港も見える丘から

人生のゴールデンエイジにふと感じることを綴っていきます

NO.177「パレアナの青春」ダイジェスト版(後編)

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春の雨の降る午後です。

3月最後の週末には外出自粛要請も出て、

何か重たい気分になりそうな卯月の始まりです。

最前線で医療に携わっていらっしゃる皆さまに感謝します。

 


見えない敵、コロナウィルスへの不安、

先の見えないもどかしさもあり…

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こういう時「物語」は良いお友達になってくれます。

「パレアナの青春」ダイジェスト版後編です。

 

 

 

パレアナがドイツから6年ぶりにベルディングスヴィルに戻ってくる!ジミーは期待と不安が入り混ざった気持ちでパレアナの帰還を待っていました。

半年前にチルトン医師が病死し、追い討ちかけるように株が暴落し、収入が減り、チルトン医師の研究のために相当な財産をつかってしまったこともあり、パレーとパレアナは貧乏なってしまいました。

パレーはすっかり変わり、元の気難しいパレー・ハリントン戻っていて、無給で良いから、以前のようにお仕えしたいというナンシーやティモシーの好意も受け取らず、引きこもってしまいました。

 

パレアナはなんとか元気を出し、「喜びの遊び」を続けていましたが、10歳の頃と違い20歳になった今は心に秘めて、あまり口に出さなくてなっていました。

切り詰めた生活をするパレアナの元にデラから手紙が届き、カリウ夫人が、夏の間、気分転換のために過ごす場所をベルディングスヴィルに探していことを知りました。

以前だったら、お客様としてカリウ夫人を迎えることができたハリントン家でしたが、今では使用人もなく、パレアナが全てを取り仕切らないといけないので、負担がかかるとパレーは反対しますが、家事全般も得意になったパレアナは申し出を受け入れます。

カリウ夫人、ジェミー、そしてサディは“ペイング・ゲスト”として夏を過ごすことになりました。

ジェミーは最高の治療を受けましたが、松葉杖を使わないでの歩行をすることはできませんでした。

リボンの販売員をしていた美少女サディは今ではカリウ夫人の秘書として活躍していました。

そして、ビジョンを持つことで、より美しくなったカリウ夫人は、勤労女性のための「ホーム」を作るという社会事業を始めようとしていました。

三人の滞在はパレアナの刺激となり、ハリントン家に活気が戻っていきました。

表敬訪問に来たペンデルトン親子が来たとき、カリウ夫人はジミーを見て、特別な感情を持ちました。

建築設計を勉強をしているジミーはカリウ夫人が取り組んでいる『勤労女性の家』設計の相談に乗ったり、親しくなっていきました。

パレアナは宿泊費をいただいていることもあり、ゲストに満足して頂くようにと、神経を遣い、休みなく働いていました。

そんなパレアナを見るのも忍びないペンデルトンが、みなでキャンプに行こうと計画を立てました。

パレーはいい年をしてキャンプなんかしないと反対しましたが、最後には折れて、本格的なキャンプに行くことになりました。

日常を離れて自然の中で過ごす中で、パレアナ、パレー、ペンデルトン親子、カリウ夫人、ジェミー、サディはすっかり打ち解けていきました。

ところが最後の日に、パレアナが怒り狂った牛に追いかけられるという事故が起き、足の不自由なジェミーがなす術なく見ている前でジミーがパレアナを助けます。

ジミーはパレアナを深く愛している自分に気づきますが、パレアナを助けられなかったジェミーも彼女を愛していると思い、自分の気持ちを隠してしまいます。

傷心のジェミーを優しくいたわってくれたのはカリウ夫人でした。

ゲストが帰ってしまった後、ジミーと一緒にいたいと思うパレアナを残して、ジミーもボストンへ戻ってしまいました。

彼がいない寂しさを忘れるために、パレアナは雑誌の懸賞小説を書き始め、冬の間、何本かの小説を書いては、雑誌社に送りましたが、採用されずにいました。

良いことはほとんどないのに、それでも「うれしい」と言い続けるパレアナに、癇癪を起こしパレーが、もう「うれしい」と言わないようにと激しく言いました。

パレアナは言われた通り、何もかも気に入らないと不機嫌を振りまき、懸賞落選の結果に泣き、いつものパレアナでななくなってしまいました。そんなパレアナにパレーも降参して、自分も「喜びの遊び」をやってみると約束しました。

 

さて、短編小説が懸賞で一等に輝き、自信を持ってサディに結婚を申し込みという思いをジェミーから聞いたジミーは自分の勘違いに気づきます。

ところが、ジェミーはジョン・ペンデルトンがパレアナを愛しているとジミーにいいます。

驚くジミー!

ところがこれはジェミーの勘違いで、ジョン・ペンデルトンが愛しているのはカリウ夫人だったのです。

晴れて、パレアナに求婚するジミー、求婚を受け入れるパレアナ、喜び勇んでパレーに報告すると、期待に反して、パレーはジミーの素性がわからないといって、この結婚に反対しました。

この事を聞かされたジミーは、家に戻るとすぐ養父ジョンに『書類』を開封したいと申し出ます。

その書類は父が残した唯一のもので、30歳になるまでは開封してならないと書いてあるものでした。

しかし、自分の出世の秘密があると思って、ジミーは開封します。と、そこには、ジミーがウイリアム・ウェザビーの娘ドリスとジェミー・ケントの息子であることが書かれた手紙と、

それを証明する法律上の書類が入っていました。

彼こそが、カリウ夫人の探していた甥ジェミーだったのです。

 


本物のジェミーの出現によってジェミーが立場がなくなるのではと心配して、ジミーは気を揉みますが、ペンデルトンはジミーに内緒でパレアナとパレーに手紙を出して、ジミーと二人でボストンのカリウ夫人を訪ねます。

 


叔母と甥の再会は感動的なものでした。

カリウ夫人はジェミーを思いやるジミーの心意気に打たれ、これからもジミーと呼ぶこと約束しますが、思わずジミーは「ルースおばさん」と呼んでしまいます。

そのとき、偶然ジェミーとサディが部屋に入ってきたところで、ジェミーは「まさか、君が…」と絶句します。

 


そこでジョン・ペンデルトンは意外な告白をします。

実はペンデルトンは先にカリウ夫人にプロポーズし、承諾を得て、二人は結婚することになったのです。

だからジミーは「ルースおばさん」と呼んだのだと語りました。ジミーも驚きましたが、ジェミーとサディは疑うことなく二人を祝福し、そこにパレアナが登場。

感極まったジミーはパレアナに駆け寄り、愛の告白をして

大円団を迎えます。

めでたし!めでたし!

 

 

 

気難しいパレー叔母さんを抱えて困窮するも、

恋をするパレアナですが、どうしても前作に比べて

メリハリや面白みが減っていきますが、

ゲストハウスを運営、懸賞小説の応募、

この2点は私が実際にやったこと、やっていることで

カリウ夫人『勤労女性の家』は今構想があることなので、

とても興味深く味わいました。

 


子どもの時にすでにインプットされていたのかと思うほどです。

 


ポーター女史は少女パレアナ」の中でサディにこう言わせています。

 


─『ねえ 、サディちゃん 、あたしが正直な 、無邪気な娘だったときに 、この半分でもみなさんが親切にしてくだすったら 、あたしはいまここへこうやって助けられてきてはいなかったわ 』って 、こう申すんです 。わたしはこの言葉ばっかりは忘れられません 。救済事業っていうものは立派な仕事です 。まちがった道へ迷いこんだ女たちを助けるんですから 、ほんとに立派なことですが 、ただ 、わたしは考えるんです──もし一番初めにもう少し気をつけてくだすったら 、あれほどおおぜいの若い娘が悪くなってなならなかったて」

 

なるほど…


コロナウイルス騒動もいずれ終息するでしょう。

もしかして、その後は、これまでの社会通念とは異なってしまうかもしれません。

でも、どんな時代でも、普遍的なことはあります。

 


何かせずにはいられません

 


STAY HOME!

 


今、静かに考えていることが

トンネルを越えた光を見たときに

はっきりとわかる、そんな気がします。

 

そして、“GLAD GAME "  みんなでやってみたら、

世界は変わって行く、そんな気もします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO.176 《パレアナの青春 》ダイジェスト版(前編)

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3月最後の週末、いよいよ、不要不急の外出自粛が要請されました。

さらには、日曜日は雪の予報も出ています。

こういう時は静かに読書をいたしましょう。

この年になって再び読んだ「パレアナの青春」

忘れないようにダイジェスト版を書きました。

 

 

 

アニメ 「愛少女ポリアンナ物語」は、

少女パレアナ」「パレアナの青春」の2部構成51話で成り立っています。

第一部はそれほどストーリーは変わりませんが、

第二部はかなり変わってきます。

 


アニメを観てから読むか、読んでから観るか…

3月31日まで無料のYouTubeをぜひ、

観てくださいね。

 


あらすじです。

 


ボストンでリハビリをしていた時にパレアナの看護をしていたデラ・ウェザビー嬢は、パレアナが周囲の人を明るく回復させる様子を見て、感銘を受け、実の姉のカリウ夫人を感化して欲しいと考えます。

たまたま、夫のチルトン医師がドイツへ留学することになり、パレーはデラの頼みを渋々ながら承諾し、パレアナをカリウ夫人の家に預ける決心をします。

大邸宅で引き篭もって生活しているカリウ夫人は、うるさい説教をするような子どもを預かるなどもっての他、何かトラブルがあれば、すぐ追い返すという条件つきで、パレアナの滞在を引き受けることになりました。

まず、パレアナは全ての窓を開け放ち、部屋を明るくし、カリウ夫人に美しいお洋服や宝石をつけて気分を明るくさせたり、しばらく遠ざかっていた教会に礼拝に連れ出したり、パレアナは少しずつ、カリウ夫人の日常を変えていきました。

全てを持っているカリウ夫人には「喜びの遊び」は必要ないと言い切るパレアナに腹を立てて、「自分だって悲しみに暮れる日を送っている」とカリウ夫人は初めて心のうちを話しました。

それは亡き姉の忘形見の甥ジェミーのことでした。

8年前に父親に連れらて失踪したきり、どんなに手を尽くして探しても未だ、消息不明なのです。

片時もジェミーのことを忘れられず、苦しみぬいているカリウ夫人を心底哀れに思ったパレアナはジェミーを探す決心をしました。

 


さて、ベルディングスヴィルより格段に大きく繁栄しているボストンの街では、道行く人たちは互いに無関心で、いくら挨拶をしても、誰にも相手にされず、パレアナはだんだん寂しくなっていきました。

でも、ボストン公園で新しい友達を作ることに成功します。

車椅子に乗ったジェミーという少年と知り合い、彼が『喜びの本』に日常生活の中にある『喜び』を書き連ねていことを聞き、パレアナは自分を同じ遊びをするジェミーに心奪われていきます。

そして、この子こそカリウ夫人の甥ジェミーでないかと思うのでした。

ジェミーは父親を亡くし、親切な新聞売りジェレーとその母と

ボストンの貧民街の薄汚いアパートに住んでいました。

 

カリウ夫人を伴ってジェミーに会いに行ったパレアナは貧富の差をいうものをはじめて実感しました。

ジェミーと対面したカリウ夫人は、いくつかの質問をしますが、ジェミーが甥であるという確信は持てませんでした。

帰り際、ジェミーが、「家賃払えないので、じきにこのアパートも出て行かねばならない」と言いました。

カリウ夫人は代わって家賃を払い、慈善団体にも援助を依頼するとジェレーのかあや(母)に言いますが、貧しくても施しは受けないと断固拒否されます。部屋の惨状は目に余るものがあり、せめて修繕を管理人か大家にお願いしたらと言いますが、かあやはこれまで何度頼んでも、管理人ドッジに聞き届けられなかった言いました。管理人の名前を聞いてカリウ夫人は顔色変えます。

そのアパートはカリウ夫人所有のものでした。

 

カリウ夫人の心は揺れます。

「あの子は私のジェミー坊やなの?違うと思うけど、もし、本物なら…」

カリウ夫人は妹デラを伴い、ジェミーを訪れ、デラに違っていたとしても、ジェミーを引き取ればよいと薦められます。

しかし、「私のジェミー坊やでなければ、子どもなんか欲しくない」とカリウ夫人の心は頑なでした。

 


パレアナはジェミーの暮らしぶりを見て、なぜカリウ夫人のように金持ちもいれば、ジェミーのような食べるものに事欠く暮らしをするものもいるのだろうかと考えこんでいました。

そして、金持ちがもっと貧しい人を助ければいいのにとカリウ夫人に言いました。

カリウ夫人は「貧乏人に依頼心を起こさせることの不可」「無統制に与えることの害」「組織されない慈愛に悪影響」といった難しい話しをして、余計にパレアナを混乱させます。

でも、カリウ夫人は実際にアパートの修理改善を施していました。

そして、ついにカリウ夫人はジェミーを引き取る決心をし、ジェミーに申し出ますが、「あなたはぼくを愛して、欲しいのでなく、ジェミーの代わりとしてぼくを欲しいだけでしょう。ぼくは行きません」とはっきり断られてしまいます。

答えを聞いて腹を立てて、カリウ夫人はパレアナを連れてサッサと帰りました。生まれ初めての「善意」を断られ、怒り心頭でしたが、ジェミーの言うことはもっともな事だと気づきますが、かと言ってどうすることできず、忘れようとしました。

 

 

ところが、カリウ夫人の気がかりはそれでけでなく、変わってしまったパレアナでした。

「喜び遊び」も鳴りを潜め、ジェミーのことを思い、ひどく沈み込み、食事も喉を通らなくなってしまいました。

案じたカリウ夫人は何年ぶりかのクリスマスツアーを飾って、パレアナ気を盛り立てようとしましたが、かえってジェミーを思って泣き出す始末でした。

クリスマスの翌日、繁華街の売り場でパレアナは公園で会った美しい娘と再会しました。彼女はサディといい、リボン売り場の販売員でした。

たったひとりで過ごすクリスマスの詫びしさを聞き、パレアナは彼女を家に招待することを思いつきました。

そして、クリスマスパーティーにはジェミー、ジェレーそしてアパートに住んでいる子どもたちも呼ばれ、皆、大喜びで大成功をおさめます。

それから、サディとジェミーは頻繁にお屋敷に訪れるようになり、カリウ夫人はサディから町で住んでいる若い女の子たちの生活や、彼女たちを助けるべく存在している寄宿舎や隣保館が、全く機能していないことを知ります。

 


またジェミーが父の残した上質な本を良く読み、苦しい生活にもめげない自由な精神を宿していることを知るうちに、カリウ夫人はジェミーを大切に思い、ジェミー喜ぶ顔を見たさに、いろいろなものを用意して彼の来訪を待つようになります。

 


パレアナが帰る日が近づくにつれ、カリウ夫人はもはや以前のような一人きりの暗い生活は考えられない自分に気付いていました。

そしてある日、ついにカリウ夫人はジェミーに一緒に住んで欲しいと頼みます。そのとき、顔を輝かせジェミーは答えます。

「ええ、きます、ぼくをかわいいと思ってくださるから、いまなら、きます!」

 


パレアナは安心してベルディングスヴィルに帰り、毎日、あちこちを飛び回り、ボストンの話しをしました。

ペンデルトンにお金持ちが貧乏な人と仲良くなり、助けてあげればいいのにと言うと、ペンデルトンもカリウ夫人と同じように『社会主義』『富の分配』を語り、パレアナはますます良く分からなくなってしまいました。

カリウ夫人とジェミーの話しは自分とジミーの話しと近いので、ペンデルトンはカリウ夫人に興味を持ちました。

一方、ジミーはパテアナがジェミーの話しをすると、とたんに機嫌が悪くなりました。それが「嫉妬」というものだとパレアナは気づきません。

ジミーはほんとうはジェミーという名前でしたが、父親がその名前を嫌いジミーと呼んでいたことを知りました。

 


パレアナが戻って1週間ほどして、デラからパレーに手紙が届き、カリウ夫人の驚くべき変貌ぶりを知りました。

ジェミーが文学、音楽、芸術の素養があり、教育が楽しみだとありました。

読み終わったとき、「パレアナの治療は100%成功らしいな」とチルトン医師は笑いました。

パレーはパレアナが薬のように扱われることが嫌いで、自分の行いが人に役に立つことを自覚して、有頂天になるもではと、ひどく気のかけ、恐れます。

いくらチルトン医師がパレアナに限ってそんなことはないから大丈夫と言ってもパレーの心配は消えず、家族揃って、ドイツに行き、しばらくベルディングスヴィルを離れることになりました。

 

 

 

後半は…後日に書きます。

 

写真は2009年にボストンを訪れたときのものです。

f:id:tw101:20200327173331j:imagef:id:tw101:20200327173338j:image ボストン公園

 

f:id:tw101:20200327173358j:image ボストン美術館

 

f:id:tw101:20200327173453j:imagef:id:tw101:20200327173458j:image ボストンの教会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO.175 「愛少女ポリアンナ物語」YouTubeで観てね!

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アニメ「愛少女ポリアンナ物語」全51話が、

日本アニメーションの公式YouTubeチャンネルで

3月31日まで公開されています。

 


日本アニメーション

「作品を楽しんでいただくと同時に、日常の『よかった』を発見していただきたいという思いから選定いたしました。不安な日々を過ごされている方も多いかと思いますが、作品を通じてひと時の楽しみを提供できたらと思います」

と今回無料配信を始めました。


声優のお二人からのメッセージもあります。

ポリアンナ・フィティア役 堀江美都子

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どんな時にも「よかった」と思えることを探して前向きに成長して行くポリアンナポリアンナの台本には毎週何十回も の「よかった!」がありました。一年間その言葉を言い続ける内に私の中でも新しい歯車が動き出すのを感じました。それはまるで魔法のことばのように。             堀江美都子

 


【ジミー・ビーン役 山田栄子

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日本アニメーション世界名作劇場ポリアンナ」がYouTubeで無料配信されます!私の大好きな、ポリアンナの「良かった探し」。家の中で自粛せざるをえない子供達に、少しでも「よかった探し」をして笑顔でいて欲しい♡ そんな思いでの、急遽、無料配信です。お楽しみ戴けたら嬉しいです。

  山田栄子

 


毎回、涙目になり、時には号泣してながら、

全51話を見終わりました。

子どもの時から大好きな「ポリアンナ」のアニメ化でしたが、

1986年放映当時は生まれたばかりの次男と

元気いっぱいの2歳の長男子育て真っ青中で、

たまにチラリと観るくらいで、全回観る余裕がありませんでした。

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ジミーの声優さん山田栄子さんは、「赤毛のアン」のアン役や

若草物語」のジョー役でも大活躍!

女学校の憧れの先輩です。

 

ますます、今回は新鮮な思いでアニメを楽しみました。

 

 


ネタバレを多いに含む第一部のあらすじです。

 

 

アメリカ西部で牧師の父と暮らしているポリアンナは、

父から教えてもらった「よかった探し」に精を出す元気で明るい女の子でした。

しかし最愛の父が亡くなり、東部ヴァーモント州「ベルディングビル」に住む叔母パレーに引き取られることになりました。

愛する姉を西部に連れて行ってしまった義理の兄を憎むパレーはポリアンナに愛情を感じることができず、キリスト教徒としての義務を果たすために引き取り、ポリアンナに屋根裏部屋を与えるなど、何かと辛くあたりました。

 


そんなパレー叔母の仕打ちや、悲しみや寂しさに負けず、父の教えの「よかった探し」をする健気なポリアンナは、召使のナンシーを皮切りに、孤独なペンデルトン氏、口うるさい寝たきりのスノー夫人の心を開き、また同じ境遇の孤児のジミーやペンデルトンの主治医チルトン医師と親しくなっていきました。

パレーもポリアンナの愛に触れ、心に光が差し、ポリアンナを屋根裏部屋から自分の隣室の部屋に変えるなど、大きな変化がありました。

ところがある日、ポリアンナは事故に遭い、脊髄損傷したことで歩けなくなってしまいます。

街中の人々がポリアンナのお見舞いにきて、パレー叔母はたいそう驚きます。

そしてみんなが口々に「よかった探し」のおかげで幸せになったとポリアンナに感謝するのです。

その意味を知らなかったのは自分だけだったと知り、愕然としますが、ナンシーから理由を聞いて納得し、心変えていきます。

心には愛が溢れていき、なんとかポリアンナの足を治そうとしました。

ポリアンナの足が手術で回復するという確信を得たチルトン医師はボストンで手術を受けることを強く勧めます。

初めはチルトン医師拒み続けたパレーでしたが、手術をすることを決心し、ボストンにいきます。

実は二人は昔の恋人同士で小さなケンカから別れてそのままになってしまったとわかり、ポリアンナは一策を講じ、二人の仲をとりもち、最後には歩行ができ、めでたし、めでたし!で終わります。

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第二部は…ぜひこの機会にアニメを観てください。

 


さて、村岡花子先生がパレアナと訳した“Pollyanna”ポリアンナ

作者、エレナ・エミリー・ホグマン・ポーターは

1868年12月19 日、ニューハンプシャー州リトルトン出身の小説家です。

生まれながらに病弱でボストンのニューイングランド音楽院に入学しますが、

挫折し、24歳で結婚。マサチューセッツ州に住み、小説を書き始めました。

1913年出版の「少女パレアナ」、

2年後の「パレアナの青春」は大ヒットし、

よかった探し」はポジティブに生きる力を多く人に与え、

ポリアンナシンドロームという言葉にもなりました。

 

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「直面した問題の中に含まれる良い部分だけを見て自己満足し、

問題の解決にいたらないこと」

「常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないこのに満足し、

上を見ようとしないこと」など

楽観主義、現実逃避の意味にも使われてしまいましたが、

何事も前向きにとらえる考え、今でいうアドラー心理学のポジティブシンキングに通じるかもしれません。

 

 


私は最初に読んだ子どもの時から、ポリアンナのお父さんが

「聖書には800もの箇所で『喜びなさい』と言ってるんだよ。

神さまは私たちにいつも喜んで欲しいって思っていらしゃる」

と言ったことを強烈に覚えていて、

自分でも「よかった探し」をしていました。

 

中学1年の夏休みの読書感想文は「少女パレアナ」でした。

すぐ、優等生の感想文を書いた後、ある出来事が起こり、

ひどく憤慨した私はその原稿用紙をビリビリに引き裂きました。

思春期特有の情緒不安定な時だったのでしょう。

泣きながら、「私はポリアンナのようになれない」と思い

かなりネガティヴな感想文に

書き直しました。

でも、夏休みが終わる頃には、

また書き直して提出した記憶があります。

 

 

大好きな「ポリアンナ物語」のアニメを

2020年、緊張感のある春に観ることができて嬉しかったわあ!

 


ぜひ、ぜひ、YouTubeでご覧ください!

 

 

https://youtu.be/cboRg1C3-aU

 

 

NO.173映画『レベッカ』ヒッチコック監督の名作

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このところ連日、テレビでもSNSでも、

「新型コロナウィルス感染関連」について話題ばかりで、

必要なことが隠されてしまっているような気がして、

気が滅入ってしまいそうなので、

Amazonプライムで映画やアニメを観る時間が増えています。

 


雨模様で、家にこもって過ごした一日、亡き母が好きだった

映画「レベッカ」を観ました。

レベッカ”(Rebecca)は1938年に発表された

イギリスの女流作家ダフニ・デュ・モーリエの代表作です。

 

高校2年生の倫理社会の授業は、何を学んだのか、

ほとんど覚えていませんが、

試験は自分で選んだ本の読書感想文のようなものでした。

各学期のテストでそれぞれ、

有島武郎或る女」「惜しみなく愛は奪う」

そして、「レベッカ」について書きました。

愛するとは?女の生き方とは?と考えていた思春期真っ只中、

年配の敬虔なクリスチャンだった男性教諭を驚かせてしまった内容を、

今でもよく覚えています。

 


映画「レベッカ」は1940年、イギリスで活躍していたヒッチコック監督の

アメリカでの第一作となったサイコスリラー映画で、

第13回アカデミー賞にて、最優秀作品賞・撮影賞(白黒部門)を獲得しました。

日本公開は戦争が終わって映画を見る余裕が生まれた1951年でした。

 


あらすじです。

 


ある上流夫人の付き人として南仏モンテカルロのホテルに滞在中の若き女性「わたし」は英国の名士で大金持ちのマキシムに、その無垢さゆえに愛され、求婚され、後妻に迎えられ、

コーンウォールにある大邸宅マンダレイに住むことになりました。

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マキシムの前妻レベッカは1年ほどまえにヨットの転覆事故で亡くなりましたが、

彼女の存在はまだ色濃く残り、「わたし」はレベッカを崇拝してやまない家政婦長ダンヴァース夫人の執拗な嫌がらせを受けます。

 


「わたし」はレベッカへの対抗意識もあって、マキシムに頼み込み自ら仮面舞踏会を主催しますが、ダンヴァース夫人の策略により、亡きレベッカが装ったドレスを着てしまい、マキシムの不興をかってしまいます。

 

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失意のレベッカをダンヴァース夫人は容赦なく追い詰め、窓から身を投げさせようとしますが、その時、難破船が上がった知らせの花火が上がります。

 

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その船内からレベッカの遺体が見つかり、事件の真相が明るみに出ていきます。

それは、マキシムに不利になる経緯を示していました。

 


レベッカと結婚4日目にして、彼女の本性を知ったマキシムは結婚が間違いだったと後悔しますが、外目には完璧な妻を演じると宣言するレベッカと取引して、不本意な結婚生活を続けます。

レベッカは「いとこ」と称した愛人と逢引を重ね、挙げ句の果てに妊娠した事をマキシム伝え、

事実を知ったマキシムが激怒し掴みかかろうとした時、レベッカは転倒し、弾みで頭を打って死んでしまいました。

動転したマキシムはレベッカの遺体をヨットに載せ、ヨットの底に穴を開けて、沈めてしまったのです。

そにヨットが発見されたのですから、マキシムは殺人の疑いをかけられそうになります。

 

しかし、レベッカが死の当日に受診した医師が、レベッカは末期癌に侵されていて、自殺をほのめかす事を言っていたと証言し、レベッカの死は自殺と断定されました。

自殺を決めたレベッカはマキシムに「殺人」の汚名をきせようとしたのです。

マキシムは安堵し、ロンドンから「わたし」の待つマンダレイに帰る未明、マンダレイから火の手があがっているのを見ます。

燃え盛るレベッカに部屋に浮かぶ人影。

ダンヴァース夫人は二人の幸せを阻むべく、麗しのマンダレイ館に火をつけたのです。

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愛する若妻は無事か!と必死で探すマキシムの腕に中に、「わたし」が飛び込んできて、ひしと抱き合います。

レベッカも真の愛で結ばれた二人を引き離すことは出来なかったのです。

 


めでたし めでたし!

 

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主演の「わたし」を演じた女優はジョーン・フォンティン。

マクシミリアン・ド・ウィンター(マキシム)は名優ローレンス・オリヴィエ

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ジョーン・フォンティンの実姉は「風と共に去りぬ」で

メラニーを演じたオリヴィエ・デ・ハヴィランドです。

 

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東京生まれの美人姉妹は競いあう間柄のようでしたが、

ジョーンは姉より先に『断崖』(ヒッチコック監督)で1941年に

アカデミー主演女優賞を獲得しています。

 


当時、ローレンス・オリヴィエビビアン・リーと恋に落ちていて、

この役柄も実はビビアン・リーにさせたかったようで、

ジョーンに辛く当たったというようなことあったようです。

 


それにしてもすごいこの頃は美男美女の

すごい役者さんたくさんいたのですね。

 


さて、感想分を書いた17歳の私は映画を見る由もなく、

ただ壮大なマンダレイを想像し、最後の炎の中で、

黒髪のレベッカが勝ち誇った顔で笑っている絵を

頭の中で描いてたようです。

 

ヒロインが名無しというのは面白いと思います。

 

 

モーリエ女史は自分と同じ「ダフネ」という名前にしたかったらしいですが、

監督が彼女に名前を与えず「わたし」「ド・ウィンター夫人」

レベッカがいなくなって初めて彼女は

一人の名前を持つ女性になれるたのでしょうか。

 

シャーロット・ブロンテ作「ジェーン・エア」と

“後妻” “元妻” “屋敷の火災”  “最後は結ばれハッピーエンド”

という類似点があり、面白いです。

それにしても、白黒映画って美しい… 

 

 


そして、いつか舞台となった

コーンウォールに行ってみたいものだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO.172 映画「僕はイエス様が嫌い」なるほどね!

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昨年 公開された映画「僕はイエス様が嫌い」

この衝撃的なタイトルに引き寄せられながら、

残念にも劇場で観ることができませんでした。

リクエストしていたDVDが

ツタヤディスカスから、実にタイムリーな

暇な日々に、届きました。

 

 


まずは、あらすじです。

 


小学5年生の少年由来(ユラ)は、

夫に先立たれ、

一人になった祖母と暮らすために、

両親と共に、東京から雪深い地方都市に引っ越し、

家の近くにあるプロテスタント系ミッションスクールに

アドベント2週目、

クリスマスを目の前にして転校してきました。

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東京の「普通の小学校」に通っていたユラは

いきなり「朝礼」でない「礼拝」で聖書の言葉やお祈りを聞き、

驚き、戸惑います。

それでも次第に新しい習慣に慣れていきました。

ある日、お祈りをするユラの目の前に、

床下の小人のアリエッティくらいの大きさのイエス様が現れました。

 

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その可愛らしいイエス様に「友達ができますように」と祈ると、

和馬というサッカー大好きな同級生と友達になれました。

 

「少しお金が欲しい」と祈ると、

おばあちゃんが亡くなったおじいちゃんのヘソクリ1000円を見つけ、

ユラにくれました。

 

続けて願い事が叶い、ユラはイエス様の力を信じていきます。

ユラと和馬はサッカーを一緒にしたり、流星群を見たり、

友情を深めていきます。

 

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親友となった和馬の母はクリスチャンで、

よく笑い、よく祈る人でした。

和馬の別荘を訪れ、

雪景色の中で楽しくクリスマスを過ごしていきます。

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でも、ある日、突然に…

エス様を信じられなくなる出来事が起きました。

 

 

 


映画の監督奥山大史さんは、

この映画で第66回サンセバスチャン国際映画祭で

最優秀新人監督賞を史上最年少(22 歳)で受賞、

第29回ストックホルム国際映画祭最優秀撮影賞も受賞しました。

青山学院初等部から大学まで学んだという奥山さんのイエス様への思いが、

ユラを通して描かれているのかもと感じました。

 

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ここからはネタバレを大いに含む感想になりますので、

まだ結末をご存知でなく、

これから映画を観たい方はご遠慮いただき、

ご覧いただいてから、お読みください。

 

 


神様なんていないさ!

エス様を信じているけど、

最後まで信じて大丈夫なのかなあ!

やっぱりイエス様なんて助けてくれないじゃないか!

 


せっかく親友になった和馬が交通事故に遭い、

生死を彷徨うとき、クラスの皆で良くなって…という祈りをしたけど、

祈りは聞き届けられませんでした。

 


いつも笑顔だった和馬のお母さんも涙にくれ、

その顔からすっかり笑いはきえてしまっていました。

 


母親に手直しされた模範的作文の弔辞を読んだユラが

祈りをしようとした、その時、

説教台の上に置かれた大きな聖書の上にイエス様が現れます。

ユラは祈りために組んだ両手をイエス様に打ちつけ、

小さなイエス様を消し去ってしまいます。

 


「理不尽」この言葉を知らずとも、

この言葉の意味を知ってしまったユラは、

信じようとしたイエスに裏切られたような気がして、

「僕はイエス様は嫌い」と思ったのでしょうか…

 


私がユラのように「理不尽」という思いを知ったのは、

祖母を卒中で亡くした7歳の時でした。

直前まで元気で食事の後片付けをしていた祖母が

突然バタンと倒れ、大きないびきをかきはじめました。

驚いた母が電話をして、主治医が駆けつけてくるまで、

私は隣の部屋で必死で祈っていました。

「天のお父様、どうか、お願いです。おばあちゃんを助けてください。

 死なせないでください!お願いです。

 私の命の半分をささげますから、おばあちゃんを死なせないで!」

幼いながら、生まれて初めての必死の祈りでした。

おばあちゃんがしてくれたこと、言っていたことが

涙と一緒にあふれてとまりませんでした。

 


主治医が手当てしているうちに、

いびきが消えて静かになりました。

あ、治ったのかなと思い、台所に行くと、

主治医が臨終を告げていました。

 


血の気のない呆然とした母の顔をよく覚えています。

 


あれだけ祈ったのに、神様は私の祈りをきいてくれなかった…

「なんで神様、おばあちゃんを助けてくれなかったの!」

7歳の私は初めて「失望」「理不尽」という思いを知りました。

そして、神様は人と「命の取引をしない」ということを知りました。

 


9年後、母がくも膜下で倒れた夜も、必死で祈りました。

「ママを助けてください。お願いです。死なせないでください」と。

そして、16歳の私はそれだけでなく、

「イエス様、お願いです。私を強くしてください。

何が起こっても私を強くしてください」と祈っていました。

 


映画を見ていて、祖母と母を亡くした時の祈りを思い出しました。

 


最後に「この映画を、若くして亡くなった友に捧げる」というテロップで

監督自らの体験は、みずみずしい感性の中で結晶となったのだなあと

思いました。

 


さて、この映画は音楽が心に響きます。

全てが讃美歌です。

「丘の上の教会」で始まり、

「主イエスと共に」で終わります。

 

そして

讃美歌は時に力強く、時に悲しみを込めて流れます。

 

 


♫主よ終わりまで

♫天にはさかえ

♫Jesus loves me

♫Abandoned gloria

♫きけや愛の言葉を

 


何度か通っていた浅草橋教会の皆さんも

讃美歌合唱に参加されていると知り、

身近に感じました。

 


チャド・マレーンのイエス様は愛敬があって

可愛くてマスコット人形みたいで、

見ていて思わず笑ってしまうシーンもあります。

 

ああ、そうか!

エス様はこうやっていつも私のそばにいていてくれるのね…

とニヤリとしてしまいました。

 

キリスト教の祈り、信仰、礼拝がわかりやすく描かれ、

押しつけがましさがなく、とても共感を得ました。

 

英題はズバリ“Jesus "

 

日本の日常生活の中で

なかなか描くのに難しいイエス様を

「障子の穴」を通してみるように

こっそりに見せてくれる映画だと思います。

 

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NO.171 元気の出る《アンの青春》

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「人生には、もっとがっかりするようなことが何度もあるよ」

マリラはアンを慰めるつもりで言った。

「あんたはひとたびこうと思い込んで、それが思い通りにならないと、がっかりしてしゅんとなる、こんなとこはちっとも成長しないね」

「そうね、そうなりがちね」アンも悲しそうに認めた。

「すてきなことがおきそうだと思うと、わくわくして期待の翼にのって高く舞い上がって、はっと気づくと、どしんと地面に落ちているの。

でもね、舞い上がっているときは本当にすばらしい心地よ…

夕焼け空をすうっと翼を広げて飛んでいくような気持ち。

後でどしんと墜落しても価値はあるくらい」

「そうだね。そうかもしれないね」マリラも認めた。

「私なら淡々と地べたを歩くほうがいいがね、舞いあがったり落ち込んだりしないで。でも、人それぞれ生き方があるからね…」

(引用 文春文庫『アンの青春』 松本侑子新訳より)


COVID-19の影響でついに小中学校に休校の要請が出ました。

来週卒園式を迎えるはずの孫娘、

1年間卒業委員として心を尽くしてきたママの落胆は

私の想像以上だと思います。

 

私もイベント延期決断のあと、

珍しくやる気が失せてしまいました。

 

 


その上、SNSの情報ばかりみていると気が滅入って

免疫力が低下してしまいそうで、本ばかり読んでいました。

 

2009年と2014年、私はプリンス・エドワード島を訪れました。

私にとっての「聖地」です。

村岡花子先生の翻訳が有名ですが、

今、現在、「赤毛のアン」の完全訳に取り組まれている

松本侑子さんと二回とも、ご一緒のすてきな旅でした。

 

 

f:id:tw101:20200229111946j:image アンの部屋 

 

 


ご存知「赤毛のアン」原題“Anne of Green Gables”は

孤児だったアンがマシューとマリラの兄妹の家族として愛を知り、

腹心の友ダイアナと共に成長していく物語で、

最悪のマシューを亡くしても、希望を持って教師として前進していく

というところで終わります。

 


その続編が「アンの青春」原題“Anne of Avonlea”です。

 

 

 


マシュー亡き後、気弱になったマリラを助け、

グリンゲーブルス農場も維持し、

地元アヴォンリーの学校で子どもたちの教育をしつつ、

盟友ギルバートと共にアヴォンリー村を

良くする改善運動にも着手し、

いくつもに失敗にも屈しない元気いっぱいのアンの

16 歳から18歳までが描かれています。

 


天真爛漫に見えるアンですが、心の奥には人生の悲しみを

十分に知っている深い湖があります。

そしてそれ以上に人生を美しくする光を放っています。

アンを産み育てた作家ルーシー・モード・モンゴメリその人が

両親の愛を知らず、祖父母に育てられ、

本を読むことで魂の成長をしていた人だからでしょう。

 

f:id:tw101:20200229111922j:image 恋人の小径

 


イベントの延期が後を絶たず、

すっかり意気消沈でしたが、

その中にあって

新しい繋がりも生まれました。

コロナ騒動が終息したら、

みんなで逢いましょう!という

嬉しい楽しいお約束をしました。

 


この年なって新しい出会いができことは

大きな喜びです。

“kindred spirit “同志、心の友、

心の同類 という意味で、

アンは心のあり方で

親しくなれるかどうかを

本能的に見極めていました。

 


富、地位、名誉、職業、知識、

などは関係なく、

心持ちが一番大事!

 


アンと教え子のポール・アービング

まさに心の同類でした。

再び「アンの青春」から引用します。

 


「その王国のなんと美しいこと 

 想像が、風景の扉を開きゆく」

この幸せな王国へむかう道すじを二人は知っていた。

その国では、歓びの薔薇が谷間や小川のほとりに永遠に咲き、陽の輝く空は雲に翳ることなく、甘さ調べの鐘も調子をはずすことがない。そこには、夢みる心の同類たちがつどっているのだ。

王国のありかーそれが「太陽の東、月の西」であることーこれは大金をはらっても教わることのない貴重な言い伝えであり、どんな市場へ行こうと買えない知識だった。

それはきっと、生まれたときに良い妖精たちがさずけてくれる贈り物なのだ。

いくつになろうと、そこなわれることも奪われることもない贈り物。

この贈り物をさずけられた人は、たとえ屋根裏に住もうと、それを知らずに宮殿に暮らす人より、はるかに心が満たされるのだ。

 


「心の同類」と一緒に過ごすとき、

それが束の間でも

輝く王国にいるのだと思います。

 

 


2020年、この先の見通しは明るくないのが

現実です。

コロナ新型ウイルス感染は

更に広がるかもしれません。

リーマンショックに匹敵する世界不況が

襲うかもしれません。

みんなが不安にかられているから、

つまらないデマに惑わされ、

トイレットペーパーを買い漁る

ハメになってしまいます。

これから、

もっとすごいデマが実しやかに流れてくるかもしれません。

 


こういう時だからこそ、心を落ち着けて、

「心の同類」の皆さんと静かに過ごしたいと願っています。

 

そして未曾有の事態に目を背けず、

どう立ち向かうかを考えたいと思います。

 


アンはマリラに言います。

「一番幸せで心楽しい暮らしとは、華やかなこと、驚くようなこと、胸ときめくようなことが起きる日々ではなく、さりげない小さな喜びをもたらす毎日が、今日、明日としずかに続いていくことなのね、まるで真珠が一つ、また一つと、糸からすべり出ていくように」

 


I believe the nicest and sweetest days are not those on which anything very splendid or wonderful or exciting happens but just those that bring simple little pleasures,

following one another softly,like pearls slipping off a string.…

 


 

どうか、今日という日が真珠のような一日になりますように。

 

f:id:tw101:20200229112117j:image グリンゲーブルスの庭

 

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NO.170 COVID-19 とインフルエンザの思い出 

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今日も横浜大黒埠頭に停泊している

ダイヤモンド・プリンセス号が私の部屋からよく見えています。

 


非公開の小さな会ながら、

半年前から企画を温め

大切に準備してきた

2020.02.22のイベントを延期決定をしました。

下船してきたプリンセス・ダイヤモンド号の乗客が

横浜駅東口で自由解散になった19日の段階では、

まだ延期など考えていなかったのですが、

駅近くのお店で飲食をしていたという報道もあり、

21日の時点で横浜駅が一つの汚染拡大地域となったと受け止め、

出演者や関係者の皆様と意見交換をして、

21日、16時に結論を出しました。

苦渋の決断でしたが、

下船した方が陽性反応になったというニュースを聞き、

判断は正しかったと思いました。

 


昨日、今日予定されていたイベントも延期となり

家で引きこもって静かに過ごしていましたら、

COVID-19を離れ、

遠い日のインフルエンザの思い出に遡っていきました。

 


私の二人の息子は東京都東久留米市にある自由学園という

寮のある学校で学びました。

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自由学園は大正時代に羽仁吉一・もと子夫妻によって創立された

キリストの教えを基にした幼稚園にあたる幼児生活団から初等部、

女子部と男子部に別れた中等部、高等部と

大学部の一貫教育、全人格教育をしている素晴らしい学校です。

 


自由学園については、また別の機会に書くことにします。

 


学園生活には様々な記憶がありますが、

今の時期に必ず思い出すことがインフルエンザの思い出です。

 


長男は高等部3年の冬、寮長をしていました。

この寮には監督する先生はいませんでした。

生徒の自治に任されていたのです。

寮長は寮で起きることの全ての責任者となります。

毎晩、就寝時の全員が様子を確認し、学園長に無事を報告して

1日を終えるのですが、

1月、2月この時期は多くの寮生がインフルエンザにかかります。

隔離しても、寮生活をしていると、一般より感染率は高くなります。

近郊の寮生は自宅へ帰ることもできますが、

地方生は隔離部屋で過ごします。

 

彼は自分ことを忘れて、寮母さんを助けて

インフルエンザにかかった生徒を看病したり、

寮生の健康を保つ為に懸命に働き、

ついに自らもインフルエンザにかかってしまいました。

でも寝てるわけにはいかない、

這ってでも寮長の役目を果たすと

熱があるのに頑張ろうとしました。

その時、寮母さんが

「あなたはとっても頑張っているけど、

インフルエンザの菌をばら撒くことになるじゃない?

あなたがまずちゃんと休んで、完治しないとね」と優しく諭してくれました。

彼はその言葉にハッとして

隔離部屋の人となりました。

数日経って全快し、寮の壇上に立った時、

寮生から「寮長、お帰りなさい」と大きな拍手を受け、

涙が出てとまらなかったと後に話していました。

 

小さなことでも責任を取るとはどういうことかというものを

言葉やマニュアルでなく

自分の体験から学ぶことができました。

 

 

 

次男は楽しみにしていたスキー合宿初日に高熱を出し、すぐに

隔離部屋に移されました。

 


現地の医院で受診しインフルエンザと診断され、

タミフルを飲んで隔離部屋で過ごし、

熱は下がり、帰宅した頃には、

症状は消えて元気を取り戻していました。

 


翌日から登校する気満々でしたが、

保健室の先生と話した結果、二日休むことになりました。

 

 

さて、自由学園には「完全出席」という栄誉があります。

遅刻も欠席もない生徒は壇上に上がり、メダルを授与されす。

これまで一度もその栄誉に値することのなかった彼でしたが、

最後の学年で初めて1年間の完全出席が

目の前というところまで来ていました。

インフルエンザは出席停止なので、

欠席にはならないのではないの?と

私は思いましたが、「完全出席」は全くの「完全出席」なのでした。

皆、この栄誉が欲しいと思い、中には熱があっても

「完全出席」をもらいたいが為に欠席しない生徒が出ます。

ごくたまに親も頑張っている子どもが不憫で

具合が悪くても登校させてしまうこともあるようでした。

息子も「もう大丈夫だから学校に行きたい」と言いました。

栄誉を戴ける初めての、そして最後のチャンスだから…

 

 


その時、私は以前あるお母様から聞いた話を思い出しました。

 

 

「男子部6年間通して完全出席をした生徒が

 みんなから賞賛されて卒業していきました。

 ところが、卒業して数年経ったある日、

彼は学園長を訪ねてきて、

 「完全出席」のメダルを差し出し、言いました。

『先生、僕はこのメダルをお返しに来ました。』

学園長は彼を見て『なぜ、返したいと思うのですか』と尋ねました。

『僕は完全出席になることを栄誉と思っていました。

 だから本当に頑張りました。

ある朝、駅で具合が良くない人を見かけました。

その姿を知っていながら、そのまま通りすぎて学校に行きました。

遅刻したら完全出席ではなくなると思って、

見て見ぬふりをしました。

メダルをもらって嬉しかったです。

でも、最近、僕は気づきました。完全出席より大切だったのは、

駅員さんに知らせてその人が手当てをしてもらえるようにすることだったと。

僕は完全ではなかった。

このメダルはお返しします」

学園長は彼の目をしっかり見て、彼の両手を温かく包んで、

「君はよくその事に気づいたね。僕は君のことをとても誇りに思う。」

学園長は本当に嬉しかったのです。

その話を何度もされたそうです。

彼は「完全出席」より大切なことが何かを知りました。

 

この話をした後、私は次男と話しました。

価値観の話となっていきました。

彼も「完全出席」より大切な事をわかりかけていました。

 


「『自分の頭で考え、自ら決断し、行動し

実行したことに責任を持つ。』

これは成熟した大人として本当に大切なことです。」

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自由学園最高学部(大学部)で長年

キリスト教価値観」の講義をしてくださった

渡辺和子シスターは、いつも、こう学生に仰っていました。

 

では何を基準に考え、判断するのでしょうか。

価値あるものが何かということが基準となりますね。

大事なのは経済〜お金?

それとも健康〜生命?

 

何も考えず、人任せとして、誰かに責任を押し付けて

何もなかったようにしてしまうのは

成熟した大人がすることではありません。

 

シスター渡辺の声が聞こえてくるようです。


成熟した大人がいない国はどうなっていくのでしょうか…?

 

 

SNSから流れる情報を横に置き、

春めいてきた青空を眺めて、

春を告げる鳥のさえずりに耳を傾ける

春の昼下がりです。

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