驚き、

確認に行きました。

 


エスに頭を包んでいた覆いと

遺体を包んだ亜麻布とは別々に丸めてありました。

弟子たちは墓の中にイエスの遺体がないという事実に

驚きつつも、

納得して帰って行きました。

 


でも、マリアは大切なイエス様に遺体がない…という事実を受け入れられず

なぜ、なぜと問いかけながら、シクシク泣いていました。

その時、イエスはマリアの傍らに現れ、マリアに

「婦人よ、なぜ、泣いているのか」と尋ねます。

マリアは最初その人がイエスとは気づきませんでした。

しかし、イエスが「マリア」と呼びかけると、

ハッとしてマリアは振り向き「ラボニ」と言いました。

「先生!」という意味です。

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…ああ、あの懐かしいイエス様の声…

エス様は死んでいないわ!生きていらっしゃる!

マリアの心はどんなに嬉しかったことでしょうか。

 

死に打ち勝った復活の主イエスはマリアに言いました。

「もう、泣かなくても大丈夫。

 いつでも、私が必ずあなたと一緒にいるから」

 


私はこの場面が大好きです。

気弱になって何もしないで

家に閉じ籠っている弟子たちをよそに、

しなければいけないこと(香油を塗る)を

成し遂げようとするマグダラのマリアの強さに

心打たれます。

 


復活を信じられない人も多くいると思います。

常識で考えたらあり得ないことです。

 


ですが、私は復活の主を信じました。

1970年イースター(3月29日)に

私はバプテスト教会バプテスマを受けました。

全身水に入る浸礼でした。

中学1年生から2年生になる春休みでした。

 


まだ子どもで難しいことはわかりませんでした。

教会の役員会ではまだ早すぎるにではないか

と言う声もあったと後で聞きました。

でも受け入れられ、

千葉勇牧師からバプテスマを受けました。

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1970年(昭和45年)3月14日 

大阪府吹田市千里丘陵日本万国博覧会が開幕しました。

3月31日 

日本航空よど号ハイジャック事件が起きました。

11月25日

三島由紀夫が割腹自決をしました。

テレビは黄金期を迎え、

各自動車会社は次々と新車を発表し、

休日には歩行者天国が始まり、

「黒ネコのタンゴ」を聞かない日はない時代でした。

ビートルズ 「レット・イット・ビー」

サイモン&ガーファンクル「明日にかける橋」

心に残る数々の名曲が生まれました。

 


50年後、世界は新型コロナウイルス感染拡大で

大変な事になっています。

医療現場では日々、

多くの医療スタッフが尊い命を救うために

クタクタになって懸命に働いています。

医療崩壊が起きないように、

私たちは行動自粛を要請されています。

休業を余儀なくされているお店のオーナーさん、

また仕事をなくしてしまう人たちも、

毎日、粛々としなければならないことをしている人たちも、

みな、不安いっぱいです。

 


学校に行けず、お友達とも会えず、

ずっと家に閉じ込められている子どもたち、

つまらない気持ちでいっぱいです。

給食を食べることも出来ない子どもは

命を繋いでいくのも大変です…

 


いつ、このトンネルを抜けることができるのか、

誰もわかりません。

 


悲しいかな、この国のリーダーシップを

発揮するべき人には

大きな期待できません。

 


いったい、どうすれば良いのでしょう…

 


時折、とてつもない絶望感が襲ってきます。

 


それでも、必ず…明日はきます。

桜が散って、若葉が芽吹きます。

 


復活するから、大丈夫…

元通りの世界には戻らないかもしれないけど、

復活できるから、大丈夫…

毎日、自分に言い聞かせています。

 

 

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今朝、しぇあひるずヨコハマのラウンジでは、

イースターを記念して

マルコによる福音書16章1節から8節を読み、

讃美歌を歌い、

祈るひとときを持ちました。

大人5人と子ども2人の小さな会です。

f:id:tw101:20200412112259j:image 司式担当の弟。私は奏楽担当。

 


その後、お庭でエッグハントをしました。

イースター用に飾られた茹で卵をお庭に

隠して、それを捜すゲームですが、

2人の孫は大興奮。

隠して捜す!を何度も繰り返しました。

2020年のイースターが良い思い出になってくれたと

信じます。

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今日、あらゆる場所で「復活に主」に

コロナ終息を祈っていることでしょう。

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イースター おめでとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

NO.180 ゲッセマネの祈り

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エスエルサレムで弟子たちと最後の食事をした後、

エルサレム東のオリーブ山にあるゲッセマネの園に向かい、

そこで夜をお過ごしになりました。

マタイ、マルコ、ルカの三福音書によると、

エスはそこで、これから受ける受難の苦悩を、

血の汗を流して祈りましたが、

一緒にいた弟子たちは眠ってしまいます。

その苦しみは如何ばかりだったでしょうか。

 

 

 

牧師となり、今はアメリカ在住の叔父の勉強部屋には

二枚の聖画の模写が飾ってありました。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ 『最後の晩餐』

ホフマン  『ゲッセマネの祈り』

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本がたくさんある叔父の部屋に遊びに行くのが大好きでした。

この絵は何の絵なの?

幼稚園の頃から観ていたので、

きっと聞いたことがあるのでしょう。

私はそれがイエス様の絵だということを知っていました。

私の心にある「イエス像」は

ホフマン作『ゲッセマネのイエス』に描かれたイエスだと思います。

 


叔父が副牧師として、いわき、平教会に赴任することになり、

その二枚の絵を私にくれました。

以来、私は毎日、二枚の絵を見ながら、暮らしました。

 


ゲッセマネの祈り」のイエスは苦渋の中で、

天を仰ぎ、祈っています。

 

 聖書 マタイによる福音書26章36~46

36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。

37 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。

38 そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

40 それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。

41 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」

42 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」

43 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。

44 そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。

45 それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。

46 立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

 

 

 

エスは従順に笑顔で「さあ、私の定められた時がきた。

喜んで、十字架にかかろう」

と言ったわけではないのです。

 


悲しみ悶え「死ぬばかりに悲しい」とおっしゃるイエス

「できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください」

と祈られるイエス

エスは人間としてこの世に生まれ、人間として生き、

人間として、死んでいくのだと思わされます。

神の子なら土壇場で、神が命を助けてくれるのではないかと思うわけです。

エスは父なる神に答えを求めて三度同じ祈りをされています。

 


人はどんなときに祈るでしょうか。

一つ目はお願いです。

二つ目は悔いあらためです。

三つ目は感謝と賛美。

そして最後の、そしてもっとも重要なことが

四つ目、神の御心を問う祈りです。

 


エスの祈りに対して神はどうお答えになったでしょうか。

聖書には書いてありません。

答えが書かれていない代わりに弟子たちの様子が書かれています。

「私と共に目を覚ましていなさい」とイエスに言われながらも

眠ってしまう弟子たち。

「誘惑に陥らないよう、目を覚まして祈っていなさい。

心は燃えていても、肉体は弱い」

 


起こされも、また眠ってしまう弟子たち。

最後の晩餐でワインを飲んでいたし、

疲れていたから仕方なかったでしょう。

これが私たちの姿です。

このような弱い人々を救うために、

エスは十字架にかかって神の罰を受けて死ぬしかないという

神の答えを得たのかもしれないと思います。

 


コロナウイルス感染拡大によって緊急事態宣言がなされ、

行動自粛が求められています。

「買いだめしてはいけない」

心ではわかっています。

でも我が身は心配なので、買いだめに走るのが人の性です。

 

私もその通りの弱さを持っています。

 


でも、イエスはその私たちのために十字架にかかってくださいます。

何度でも。

エスの愛はすごいです。

 

 

 

2012年秋、私はボストンから北上し、

ヴァーモント州グラフトンに旅し、最後にニューヨークに行きました。

たくさんの人に会い、いろいろな事を考えました。

最後の日、友人と二人でハドソン川のほとりを散歩して、

リバーサイド教会に立ち寄りました。

米国バプテスト同盟の世界教会主義教会の大きな教会です。

 

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扉は開いていて、中に入ることができました。

一人の女性がにっこり笑いながら近づいてきたので、

私たちは日本のバプテスト派のクリスチャンです。と自己紹介しました。

すると彼女は「そこのお部屋に有名な絵があるから観ていってね」と言いました。

巨大な教会なので、教えてもらわなかったら、

全くわからなかったと思うような小部屋に行きました。

 


そこにあったのは、あの、「ゲッセマネの祈り」でした。

息を飲むほど驚き、友人と絵の前にひざまずきました。

 

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そこはゲッセマネ礼拝堂でした。

 


あとで調べてみたところ、

リバーサイド教会堂を建てたのはロックフェラー2世。

ベトナム戦争中にはキング牧師反戦演説をした有名な教会でした。

この絵はコピーですが、ロックフェラー2世から寄贈されたホフマン作の

『神殿のキリスト』『キリストと金持ちの若者』は

地下室の集会場キャビネットに飾られているそうで、

地下室にも行けばよかったと残念に思いました。

 


今、ニューヨークはコロナ感染拡大で大混乱となっています。

明日は特別な礼拝も行うことができない受難日を迎えます。

私たちもニューヨークを対岸の火と思わず、

目を覚まして、祈るときだと思います。

 



ニューヨークでコロナウイルスと闘っている皆さま、

特に医療関係者の方々に

神の御加護がありますようにと祈ります。

 

 

f:id:tw101:20200409075238j:imageコロンビア大学

 

f:id:tw101:20200409075254j:imageグッケンハイム美術館

 

f:id:tw101:20200409075345j:image 自由の女神像